衆寮箴規・對大己法

「對大己法」即ち「對大己五夏闍梨法」は「衆寮箴規」の後に掲載してある。

衆寮箴規

衆寮箴規は衆寮に於ける規則であるが、今は永平清規の中に収められている。

僧堂は専ら修行僧の坐禅、粥飯、睡眠するのに用いられるが、衆寮は勉学(読書看経)、喫茶湯、談話、裁縫、洗衣、来客との面談などを行う場所である。

尚、この衆寮箴規の本文中に「寮中、云云」と示されていることから『寮中清規』と呼ばれることもある。

 

『新版禪學大辭典』には次のように記されている。

【衆寮】しゅりょう

禅宗寺院の建物の一つで、僧伽(和合衆)のいる寮舎。

その様式は僧堂とほぼ同じであるが、修行僧が僧堂において坐禅を修するのに対し、衆寮では食事後の読書や喫茶、晩の食事、または臨時に茶湯を喫するところとして用い、もっぱら智慧を磨き、定慧円明ならしめようとして設けられる。

中央に観音菩薩を祀り、その周辺に高さ三尺の床と十二または十六の版を設け、疊を敷き、経櫃(読書机)をおく。

机は高さ一尺二寸、巾一尺五寸ぐらいを標準とし、裏側に鎖錠することのできる日用品の入れ箱を付したもの。

屋上には天窓を、四辺にも窓を設ける。

衆寮の背後には裁縫台または洗衣所を設けることもある。

古規によると衆寮には寮元、寮長、寮主、副寮、望寮などの役職をおき管理する。

[永平衆寮箴規]、[永平辨道法]、[入衆日用清規]、[勅修百丈清規]、[洞上伽藍雑記]、[僧堂清規行法鈔]に詳しい。(新版禪學大辭典より)

 

吉祥山永平寺衆寮箴規
吉祥山永平寺衆寮箴規

衆寮箴規(しゅりょうしんぎ)

 

吉祥山永平寺衆寮箴規

 

寮中の儀、應當(まさ)に佛祖の戒律に敬遵し、兼ねて大小乘の威儀に依隨し百丈清規に一如すべし。

清規に曰く、事大小と無く、並びに箴規に合(かな)へと。

然あらば即ち須く梵網經、瓔珞經、三千威儀經等を看るべし。

寮中應に大乗經並びに祖宗の語句を看し、自ら古教照心の家訓に合ふべし。

先師衆に示して云く、儞ち曽て遺教經を看るやと。

闔寮(こうりょう)の清衆、各々父母、兄弟(ひんでい)、骨肉、師僧、善知識の念に住して、相互に慈愛し、自佗顧燐し、濳かに難値難遇の想ひ有らば、必ず和合和睦の顔(かんばせ)を見ん。

