明治校訂 洞上行持軌範
例言
一 本規編纂は明治二十年十一月、曹洞宗局甲第十四號普達の通り能本山貫首法雲普蓋禪師親から之を管掌せられ、加賀國金澤天徳院住職森田悟由、東京愛宕町青松寺住職北野元峰、石狩國樺戸郡月形村鴻春倪の三名を法式改正係に、丹後國竹野郡鳥取郡長命寺徒村上泰音を同係書記に命ぜられて、明治二十一年一月より着手し同年十一月に至て編纂完成を告くるを得たり。
一 本規の必要は従前洞上の行持法式區々に渉れるものを一定せしと欲するに在り。
其大綱を椙樹林指南記、僧堂清規、小清規の三に資る。
この三規は洞上現行の法式にして區々に渉れるの根原なるに由る。
而して之を照すに禪苑清規、大清規、瑩山清規、校定清規、備用清規、入衆日用清規、幻住菴清規、勅修百丈清規等の諸規を以てし、更に各地方叢林に別行する規式並末派僧侶中の建言上申及現今不文慣習の法を顧みて得失を参考し、専ら時機に適應する行持法を差定せり。
一 諸清規の異同及び本規の採る處にして尤も必要の箇所は本文中に挿注し、又は其の項の末尾に事由を記して得失を示す。
一 日分月分年分の名は僧堂清規に資る。日分は年中三百六十五日、毎日同様なる、一日一夜の行持法なり。月分は一月より十二月迄、毎月同様なる一ヶ月間の行持法なり。
年分は一年の中、其の日に限り、其の事に遇て各別に修するの行持法なり。
故に日分に記したることは、月分に記せず。
日分月分に記したることは、年分に記せず。
必ず三分を合看して始めて完全の行持法を得。
例せば一月一日は通常の日分と月分の一日と年分の一月一日と、この三を合して完全なる一月一日の行持法となる。
一月三日は通常の日分と月分の三日と年分の一月三日と、この三を合して完全なる一月三日の行持法となるなり。
餘は準知すべし。
一 本規の中の挿注に某々は別にありと記したる分は総て巻下に之を出す。
参看して其法を了知すべし。
一 本規中に諸清規を略称すること左の如し。
禪苑清規を禪苑。校定清規を校定。備用清規を備用。入衆日用清規を入衆。幻住菴清規を幻住。勅修百丈清規を勅修。大清規を大規。瑩山清規を瑩規。椙樹林指南記を椙記。僧堂清規を僧規。小清規を小規。黄檗清規を檗規とす。
以上
明治二十二年八月十日 印刷
[非賣品]
明治二十二年八月十五日 出版
著作者兼発行者 曹洞宗務局
(芝區芝榮町三番地)
右代表者 曹洞宗管長 瀧谷琢宗
(芝區芝榮町三番地)
印刷者 宮地久彦
(京橋區西紺屋町秀英舎)
印刷所 秀英舎
(京橋區西紺屋町二十六七番地)
参考
「大清規を大規」とあるのは「永平清規」のこと。
「小清規を小規」とあるのは「永平小清規」のこと。
改訂増補
明治校訂 洞上行持軌範
改訂増補の要領
大正七年六月再版に際し改訂増補したる要領左の如し。
一、祝聖其の他に於て従前今上皇帝と唱え奉りしを今上天皇陛下と改む。
一、天長節祝聖の月日を改む。
一、日分行持朝課諷経中に新に歴朝皇霊諷経を設け従前の祠堂諷経回向文中「本朝人王歴代皇帝各々神儀」の文を削る。
一、大師号宣下以前の太祖の称号を改め諸疏回向文を修正し特に太祖忌疏文中に大師号宣下の旨を加う。
一、現行結制安居法は夏會冬會共に各前中後三種の結制期日の規定ありて本軌範巻中年分行持法中結制に関する諸法式の月日は其の三種結制の内の中安居の期日に相当す依て前安居に據る結制の諸法式は其の前月の同日、後安居に據る結制の諸法式は其の翌月の同日と知るべき旨を巻中初丁冠註に掲載す。
一、年分行持の末に高祖降誕會太祖降誕會を追加す。
一、臨時行持法の末に尊宿葬儀法を追加す。
以上
明治二十二年八月十日 印刷 [定價金壹圓五拾銭]
明治二十二年八月十五日 出版
大正七年六月二十五日 改訂増補再版
大正十二年三月二十五日 改訂増補三版
昭和六年八月十日 改訂四版
昭和八年八月十五日 改訂五版
発行者 曹洞宗務院
右代表者 佐野良光
印刷者 寺井藤左エ門
印刷所 株式会社 秀英舎
發賣所 鴻盟社
昭和改訂 曹洞宗行持軌範
小序
一、行持軌範が、改訂いたされなければならないといふ要請が現はれてから、長い年月が経過した。
その間それぞれの人によって、攻究が重ねられてゐたのであった。
それが今ここに實を結んで、発布をみるに至ったのである。
一、改訂の要請は、時代意識の推移に因するものもあり、行持精神の透徹に因するものもあり、その他いろいろある。
それらに応対して遺漏なきを得ようとすることのために、相当の困難なきを得なかった。
一、ここに改訂いたされた行持軌範は、宗門の寺院である限り大本山たると末寺たるとを問わず、宗門の僧侶である限り僧階法階の何たるを問わず、乃至宗門の檀信である限り老若を問わず、その行持に於て、依遵いたすべきことを原則とするものである。
一、巻頭の目次によって、如何なる行持が日分に月分に年分に、乃至臨時に、いたされるべきであるかが明瞭になってゐる。
その行持の一々のことを知るためには、巻末につけた索引をひいてそれぞれ開き見れば、詳細に納得されるやうになってゐる。
一、この行持軌範の刊行には幾多の人の力に待つものがあった。
中に就ても永平寺監院丹羽佛庵、總持寺監院安藤文英の両師が参与として、来馬琢道(小)、松原國乗、山田霊林、榑林皓堂の四師が委員として、また服部松齊師が録事として、力を致されたものである。
昭和二十五年二月十五日
昭和二十五年四月一日 印刷
昭和二十五年四月八日 発行 [定價金 三百圓]
昭和二十五年九月二十五日 再版
発行者 曹洞宗宗務廳
宗務總長 小松原國乗
印刷者 熊崎閑田
印刷所 文化印刷株式会社
頒布所 曹洞宗宗務廳
頒布取次所 鴻盟社
「曹洞宗行持軌範」のその後の改訂
昭和27年(1952)10月 第三次改訂
両本山での行法相違点(住持検単の仕方、搭袈裟法、道師の燒香法など)が指摘され、その附設に重点がおかれ審議し改訂。
昭和41年(1952)5月 第四次改訂
山田霊林、榑林皓堂らが中心となり、宗門の伝統的な行持作法を保持し、その上、時代性を加えることを配慮した改訂。
昭和63年(1983)9月 第五次改訂
主に人権問題に関する改訂。