石徳五訓

 

「石徳五訓」大本山永平寺七十三世熊沢泰禅禅師が曹洞宗宗務庁に頼まれて、昭和四十一年(1966)、九十四歳の時、作成し、揮毫されたものを、曹洞宗宗務庁が印刷発行したものです。


尚、現在は曹洞宗宗務庁では発行していません。

 

  石徳五訓-熊沢泰禅禅師
  石徳五訓-熊沢泰禅禅師

 

  石徳五訓

 

 一、奇形怪状無言にして能く言うものは石なり。

 
 二、沈着にして気精永く土中に埋れて大地の骨と成るものは石なり。


 三、雨に打たれ風にさらされ寒熱にたえて悠然動ぜざるは石なり。


 四、堅質にして大厦高楼の基礎たるの任務を果すものは石なり。

 
 五、黙々として山岳庭園などに趣きを添え人心を和らぐるは石なり。

 

          永平泰禅九十四翁

 

熊沢泰禅禅師の語録「雪菴廣録」にそのことが詳しく書かれていますので、下にその箇所を掲載します。

 

 

尚、当初この「石徳五訓蛇足」は昭和四十一年一月発行の「傘松」冒頭「仏心にめざめ慎忍をまもる-不老閣主」1頁より5頁に掲載されたもの。
熊沢泰禅禅師が上記の題で“仏と四馬の話”さらに“富士山と牛”の後“石徳五訓蛇足”とあり最後に“慎忍の二字”で纏められている。
この話が「雪庵語録」に転載された。
「馬から牛に来て、こんどは石の話である。」としてこの「石徳五訓蛇足」の話が掲載されている。

 

雪菴廣録

 

雪菴廣録 第三 提唱・垂示


九十歳代垂示 (三六一頁~三六四頁)より


石徳五訓陀足」  (陀足は蛇足の間違い)

 

(前略)
このごろは石ブームとかで、全国的に石を愛し石を楽しむことが流行しているとのことである。
その石ブームに呼応したのかもしれない。
また昨年発行の高階管長さんの水徳四訓(注1)の後を受け持たされたのかもしれない。
巡錫から山に帰ってみると、宗務庁より石徳五訓を作って書いてくれ云うてきていた。
そこで衲(わし)は作ることにして、石の故事を一つ二つ採り入れて作ってみたのが、新春発行の「石徳五訓」である。
いまここに少しく陀足(蛇足)を加えて置こう。

 

一、奇形怪状、無言にして、能く言うものは石なり。

 

石には丸いものもあれば突兀のもある。
白いのもあれば黒いのも赤いのも、菊の紋様を付けたのもある。
岩石もあれば細石(さざれいし)もある。
大盤石もあれば壁立万仞もある。
その形状もまた奇形怪状、種々様々なのがある。
ところで、その大小種々様々な石に共通の徳は「無言にして能く言う」ということである。
無言であるから何を言っているか分からないが、人間にしてよくその無言を聞くことができれば、その人にとって、石の一黙は雷の響をなすことであろうし、その人の前にはやがて「木馬よく嘶(いなな)き、石牛よく走る」底の活消息、「木人まさに歌い石女立って舞う」底の好風景が展開されるはずである。

 

二、沈着にして気精、永く土中に埋れて大地の骨となるは石なり。 

 

沈着気精、これがまた石に共通の徳である。
「枕石道人」という雅号もあるほどに、古来、頭を休め心を落ち着けるために、石を枕に暫しの眠を摂ってきた。
また懐石という言葉もあるように、古来、石を温めて腹に当て、空腹を充たしてきた。
そのようにして石が藥石として使用されてきたのは、実に沈着にしてづっしりしている徳と、気精、即ち様々な藥素が凝り固まっていて、単なる鉄や鉛の重たさ冷たさではない徳が具わっているからである。
そして、千万年大地に埋もれていても不平一つ漏らさず、常に大地を支える骨の役目を果たしている。
人間たるもの、またその徳を学ばなくてはならない。

