「月舟老人夜話」 (月舟和尚夜話) 月舟宗胡

 

「月舟老人夜話」(月舟和尚夜話) 月舟宗胡

 

初心晩學の衆、必ず退屈の心を生ずることなかれ、纔も菩提心退く心生ずると、上下不和合なる物ぞ。
不和合の處より諸魔取り込んで、修行者を悩乱する物ぞ程に、上下水乳の如くに和合して、一事に付きても厳しく工夫辨道せよ。
故に道元和尚の一事一色の辨道、只管打坐の法門、身心脱落の工夫が、祖師禅の根本、直指単伝の正宗、此の處に於いて大悟大徹と云うも遙鹿の下麓?)のこと、本明霊源には迷悟の沙汰はなき物ぞ。


今時の唐僧衆一則の公案を授けて、悟を肝要と示す。
其れも初學を引き入る方便にないではなけれども、此の根本より見れば、其れも大きに本意を失う事ぞ。
吾れ昔、三河の長圓寺に住せし時、只もの公案を授けて工夫をなさしむるに、打成一片にして混然として大悟大徹の境を得る者は少なく、公案を荷うて或いは胃の痛になり、鬱気癆咳の病となり、或いはさまざまの分別を生じて理会しけれども、公案の本意には弥々遠く、剰り退屈して云様は、末世の小根劣気にしては、上古の如く大悟大徹はならぬとて、本の凡夫よりは悪くなる者多し。
実に哀しきことぞ。


真実大疑の起きたる時は、只一則の公案を提撕して寤寐恒一なれば、万像に轉ぜられぬ物ぞ。
自然に混然たる境界になるぞ。
厥の時自心歓喜の心が生じて退屈せず、纔も斯の心起れば、早く般若の種子成りて、菩提心の退くことは無き物ぞ。
此の上で修行するが、真実不虚底の辨道ぞ。
それよりして行住坐臥の中著衣喫飯の上、世法佛法共に打て一般の境界と成りて、事として別なることはなき物ぞ。


吾れ昔、関東の多寶院に留錫せし時、古人の語に無心無心大無心、徹底無心と云うことを聞きてより、瓦礫木石の如くなる物を無心底に叶うかと疑はしく思いける。
折節、或る書の内に無心と云うは自性を見得するの儀と云う事を見付けて、偖(さて)歓喜を生じて僧堂裡を離れず昼夜睡らず見性の道理を工夫しけるに、或る時了々然として感発して分明に自性を見得し、歓喜踊躍極りなし。
寝食を忘れて坐禅工夫しけれども、其の時能き師家なし。
自心発得而已にして、那辺這辺としければ、其の時の境界をそろそろと工夫しき。


時に萬安和尚丹州に在りて、学者を接得するの手段、中々無双と風聞あり。
此の人こそ今時大悟の人にてあらんずると思い、それより上方に登り、萬安和尚に参じけるに、彼の会下にては彼是専ら勤學を本としけるに依って、吾も師の教によりて學文せり。
其の時師、人天眼目を講ぜり。
吾終夜只管打坐工夫し、明ければ衆と共に叢林の規矩に随いて、講談を聞けり、師の講ずるを聞きて、面白き道理などを現前して、工夫の助となりし。
然れども今は年老力弱して、其の時の様にはならぬぞ。


今の若き衆、精根の健やかなる間に光陰を惜しみて、只管打坐工夫し、唯々信心を起こすより外の事はないぞ。
信心起りたる時、身命は茶葉よりも軽くして喪身失命を顧みず、片時の隙も惜しみ、道業を成ぜんことをと励むものぞ。

その如く一年にても乃至一月にても、一時にても、或いは一念にても、至極有難き念を起して趣向ならば、未来永劫阿耨多羅三藐三菩提の因縁とならん。

偖(さて)、初発心時便成正覚で、唯々初発心の時が肝要ぞ。
如何なる大乗根の菩薩も、初発心の時の如く、長く保つことはならぬ物ぞ。
故に初発心の廣大なることは、華厳會上の大菩薩よりも甚だ勝れたると、諸経に説くこと、分明に正法眼藏発菩提心の巻に有るぞ。
初発心の時に猛烈に工夫なき故に、多くは修行者病者となるぞ。
涅槃経に茅を抜く喩の如く、茅を取るに手にづんと強く握って引く時は、何程も抜き出し得るぞ。
若し、少しも弱く握れば、必ず手を侵して疵を蒙る物ぞ。
學道の人も是の如く、纔も油断し退屈するすきがあれば、必ず手脚を破る程に、勤めよや勤めよや。


