傘松道詠集

傘松道詠集(永平傘松道詠集)

 

「傘松道詠集」(傘松祖師道詠)は面山瑞方が延享三年(1746)八月に「序」を題し、道元禅師の和歌を編集発行したものである。

道元禅師の和歌は「建撕記」に掲載されているが、面山瑞方は自身で発行した「訂補建撕記」には載せず、別に「傘松道詠集」として発行した。

 

面山瑞方の「訂補建撕記」最後には次のようにある。

 

『師入滅中秋夜御詠歌。題法華経詠歌五首。寬元二年九月二十五日、初雪御詠。寶治元年在鎌倉、最明寺請御詠。草庵偶詠三十四首。

 補 この歌、皆傘松道詠にあり。ここに略す。この歌の末に云く、右謹書寫永平初祖大和尚之御詠歌若干首、奉付授機公首座禪師、伏乞洞宗大興、門派流通焉。至祝至祝。至祷至祷。應永二十七年六月六日、寶慶寺八世、洞雲比丘喜舜判とあり。』

 

しかし、この「傘松道詠集」は色々と問題がある。

第一に、「建撕記」にある道元禅師の和歌との違いが多々見られること。

第二に、他本に見られない面山本独自の詠歌が混在している。

その他にも面山瑞方独自の編集と云うことで、この「傘松道詠集」の内容を疑問視する学者も多い。

 

尚、この「傘松道詠集」の内容本文は大久保道舟著の「道元禪師語録」にある「傘松道詠集」に依った。

 

さらに参考として小川霊道編集の「永平高祖行状建撕記」の和歌を歌の下に示す。

 

 永平傘松道詠集・表紙
 永平傘松道詠集・表紙
 傘松道詠集一丁
 傘松道詠集一丁
 傘松道詠集二丁
 傘松道詠集二丁


傘松道詠序


傘松曩祖之道詠也。門下叢席抄録行巻者不少。而三豕頗多。余久痛之。従事於考讎而文字幾乎全矣。古言咳唾落九天。随風生珠玉。憶曩祖之片言隻字。亦如髻珠頷寶而不易獲於今之世也。是故壽梓布之同志。若有人纔咀詠一首以諳道味。則八萬法蔵之起盡。亦豈外于此哉嗚呼人也鮮矣。

 延享三年八月角宿日

 遠孫若(前)之吉祥林永福禅庵

 沙門面山瑞方拝題


 傘松道詠集三丁
 傘松道詠集三丁


傘松祖師自賛真影


覿面出身。瞎馿頂□(寧頁)。横行天下兮作馬牛。霹靂大虚兮超人境。雖喚伱作村僧。眞箇帝鄕正命。


傘松祖師道詠

 傘松道詠集四丁
 傘松道詠集四丁

 

傘松祖師道詠


 寛元三年九月二十五日初雪の一尺はかり降ける時

長月の紅葉のうへに雪ふりぬ 見る人誰かことの葉のなき

「長月の紅葉の上に雪ふりぬ見ん人誰か歌をよまさらん」


 寳治元年相州鎌倉に在(いま)して最明寺道崇禪門の請によりて題詠十首

 

(面山の『傘松道詠』には『最明寺道崇禅門の請によりて題詠十首』とあるが、『建撕記』には題詠十首の言葉無し。)


 教外別傳

あら磯の波もえよせぬ高岩に かきも付くへきのりならはこそ

「荒磯の浪(波)もえよせぬ高岩にかきもつくへき法(のり)ならばこそ。」


 不立文字

いひ捨てしその言の葉の外なれは 筆にも跡を とゝめさりけり

「謂(いい)すてし其の言葉の外なれは筆にも跡を留めさりけり」

 

 傘松道詠集五丁
 傘松道詠集五丁

 