失語有るが如きは、當に之れを諫むべし。

埀誨有るが如きは當に之れに順ふべし。

此れは是れ見聞の巨益(こやく)なり、能く親近の大利たる者歟。

忝くも厚殖(こうじき)善根の良友に交り、幸いに住持三寶の境界を拜す、亦、慶快ならんや。

俗家の兄弟すら猶ほ異族に比せず。

佛家の兄弟乃ち自己よりも親しむ可し。

黄龍の南(なん)和尚云く、孤舟共に渡るすら尚夙因(しゅくいん)有り。

九夏(くげ)同居(どうご)豈に嚢分(のうぶん)無かんらんや。

須らく知るべし、一日暫く賓主と爲るも、終身便ち是れ佛祖たらん。

寮中高聲に讀經唫詠して、清衆を喧動す可からず。

又、勵聲を揚げて誦咒(じゅじゅ)す可からず。

又、數珠を持して人に向ふは是れ無禮なり。

諸事須らく穏便なるべし。

寮中、賓客を接入して、相見し笑談す可からず。

又、商客、醫師、相師等及び諸道の輩と問答す可からず。

商客と問答せんには須らく寮邊を避くべし。

寮中、頭(こうべ)を聚めて談話し、無慙無愧にしれ戯笑(けしょう)す可からず。

縦ひ笑ふべき縁に遇ふとも、四念住是れ住處、三歸依是れ依止(えし)なり。

少水の魚の如く、是に何の樂か有らんや。

凡そ前後肩と語笑す可からず。

既に能く斯くの如くならば、衆に處して山の如くならん。

寮中、他人の案頭に到つて他人の看讀を顧視し、乃ち自他の道業を妨ぐ可からず。

雲水の最も痛みと爲す所なり。

寮中、不如法度の事、小事は寮首座及び宿徳耆年當に之れを諫むべし。

大事は應に維那に報じて諫むべし。

初心晩學は和敬隨順して、當に以て之れを諫むべし。

受と不受とは明かに道心の有無を知る。

清規に曰く、言語事業、動止威儀、應に衆中の規矩に係るべし。

並びに當に委曲に提撕(ていぜい)すべし。

後生を慈念すること、猶ほ赤子(しゃくし)の如くせよ。

是れ古老の心操なり。

寮中、世間の事、名利の事、國土の治亂、供衆の麁細(そさい)を談話す可からず。

是れを無義の語、無益の語、雜穢の語、無慚愧の語と名づく。

固く是れを制止す。

況んや聖を去ること時速く、道業未だ成らず、身命は無常なり。

光陰は繫(つな)ぎ難し。

然あれば則ち十方の雲衲専ら光陰を惜んで、精進し、須らく頭燃を救ふが如くすべし。

努力(つとめ)よや、閑談して空しく時節を過すこと莫れ。

石頭和尚の曰く、謹んで參玄の人に白(もう)す、光陰虚しく度(わた)ること莫れと。

寮中、威儀を亂す可からず。

合掌問訊、應當(まさ)に如法なるべし。

聊爾(りょうじ)なること莫れ。

凡そ一切の時、法を輕んず可からず。

寮中、清淨大海衆、乃(そ)れ凡、乃れ聖、誰か測度(しきたく)する者ならんや。

然れば則ち面を見て人を測るは癡の甚だしきなり。

世尊の在世すら尚盲目の比丘、牛呞(ごし)の比丘有て衆に交わる。

況んや像末の澆運(ぎょううん)は唯だ結縁を貴ぶ。

何ぞ人を輕んずる者ならんや。

衣綴(えとつ)雫落し、道具舊損すとも、凡眼を以て觀ること莫れ。

諸忽(ゆるがせ)にす可からず。

古來有道の人は衣服を華(かざ)らず、唯だ道具を實にす。

卑族輕んず可からず。

初學笑ふ可からず。

縦ひ笑はるるとも嗔恨(しんごん)すること莫れ。

況んや復(また)下下(げげ)の人に上上(じょうじょう)の智あり、上上の人に没意智(もついち)有りや。

但だ四河海に入つて復た本名無く、四姓出家すれば同じく釋氏と稱せよの佛語を念へ。

寮中、各各の案頭、若し佛菩薩の像を安ぜば是れ無禮なり、又畫図等を懸く可からず。