亦、示して云く、學道は常に謙卑の心を生じて、一切敬うより外の事はないぞ。
大悲菩薩の願文、十心是の中にも卑下心是を肝要とせり。
故に趙州の云く、七歳の童子にても吾に勝れる者ならば師として学ばんとなり。
趙州すら猶如是あるに、今時の学者は、唯我慢を増長して、一切聞法修行の志薄きは、実に末世の澆運あさましき事ぞ。
猛烈の志なき時は見聞の利益が甚だ好むものぞ。
先聖の古教照心の教に慣いて、放参の暇には、祖師の語録行状等、亦華嚴法華般若諸々の大乗経を看讀せよ。
仏祖の教を見れば、必ず信心感発して殊勝なる物ぞ。


吾れ長老となりて後居山し、毎日法華を訓ぜり。
一日、常不軽菩薩品を読むに一生餘縁を雑へず、但禮拝一行而已を修す、四衆の人天に向いては、当得作佛と云って、禮せし其功徳に依りて、臨命終の時に至りて、空中に於いて、過去の諸佛説き給う妙法蓮華経の偈を聞きて、六根清浄なる事を得て二百萬億那由他の壽命を増し、人天の為に此の法華を説き玉うと云う處に至って、頓に感発して流るゝ涙四五日も留らざりき。
実に不軽菩薩證果を得給う事、只禮拝一行而已にして餘縁には預らぬぞ。
如是感発して混然としたる信心の起り得たるも、此の経を看讀したる故ぞ。


又云く、道元和尚の只管打坐と云うことは、只坐禅の時は調息の法に依って、出入の息是れ短、是れ長と知る而已。
経行には前歩後歩の上へ一歩も差はぬぞ。
魚の水を行き、鳥の空を飛ぶが如くしたが好きぞ。
直に足下無私にして去るが、一色の辨道ぞ。


念経誦経の時も一字も読み差はぬ様に、徹骨徹髄に読むべし。
吾れ昔より経を読み禮拝するに、ついに一字も読み差はず、一拝にても拝し差はず。
殊に十方三世一切佛諸尊菩薩摩訶薩摩訶般若波羅蜜と云う處、最も是而已肝要と合掌問訊し在るに、今の大衆の手元を見るに、合掌問訊多くはせず、適合する者も不詳にして、一人も全き者は見えず。
実に哀しましき事ぞ。
適々値い難き佛教に遇い、行じ難き事を行いながら、徒らに時を過さんこと、実に惜むべき事ぞ。
其の如くしては、如何なる馬鹿な佛法在りてか汝等をして道業を成就せしめんぞ。

 

唯世間の世渡りの心を放下して、三時の看経四時の坐禅のみを専らにして、純一にならしめよ。
名利の心を遠ざけ捨てゝ、唯一事について工夫せば、暫時の間に箇事は現前せずということはないものぞ。
若し其の道理なくんば、老僧如何にも首を賭け物にせん。


昔日眞歇和尚の拈古を看し時「僧は是れ僧、俗は是れ俗、山は是れ山、水は是れ水。なんの欠少があらん」と云うことを、面白しと思い、その如く一途に工夫しければ、頓に境界現前して他物はなかりしぞ。
是の如く覚えある上は、大衆偏に只管打坐の法について専精に工夫すべし。
然らば永平和尚の本懐に通達し、吾が宗をして永く断絶せず、曩祖廣大の深恩を報じ奉り、又釈迦本佛の大恩を報ずるものなり。
謹んで参玄の人に白す、光陰空しく度ることなかれ。