 正法眼藏

波も引風もつなかぬ棄てをふね 月こそ夜半のさかりなりけれ

「波も引き風もつなかぬ捨小舟(すてをふね)月こそ夜半のさかい成けり」


 涅槃妙心

いつもたゝ我ふる里の花なれは 色もかはらす過し春かな

「いつも只我か古里の花なれは色もかはらぬ過し春る哉」


 本來面目

春は花夏ほとゝきす秋は月 冬雪さえて冷しかりけり

「春は花夏ほとときす秋は月冬雪きえてすゝしかりけり」


 即心即佛

おし鳥やかもめともまた見へわかぬ 立る波間にうき沈むかな

「鴛(おし)とりか(白鷗(かもめ)とも又見えわかす立つ浪あいの泛(うき)つ白浪」


 應無所住而生其心

水鳥の遊くもかへるも跡たえて されとも道はわすれさりけり

「水鳥の行くも帰るも跡たえてされ共路はわすれさりけり」

 

 傘松道詠集六丁
 傘松道詠集六丁

 

 父母所生身即證大覺位

尋ね入深山の奥のさとそもと 我住馴し都なりける

 父母初生眼を詠む。

「尋子(ね)入るみやまの奥の里なれば本とすみなれし京(みやこ)なりけり」


 盡十方界眞實人體

世中にまことのひとやなかるらん かきりも見えぬ大空の色

「世の中に眞(まこと)の人やなかるらん限(かぎ)りも見へぬ大空の色」


 靈雲見桃花

春風に ほころひにけり桃の花 枝葉にのこるうたかひもなし

 見桃花悟道を詠む。

「春風に綻びにけり桃の花枝葉にわたる疑いもなし」


 鏡清雨滴聲

聞まゝにまた心なき身にしあらは をのれなりけり軒の玉水


聲つから耳にきこゆる時しれは 我友ならんかたらひそなき

「聲つから耳の聞ゆる時されは吾か友ならんかたらいそなき」

 

 傘松道詠集七丁
 傘松道詠集七丁

 

 牛過窓欞

世中はまとより出る牛の尾の 引ぬにとまる心はかりそ

「世の中わまとより出るきさの尾のひかぬにとまるさわり斗(ばか)りそ」


 夢中説夢

本末みな偽のつくも髪 おもひ乱るゝ夢を社とけ

「本と末えも皆な偽(いつわ)りのつくもかみ思い乱るゝ夢をこそ説け」


 十二時中不虚過 三首

過來つる四十あまりは大空の うさきからすの道にそ有ける

「過にける四十(よそじ)餘りは大空の兎(うさぎ)烏(からす)の道にこそありける」

誰とても日影の駒は嫌はぬを 法の道うる人そすくなき

「誰れとても日影の駒は嫌わぬを法りの道ち得る人そ少なき」


人しれすめてし心は世中の たゝ山賤のあきのゆふくれ

 

 傘松道詠集八丁
 傘松道詠集八丁

 

 坐禪

守るとも思はすなから小山田の いたつらならぬ僧都なりけり

 行住坐臥を詠む。

「守るとも覺えすなから子山田のいたつらならんかゝし成けり」

 

頂に鵲の巣やつくるらん 眉にかゝれるさゝかにのいと

「いたゝきに鵲(かさゝき)巣(す)をやつくるらん眉ゆにかゝれり蜘蛛(さゝかに)のいと」

 

濁りなき心の水にすむ月は 波もくたけて光とそなる

 

此心天つ空にも花そなふ 三世の佛に奉らはや

「此心ろ天(あま)つ虚(そら)にも花そなを三(み)世の佛けにたてまつらなん」


 禮拜

冬草も見えぬ雪野のしらさきは をのか姿に身をかくしけり


 佛教

あらたふと七の佛の古言を 學ふに六の道を越けり

「安名尊(あなとうと)七(なら)の佛けのふる言はまなふに六つの道に越えたり」

 

 傘松道詠集九丁
 傘松道詠集九丁

 

嬉しくも釋迦の御法にあふひ草 かけても外の道をふまめや

「嬉(うれし)くも釋迦の御(み)法のあふみ草かけても外の道をふまはや」


 詠法華經 五首


夜もすから終日になす法の道 みな此經の聲とこゝろと

「夜もすから終日(ひねもす)になす法(のり)の道ち皆な此の経の聲と心ろと」

 