寮中の兄弟若し他人の案頭に到る時、或いは著衣、或いは衩衣(しゃえ)、時の宜しきに依ると雖も、必ず其の儀有り。

若し著衣せず、衩衣せず、不儀にして到る者に逢はば相見す可からず。

寮中の兄弟案頭に在る時、他人の來るを見ば、先づ牀を下り地に立ち、或いは著衣、或いは衩衣、須らく來者の儀に隨つて、或いは問訊し、或いは觸禮(そくれい)すべし。

相見の威儀、須らく如法なるべし。

寮中の兄弟、寮中の上下間を穿歩(せんぽ)す可からず。

又、人の在不在を論ず可からず。

彼彼(ひひ)の案頭を歴觀す可からず。

寮中の案頭、檀(ほしいまま)に偃臥し、板頭に靠(よ)り、脚を露(あらは)し體を露して、衆の爲に無禮なる可からず。

須らく古聖先徳の樹下露地に坐せし跡を憶ふべし。

寮中の清衆、金銀錢帛等の不淨財を蓄ふ可からず。

是れ古佛に遺誡なり。

西天の初祖迦葉尊者在家の時、其の家の富、千倍して瓶沙王(ぶんじゃおう)に勝れり。

十六の大國も以て隣と爲すこと無し。

然れども家を捨て道を修する時は、鬢髪長く、衣服弊(やぶ)れ、糞掃を衣と爲し、乞食(こつじき)を食と爲し、將に隠れんとするに至るまで曽て改めず。

道心の士、知らずんばある可からず。

迦葉高祖すら猶ほ斯くの如し。

凡夫末學豈に自ら守らざらんや。

寮中の説話、常に應に低聲なるべし。

鞋履(あいり)響かすこと莫れ。

洟唾咳呻、並びに當に喧(かまびす)しからざるべし。

倭語の華麗に耽(ふけ)ること莫れ。

須らく佛祖の實語を慣ふべし。

縦ひ佛祖の語句を談ずるも、朗聲を抗(あ)ぐ可からず。

衆の爲に無禮なる所以なり。

寮中、縦ひ耆年宿徳も、衆の爲に無禮なる可からず。

衆儀に違するが如きは、維那當に之れを暁示すべし。

寮中、若し衣鉢及び諸色の物を落失せば、先づ應に榜(ぼう)を貼(ちょう)すべし。

其の牓に云く、本寮某甲上座、某の時某の物を遺落す。若し見得せん者は、請ふ拾遺の牌を掛けよ、云云。

須らく清規に憑つて理斷すべし。

横(ほしいまま)に人を壊(やぶ)る可からず。

又、大曉(だいぎょう)禪師の語に慣ふべし。

寮中、遺落の物を見ば、拾遺の牌を繫くべし。

寮中、俗典及び天文地理の書、凡そ外道の經論、誌賦和歌等の巻軸を置く可からず。

寮中、弓箭兵杖、刀劍甲冑等の類を置く可からず。

凡そ百(もも)の武具置く可からず。

若し腰刀等を蓄ふる者は、卽日に須らく寺院を趕(お)ひ出すべし。

總じて悪律儀の器は寮内に入る可からず。

寮中、管弦の具、舞樂の器を置く可からず。

寮中、酒肉五辛を入るべからず。

凡そ葷茹(くんじょ)の類、寮邊に將來す可からず。

寮中、相並んで坐する時、若し作す應きこと有らば、苦事は下座先づ作せ、是れ僧儀なり。

年少幼學、座に在つて上座の苦事を見るべからず。

無禮なる所以なり。

若し是れ好事ならば、須らく上座に譲るべし。

是れ諸佛の正法なり。

寮中、兄弟の把針(鍼)には、應に把針の架に就くべし。

把針の時、頭を聚めて雑談し、高聲に多言することを許す可からず。

須らく佛祖の操行を念ずべし。

本寮は公界(くがい)の道場なり。

縦ひ鬚髪を剃ると雖も、不儀僧の輩は寮内に經廻出入せしむ可からず。

寮内に夜宿せしむ可からず。

縦ひ儀僧の輩と雖も、浮遊の類は寮内に夜宿せしむ可からず。

寮内に徘徊せしむ可からず。

清衆を妨ぐる所以なり。

寮中、渡世の業を經營す可からず。

 前件の箴規は古佛の垂範なり、盡未來際、當山に遵行せよ。

  寶治三年正月日記す。

 

吉祥山永平寺衆寮箴規 終

 


衆寮十二板圖樣凡例

 