又曰く出家の本懐といえば、唯名利を離れ、利養を求めず、道心堅固、如法にして一生を過すよりほかに、勝れたることはないぞ。
吾十一歳の時、父母吾をして出家せしめんととて、真言宗の寺に登せけるに、因縁熟せざりしにや、吾も心に肯はず、父母も心決せざるに依りて、頓て家に帰り、又十二歳の時、春の彼岸の中に、圓應寺の華嚴(華岳)和尚の弟子にせんとて、吾を捉えて寺に登り、師に対して曰く「此の子出家せしむる本意は、一子出家すれば九族天に生ずと伝え聞けり。今吾等老に至ってさしたる善根もなく、一生をむなしく過さんこと、実に未来の業報恐れあり。只偏に後生の助けとせんと思う故に、博学多才なる貴僧高僧となりて、名利の為に便りよけれとは思わず、唯道心堅固にして、経呪を読み習わし、如法に一生を送り、吾等が菩提を助けよがし」と願望しける故にや、功練不退にして教え給う程に、秋の彼岸の時分にははや禅家日用誦する所の経呪陀羅尼、法華看讀了りけり。


さて其の年の十月になりて、師吾をして古郷に帰し、父母に相見せしめけるに、父母歓喜の餘りに、隣近同輩の朋友共を集め、様々饗応し慰められけるに、童子共各々己れが物語り了りて、さて宗胡殿の望み如何と問う故に、吾いうようは、吾は出家の身なれば、唯よき名僧と成らんことを思うのみなれども、若し此の肥前百万石を吾に賜らば、吾還俗せんと云えり。
時に朋友共一時に手を打って笑いける中に、小ざかしき童子あり。
問いけるは、其知行を得て何にせんとや。
吾答えて曰く、吾若し大名となりなば、吾より勝れたる出家を五人も十人も取り立てなば、大なる功徳にてはあるまじきやと云えば、分別浅き子供のことなれば、実に尤もと感じけるを、母壁を隔てゝ聞き、間の障子をあけ、座敷へ出でゝ云いけるは、只今の子供達の望み話、いづれも聞くことなり。
然るに宗胡殿の望みは、沙汰の限りなることなりとて、気色をかえて云われけるは、昔日より日本にても、大唐にても、王位を捨て、将軍家又は国取大名の位を捨てゝ出家し、佛道修行すると伝え聞くに、今其の方が望みは如何なる天魔外道のいうことや、吾等其の方を出家せしむる本意とは、大きに相違したることぞ。
是れより再び寺にも帰すまじ、又家にも置くまじと、赤面し、立腹して座を立たれければ、朋友共驚き、肝を消して皆散々になりにける。


吾れ其の時思いけるは、兎角此の處に長居しては悪しからんと、早々に寺に還り、其の後たまたま母の處へ行けども、快くも会釈もせず、顔気色もよからざる故に、吾も亦行かざりけるに、それより漸く程過ぎて、関東へ発足せんと告げければ、其の時に母始めて心を打ち解けて、萬事旅の用意等丁寧にしたまい、離別の詞とては、唯如法なる出家になり、佛道修行して、吾等が後世菩提をとむらえとのみなり。
其の後関東より久しく帰らざりければ、朝夕我が事を思い、悲しみ、両眼を終に啼きつぶしけり。
我が母なれども、今思うに、実に賢女にて有りける故に、吾が最初出家の時の戒しめ強かりしに依りて、今六十五歳まで、出家を全く遂げて有るぞ。
若き衆は此の心を知り苟も名利の心を投捨して、眞出家となったがよいぞ。

 

諸の功徳を論ずるに、如法出家の功徳より大なるはないぞ。
此の事正法眼藏出家功徳の巻に見えたり。
福徳智慧相好はやがて佛と等しき、転輪聖王すらなお財を捨てゝ出家し、佛道修行したまう。
まして況んや将軍や大名は転輪聖王の一毫髪にも当らぬぞ。
況んや其の下に於て何程の名利を得ればとて、又一毫を百千万億に分けたる一分にも当たることではないぞほどに、かくある上はよくよく有爲の法を顧みて根本に立ち帰り、如法に出家を遂げよ。


さて又如法というても、今時間々墨染めのふる袈裟に大きなる珠数を首にかけ、殊勝げに律顏をかゝえ回る者が有るぞ。
それは畢竟大なる名聞坊主、有相執着の大凡夫ぞ。
其の如くしては、根本如法の處にはいよいよ遠いぞ。