溪の響嶺に鳴猿たえたえに たゝ此經をとくと社きけ

「渓に響き峯に鳴く猿妙々(たえたえ)に只此の経を説くとこそ聞け」

 

此經の心を得れは世中の うりかふ聲も法をとくかは

「此の経の心を得るは世の中に売買(うりかう)聲も法を説くかわ」

 

峯の色溪の響もみななから 我釋迦牟尼の聲と姿と

「峯の色谷の響も皆なから吾か釈迦牟尼の聲と姿と」

 

四の馬三つの車にのらぬ人 實の道をいかてしらまし

「駟(よつ)の馬四つの車に乗らぬ人と眞(まこ)との道ちをいかてしらまし」

 

 傘松道詠集十丁
 傘松道詠集十丁

 

 草庵雜詠

 

とゝまらぬ日影の駒の行すゑに のりの道うる人そすくなき

 

さなへとる夏のはしめの祈には 廣瀬龍田の祭をそする

「早苗(さなえ)とる春の始の祈(いのり)には廣瀬龍田の政(まつり)をそする」

 

草の庵に立ても居ても祈ること 我より先に人をわたさむ

「草庵に起きてもねても申す(いのる)こと我れより先に人を渡さん」

 

おろかなる心ひとつの行すゑを 六の道とや人のふむらん

「をろかなる心ろ一つの行く末えを六つの道とや人のふむらん」

 

草の庵にねてもさめてもまふすこと 南無釋迦牟尼佛あはれひ玉へ

「草の庵にねてもさめても申す事南無釈迦牟尼佛憐み給え」

 

山深み峯にも尾にもこゑたてゝ けふもくれぬと日くらしそなく

「山深み峯にも谷(に)も聲たてゝ今日もくれぬと日暮そなく」

 

我庵は越のしらやま冬こもり 凍も雪も雲かゝりけり

「我か庵は越しの白(しら)山ま冬ゆ籠り氷も雪も雲かゝりけり」

 

 傘松道詠集十一丁
 傘松道詠集十一丁

 

都には紅葉しぬらんおく山は 夕へも今朝もあられ降けり

「都には紅葉しぬらん奥山の今夜(こよい)もけさも霰(あら)れふりけり」

 

夏冬のさかひもわかぬ越のやま 降るしら雪もなる雷も

「夏つも冬も思いに分(わか)ぬ越(こし)の山ふる白雪も鳴るいかつちも」

 

梓弓春の嵐に咲ぬらむ 峯にも尾にも花匂ひけり

「あつさ弓春の山ま風せ吹ぬらん峯にも谷も花な匂いけり」

 

あし引の山鳥の尾の長きよの やみちへたてゝくらしけるかな

「足ひきの山ま鳥の尾のしたり尾の長(なか)々し夜も明けてける哉」

 

頼みこし昔あるしやゆふたすき あはれをかけよ麻の袖にも

「頼(たの)みこし昔のしゅうやゆうたすき哀(あわれ)をかけよあさのそてにも」

 

梓弓はるくれはつるけふの日を 引きとゝめつゝおしみもやらむ

「あつさ弓春る暮れ果(はつ)る今日(けう)の日を引き留めつゝをちこちやらん」

 

徒に過す月日はおほけれと 道をもとむる時そすくなき

「閑(いたつ)らに過す月日わ多けれと道をもとむる時そすくなき」

 

 傘松道詠集十二丁
 傘松道詠集十二丁

 