夫れ衆寮は堂衆飯後の看讀、及び平日齋後の喫茶、晩間の喫藥石、或いは臨時の行茶湯等、皆な此に於いて之れを行ず。

然あれば則ち衆寮は僧堂の大小に從つて亦た當に廣狭あるべし。

僧堂若し十二板なるときは、則ち衆寮も亦た必ず當に十二板なるべし。

僧堂若し十六板なるときは、則ち衆寮も亦た必ず當に十六板なるべし。

而して其の衆寮の締構、但だ四周のみ牀を施して中牀無きときは、則ち唯だ露地のみ廣闊空踈にして且つ堂衆容れ盡し叵(かた)し。

故に勅規に十六板僧堂の圖を載するときは、同規の抄にも亦た十六板衆寮の圖を載す。

其の締構の體たるや、屋上に四箇の天窓を開き、十六牀の樣子有り。

同じく抄の第十四卷に寮元須知を載せて曰く、

寮主副寮、曲祿前に到つて問訊し、第一處、第二處、第三處に到つて問訊し、問訊を收めて舊路を經て抹過す可からず。 

乃至、十六處に到つて問訊畢り、中央に歸り問訊して立つ。

此れに由りて之れを考ふるに、所謂、十六處とは即ち十六牀なること明らかなり。

今且らく十二板の衆寮を造營せんと欲せば、則ち先づ圖樣の如く牀を設けて、中牀の屋上には各々天窓一區を開き、而して四壁にも亦た皆な明窓を設け、以て明相を取る。

前後門、兩頬牀と中牀との若きは、毎牀各々當に板頭を設くべし。

牀の縱、牀縁と經櫃とを除き六尺と爲し、而して又、明窓下に各々經櫃を設く。

凡そ櫃の高さ一尺有二寸、徑(わた)り一尺有五寸計り。

櫃上の表面は經案と爲し、以て看讀の用に備ふ。

裏面は即ち經櫃と爲して、衆僧、各自之れを鎖(とざ)し、看讀の用具を容藏するなり。

禪苑清規に曰く、寮主は衆僧の衣鉢を看守すと。

備規列職寮主の章に曰く、公界の坐禪と看經には經櫃を看守し、夜間には寮元と同じく經案を巡視す。

或いは鎖を失する者あらば、留記して之れを鎖すと。

又、勅規の下卷、巡視經案の抄に曰く、僧堂には則ち函櫃と曰ひ、衆寮には則ち經櫃と曰ふと。

此れに由りて之れを考ふるに、經櫃と經案とは二名にして、其の實は一なり。

必づ櫃と案とは二物に非ざるなり。

寮元寮の如きは、天童山の圖に依るとき、則ち妙莊嚴堂の背後に於いて、別に構一局を構せり。

勅規抄の圖には則ち衆寮後門の右邊に之れを設く。

禪規列職章に曰く、寮首座は當に久住宿徳の事體を諳練(あんれん)する人を請すべし。

寮主と同じく寮中に於いて止宿し、衆僧の衣鉢を看守すと。

是れ等の文に由て之れを考れば、則ち勅規抄の圖に據て、後門の右邊に設くる者を正と爲す。

禪規に曰く、寮主は入寮の先後に依て輸請し、或いは一月に當り、或いは半月に當り、或いは十日、各々所在を逐て衆僧の衣鉢を看守することを主(つかさどる)と。

然あれば則ち所謂、寮主は各自の案位に在て、輪次に之れを勤むること、猶ほ堂中の直堂なり。

是れを以て須らく知るべし、單に寮主寮と稱するの分寮無きを。

十刹圖を以て之れを考ふるに、天童山は則ち衆寮の背後に於いて、把針架、及び洗衣處有り。

今ま復た之れに傚(なら)つて、把針架、洗衣處等を設けて可なり。

 


 衆寮牀樣之圖

衆寮牀樣之圖
衆寮牀樣之圖

對大己法

對大己法とは正式には「對大己五夏闍梨法:たいたいこごげじゃりほう」と云う。

「對大己五夏闍梨法」は大己である五夏以上を修行した闍梨に対する礼儀細則である。

これも現在では永平清規の中に収められている。

 