さて單傳直指の如法と云うは、唯事大小となく、叢林の規矩に準ずるより外のことはないぞ。
百丈和尚始め清規を制作して、規矩を立つるに、教家律家より難問して云うようは凡そ大小乗の律部、佛説分明にして、欠くることなきに如何なる心なれば、私に制法を立するやと、答えて曰く吾が制作する處は、大小乗に違するにあらず、順するにあらず、博約折中して制範を設け、其の宜しき處を取って行ずとなり。
さて宜しき處というが肝要ぞ。
儒家に云う處の中庸というような事ではないぞ。
其の中と云うは何ぞ。
明慧上人のたまう所の「有るべきように」とある七字の金文ぞ。


是れ即ち千佛出世の本懐、唯佛與佛乃能究盡したまえる諸法実相の根本なり。
之れを如是経ともいうぞ。
是れ即ち永平清規見己の法なり。
即ち永平安居の一巻、一生是れを命根命脈とし、是れを手脚として)跳して、三時の念経、四時の坐禅を徹骨徹髄し、着衣喫飯、屙屎送尿(あしそうにょう)を全うするのみぞ。
是れ即ち向上の勤めと云うものぞ。
根本如法の勤行と云うに、別に勤はないぞ。
唯是の如く「あるべきよう」の法のみぞ。


譬えば魚は水を以て居宅とし、水を以て飯食衣服とし、水を以て全躰通身とし、水を以て尾鱗として、活潑々地するが如く、纔も水を離れば、早く死地となるぞ。
其の如く佛々祖々共に此の安居制作如法を以て行事とし来れり。
初發心にも、此の安居を行じましますこと三世十方の諸佛も如法にして一夏も欠きたまわず。
安居は佛祖の皮肉骨髓にして、丁度水と魚との如し。
わづかも此の安居如法を離れ破夏すると、早く海中の死屍となるぞ。
是の如くの脚痕下のことを照顧し、必ず外に向って馳走して、おのれと死地に至り、死漢となり、吾と未来の業を招くこと勿れと云々。

 

(終)

 

 

 

上記「月舟老人夜話」熊沢泰禅禅師が十四、五歳の折り高木忍海老師より戴いた「月舟老人夜話」の写本を永平寺監院の時、昭和5年「傘松」の10~11月号に掲載されたものです。
熊沢泰禅監院はこの時「月舟老人夜話は熟読すればする程妙味があり、其の修行立志の方針については、実に求法者の羅針盤であって、坐堂の垂誡としては、宛も現不老閣猊下(北野元峰禅師)の御垂誡を拝聴しているような感があるのは別して後半に掲げる處に於いて其の感が深い。故に此の夜話は別冊にもしたいのでありますが、本山掛錫の各頭は、必ずこの夜話を座右に離さず、時々拝読して古教照心の家訓とし、発心出家の本分、立志修行の龜鑑としてもらいたい。」と書かれています。

 

 

 

月舟宗胡(げっしゅうそうこ) (1618~1696)

 

加賀大乗寺の二十六世。
肥前国武雄、原田氏の子。
元和4年(1618)4月5日に生まれる。
12歳、円応寺華岳和尚のもとに投じて出家得度し、四年間修学した。
寛永10年(1633)、16歳のとき、遊方して関東に至り、常陸国多宝院に多年留まった。
ある朝、厠にあって微風の扉に触れて声をなすを聞き、廓然として悟るところがあったという。
久しくして丹波国瑞巖寺に至って、万安英種に謁して所解を述べて、万安より懇ろに訓誨せられた。
又、31歳、一日衆寮にあって沙弥の「證道歌」を誦するを聞いて宗旨を了す。
これより罷参して鄕に帰り、受業の師に謁見するに、隱元隆埼・道者超元の東明、崇福に住するを聞いて、是に参ず。
辞して加賀大乗寺の白峰玄滴和尚に参じて密かに衣法、並びに曩祖戒本を受ける。
出でて、摂津国の宅原寺に住し、移って三河の長円寺に居す。
寛文11年(1671)、大乗寺に住し、延宝2年(1674)結制をおく。
また、興禅、禅徳の両院を創建して、その第一世となる。
特に永平の古規を復興する。
延宝8年(1680)の秋、大乗寺を辞して京都の田原邸に退隠したが、此の地あった補陀洛山禅定寺と号する古刹を興復して隠棲の処とし、元禄9年(1696)正月10日遷化す。
世壽79歳。法臘67歳。

 

著書に「月舟老人夜話(月舟和尚夜話)」「椙樹林指南記」がある。

 

(参考-曹洞宗人名辞典・禅学大辞典)

 

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