草の庵なつのはしめのころもかへ すゝきすたれのかゝるはかりそ

「草の庵夏の初めの衣もかえ涼(すゝし)き簾(すた)れかかるはかりそ」


心とて人に見すへき色そなき たゝ露霜のむすふのみして

「心ろとて人に見すへき色そなき只露(つゆ)霜もの結ふのみ身て」


いかなるか佛といひて人とゝは かひ屋かもとにつらゝいにけり

「如何なるか佛けと謂と人と問はゝかいやか下につらゝいにけり」


心なき草木も秋は凋むなり 目に見たる人愁ひさらめや

「心ろなき草木も今日はしほむなり目に見たる人と愁へさらめや」


おやみなく雪はふりけり谷の戸に 春來にけりと鶯そなく

「隙もなく雪はふれゝり谷深かみ春きにけりと鶯そなく」


六の道遠近まよふともからは 我父そかし我母そかし

「六つの道ち遠近(をちこち)迷う輩(ともがら)は吾か父そかし吾か母そかし」


賤の男の垣根に春の立ちしより 古野に生る若菜をそつむ

「賤士(しつのを)のかき根に春の立ちしより古るせにをうる若菜をそつむ」

 

 傘松道詠集十三丁
 傘松道詠集十三丁

 

大空に心の月をなかむるも やみにまよひて色にめてけり

「大空に心ろの月をなかむるも闇(やみ)に迷いて色ろにめてけり」

 

春風に我ことの葉のちりけるを 花の歌とや人の見るらん

「春風に吾か言の葉の散ぬるを花の歌とや人のなからん」

 

愚なる我は佛にならすとも 衆生を渡す僧の身ならん

「をろかなる吾れは佛けにならすとも衆生を渡す僧の身ならん」

 

山のはのほのめくよひの月影に 光もうすくとふほたるかな

 勅撰「新後拾遺和歌集」に有り

 

花紅葉冬の白雪見しことも おもへは悔し色にめてけり

「花な紅葉冬の白雪(しらゆき)見ることも思へはくやし色ろにめてけり」


 越前の國より都にをもむきし時木部山と云ふ所にて

草の葉に首途せる身の木の目山 空に路ある心地こそすれ

「草の葉にかとてせる身の木部山、雲にをかある心地こそすれ」

 

 傘松道詠集十四丁
 傘松道詠集十四丁

 

 無常

朝日待草葉の露のほとなきに いそきな立ちそ野邊の秋風

「朝さ日待つ草葉の露のほとなきに急(いそ)きな立ちそ野邊の秋風」

 

世中は何にたとへん水鳥の はしふる露にやとる月影


 建長五年中秋

また見んとおもひし時の秋たにも 今宵の月にねられやはする

 御入滅の年八月十五日夜御詠歌に云う。

「又見んと思いし時の秋たにも今夜の月に子(ね)られやはする。」


 道詠終

 

向に、好事の者有りて、済洞の道歌一冊を新出す。中に道元和尚伊呂波歌なるものを載せる。蓋し贋詠(にせうた)なり。後人辨ぜず。更に蛇足を加え但だ古徳を軽弄するのみに匪ず、且つ後生を欺瞞す。系孫爲る者、辨ぜしめて止む可んや。是の故に語を附して人に告ぐ。具眼は須く必ず點頭すべし。

(黒塗りの部分)(瑞)方杜多謹識

 

 大場南北・著 「道元禅師 傘松道詠の研究」
 大場南北・著 「道元禅師 傘松道詠の研究」

 

道元禅師の「傘松道詠」を研究した本に(著者)大場南北の「道元禅師傘松道詠の研究」(昭和四十五年七月一日・仏教書林中山書房・発行)がある。


その中、104頁に「面山本傘松道詠に対しての疑問」が書かれている。


『面山本傘松道詠には数多の疑問が伏在している。

 一、詠法華経五首をなぜ組み替えたか。

 二、詠法華経五首の位置を、なぜ草庵雑詠の直前のところに引下げたか。

 三、詠歌の配列が根底から覆がえしてある。

 四、題の下に配した詠歌の組み替えが施してある。

 五、歌の題が何故か改変されている。

 六、新らしい題は何に基づいたのか。

 七、新歌はどんな出典に依ったのか。

 八、面山和尚が手を加えたと思われる詠歌がある。

およそ以上の疑問点は、これを列挙に余り暇どらない程歴然としたものである。』


とあり、外にも面山本「傘松道詠」に対して、様々な疑問点を提出している。