「大己」「五夏」「五夏闍梨」は『新版禪學大辭典』には次のように記されている。

【大己】たいこ

自己より年長の人、徳の勝れた人。通例、戒臘(得度以後の夏安居の数)が自己より多い人を大己と尊称する。『永平對大己五夏闍梨法』には六十二条にわたり、大己に対する行儀を訓示している。この中に「第十五、五夏以上は即ち闍梨の位、十夏已上は是れ和尚の位なり。切に須らく之れを知るべし。」とし、大己にも段階を立て敬礼を厳にしている。

【五夏】ごげ

法臘五歳。夏安居を五度経過したこと。

インドでは安居は夏に限られるので、夏安居の数を数えれば、その僧の法臘(正規の僧としての年数)を知ることができる。

【五夏闍梨】ごげじゃり

法臘五歳の僧。闍梨は阿闍梨の略。五夏闍梨は大己として尊敬される。

(以上、『禪學大辭典』より)

 

對大已五夏闍梨法

對大己五夏闍梨法
對大己五夏闍梨法

對大已五夏闍梨法

(大已五夏の闍梨に對する法)

 

 第一、大已五夏の闍梨に對しては、須らく袈裟の紐を帶し、及び坐具を帶すべし。

 第二、通肩に袈裟を被することを得ざれ。經に曰く、比丘佛と僧及び上座とに對しては、通肩に袈裟を被することを得ざれ。死して鐵鉀地獄(てつこうぢごく)に入ると

 第三、邪脚倚立して、上座を視ることを得ざれ。

 第四、手を垂れて立つて、上座を視ることを得ざれ。

 第五、非時に喧笑して、無慚無愧なることを得ざれ。

 第六、立つことは事師法の如くせよ。

 第七、若し教誡有らば、當に須らく禮を設けて聽受し、如法に觀察し思惟すべし。

 第八、常に須らく謙卑の心を作すべし。

 第九、大已に對して癢(かゆがり)を抓き蟣虱(きしつ)を拾ふことを得ざれ。

 第十、大已の前に對して洟唾することを得ざれ。

 第十一、大已に對して楊枝を嚼み口を漱(そそ)ぐことを得ざれ。

 第十二、大已未だ坐せと喚ばざるに、輒(はや)く坐することを得ざれ。

 第十三、大已五夏と共に牀を同じふして坐し、大已五夏に唐突することを得ざれ。

 第十四、大已五夏の人の常に坐臥する處の牀に坐することを得ざれ。

 第十五、五夏以上は即ち闍梨の位、十夏已上は是れ和尚の位なり。切に須らく之れを知るべし。即ち是れ甘露の白法なり。

 第十六、五夏の尊人坐せよと喚ばば、當に須らく合掌曲躬して、然る後に乃ち坐すべし。慇懃端正にして坐せよ。牆壁(しようへき)に靠倚(かうい)することを得ざれ。

 第十七、坐するに無禮にして、恣(ほしいまま)に東西に倚ることを得ざれ。

 第十八、若し言ふ所有らば、須らく謙下すべし。上分を取ることを得ざれ。

 第十九、口を張て欠呿(かんきょ)することを得ざれ。當に手を以て之れを遮るべし。

 第二十、大已の前に在りて、手を以て面を捋(な)で頭を摩(さす)り、脚を弄し手を弄することを得ざれ。

 第二十一、大已の前に在りて、大いに嘘氣(きよき)して聲を作すことを得ざれ。如法に恭敬せよ。

 第二十二、大已の前に在りては、當に須らく端身定住すべし

 第二十三、若し大已の大已の處へ來るを見ば、當に須らく坐を避けて曲躬低頭して、且らく大已の指揮を待つべし

 第二十四、如(も)し壁を隔つる大已の房有らば、高聲に經典を讀誦することを得ざれ。

 第二十五、大已未だ指揮せざるに、人の爲に説法することを得ざれ。

 第二十六、如(も)し大已の所問有らば、當に須らく如法に答供すべし。

 第二十七、常に大已の顏色を護して、失意せしめ他をして熱惱せしむること莫れ。