 

三、雨に打たれ風にさらされ、寒熱にたえて悠然、動かざるは石なり。 

 

雨が降ろうが風が吹こうが、寒い雪の下でも、熱い炎天の下でも、悠然たる態度で不動の姿(すがた)をしている。
これがまた石に共通の徳である。
古来、「無根の樹」といわれるように、また「不動の雲」といわれるように、根の有る樹は枯れることもあるが、根のない樹、即ち石は枯れることがない。
雲は飛散するが、動かない雲、即ち石は飛散することがない。
それでいて、樹の如く、雲の如く生きているのである。
「八風吹けども動ぜず天辺の月」とか、「心頭滅却すれば火も又涼し」とかの名言は、人間がこの石徳現成の時節に発せられた語に外ならない。

 

四、堅質にして、大廈高楼の基礎となり、よくその任務を果たすものは石なり。 

 

材としては堅質、これがまた石に共通の徳である。
この徳の故に石はよく大きな建物の土台として使用され、よくその期待に応えて、その任務を全うすることができているのである。
人間もこの石徳を生活の土台として、その尊い人生を、空しい砂上の楼閣にしないようにしなければならない。
それには三宝を信じ、三学を行ずることが第一である。
仏法僧の三宝に帰依し、戒定慧の三学に精進している身は、堅固なる石を土台に建てられた建物と同じである。

 

五、黙々として、山岳庭園に趣きを添え人心を和らぐるは石なり。 

 

しかし、堅いばかりが能ではない。
そこに面白味がなくてはならない。
石にはそれがある。
それがまた石の徳であるといってよい。
欝々(うつうつ)たる森林の一角に大羅漢のように立っている斷崖、静かな庭園の隅に虎が踞っているように潜んでいる石、潮騒の石庭の中に点々と島のように浮かんでいる石、大山を圧縮したような石、昨日まで生きていた誰かを化石にしたような石、声こそ聞こえないが、相い語り相い笑っているような石ども、どれもこれも黙々として光が堪えられている。
そのような石どもを前にして、誰も怒る者はないであろう。
人間も、そのような石徳を具えるに至れば、もう仏様であるといってよい。

 

「雪菴廣録」天藤全孝編 永建寺発行より

 

尚、熊澤泰禪禅師語録「雪菴廣録」での垂示「石徳五訓」は実際に発行された「石徳五訓」とは多少違いがあります。

「雪菴廣録」には「石徳五訓」の草案の画像が載っており、この草案も発行された「石徳五訓」と差異はないので、ご垂示された時、禅師はご自身の思い通りにお話されたものと考えます。 

 

「雪菴廣録」と実際に発行されたで「石徳五訓」との違い。 

 

一、奇形怪状、無言にして、能く言うものは石なり。 

二、沈着にして気精、永く土中に埋れて大地の骨となるは石なり。

三、雨に打たれ風にさらされ、寒熱にたえて悠然、動ざるは石なり。

四、堅質にして、大廈高楼の基礎となり、よくその任務を果たすものは石なり。

五、黙々として、山岳庭園(など)に趣きを添え人心を和らぐるは石なり。 

 

又、「雪菴廣録」の原文は、ひらがな表現が多く読みづらい為、漢字に直した箇所がありますことを御了承下さい。

  

 


 

(注1)

水四訓-曹洞宗管長・高階瓏仙禅師

 

水四訓


自から活動して他を動かしむるは水なり。
常に己れの進路求めて止まざる水なり。
障害に逢ひて激しく勢力を倍加するは水なり。
自から潔くして他の汚濁を洗ひ清濁合せ入るる量あるは水なり。
(曹洞宗)管長 (高階)瓏仙書

 

  水四訓-曹洞宗管長・高階瓏仙禅師 (印刷)
  水四訓-曹洞宗管長・高階瓏仙禅師 (印刷)