 第二十八、大已の前に在て、同類と相ひ拜することを得ざれ。

 第二十九、大已の前に於て、人の禮拜を受くることを得ざれ。

 第三十、如(も)し大已の所に在らば、苦事を先づ作せ、好事は應に大已に讓るべし。

 第三十一、五夏十夏の大已に遇ふが如きは、當に恭敬を生ずべし。自ら退屈すること莫れ。

 第三十二、五夏十夏の大已に親近しては、應に經義律義を請問すべし。輕慢懈怠を生ずること莫れ。

 第三十三、大已の病を見ば、應に如法に瞻養して愈えしむべし。

 第三十四、大已の前、及び大已の房邊に在ては、無益の語、無義の語を説くことを得ざれ。

 第三十五、大已の前に在ては、佗方の尊宿の好惡長短を説くことを得ざれ。

 第三十六、大已を輕忽して、戲論に問義することを得可からず。

 第三十七、大已に對して頭を剃(す)り爪を剪り裙を換ふることを得ざれ。

 第三十八、大已未だ眠らざるに、先に眠ることを得ざれ。

 第三十九、大已未だ食せざるに、先に食ることを得ざれ。

 第四十、大已未だ浴せざるに、先に浴することを得ざれ。

 第四十一、大已未だ坐せざるに、先に坐することを得ざれ。

 第四十二、路に大已に逢はば、如法に問訊曲躬して、大已の後に隨つて行け。如し大已の指揮を蒙らば乃ち還れ。

 第四十三、如し大已の忘失を見ば、慇懃に指示せよ。

 第四十四、若し大已の誤錯を見るも、喧笑することを得ざれ。

 第四十五、大已の房に到らんには、先づ門外に在て、彈指三下して入れ。

 第四十六、若し大已の房に入らば、門頬從り入れ。門戸の正中に當て入ることを得ざれ。

 第四十七、若し大已五夏、大已十夏等の房室に出入せば、應に賓堦(ひんかい)從り下(さが)るべし。主堦從り上(のぼ)ることを得ざれ。

 第四十八、大已、飯未だ訖らざるに、先に止むることを得ざれ。

 第四十九、大已未だ起(た)たざるに、先に起つことを得ざれ。

 第五十、大已若し檀越の爲に説經せば、正坐して聽け。急に起て去ることを得ざれ。

 第五十一、大已の前に在て、應に呵罵(かめ)すべき者をも呵罵す可からず。

 第五十二、大已の前にして遙大に聲を揚げ人を呼ぶことを得ざれ。

 第五十三、袈裟を解(と)いて大已の房舍に著(お)いて出づることを得ざれ。

 第五十四、大已説經せんに、下(しも)從り是非を正すことを得ざれ。

 第五十五、大已の前にて、手を持し膝を捧(ささ)ぐことを得ざれ。

 第五十六、大已、下處に在るに、自ら高處に在て、應に相ひ禮すべからず。

 第五十七、座上にして大已の爲に禮を作すことを得ざれ。

 第五十八、大已、立地するに、自ら座に在て大已を見て相ひ揖することを得ざれ。

 第五十九、大已の師爲る有らば、須らく之れを知るべし。

 第六十、大已の弟子爲る有らば、應に師の禮を知るべし。大已を亂ること莫れ。

 第六十一、大已と大已と相ひ對せば、共に大已に非らず。

 第六十二、大已を見ること窮盡(ぐうじん)有ること無し。初夏(しよげ)にも大已を見、極果(ごくか)にも大已を見る。

 

右、大已五夏十夏に對する法、是れ則ち諸佛諸祖の身心なり。學ばずんばある可からず。若し學ばざれば、祖師の道廢し、甘露の法滅せん。法界虚空、希有にして遇ひ難し。宿殖善根の人、乃ち聞くことを得、實に是れ大乘の極致なり。 

 于時日本寛元二年甲辰三月二十一日 在越州吉峯精舍示衆

 



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