永平大清規

永平清規・乾坤(東川寺蔵書)
永平清規・乾坤(東川寺蔵書)
永平清規・玄透即中禅師・序-1
永平清規・玄透即中禅師・序-1
永平清規・玄透即中禅師・序-2
永平清規・玄透即中禅師・序-2
永平清規・玄透即中禅師・序-3
永平清規・玄透即中禅師・序-3
永平清規・玄透即中禅師・序-4
永平清規・玄透即中禅師・序-4

永平清規(永平大清規)』

 

『清規』とは、叢林(僧堂)で修行する者の依るべき規則である。

今、我々が見る『永平清規(永平大清規)』は道元禅師が纏めた『清規』ではなく、道元禅師がその生涯の中で折に触れ示訓した教規を、後世に纏め出版したものである。

この『永平清規(永平大清規)』はそれぞれ単独で成立した六編から成っている。

その六篇とは、下記の如くである。

 

典座教訓』、嘉禎3年(1237)酉春、宇治興聖寺示衆。

辨道法』、寬元3年(1245)春頃、大佛寺にて撰述か。

赴粥飯法』、寬元4年(1246)秋頃、永平寺にて撰述か。

衆寮箴規』、宝治3年(1249)正月、吉祥山永平寺衆寮箴規記。

對大己法』、寬元2年(1244)甲辰三月二十一日、在越州吉峰精舍示衆。

知事清規』、寬元4年(1246)丙午夏六月十五日、越宇永平開闢沙門道元撰。

以上のように、道元禅師の各編の撰述年代は様々である。

 

寛文7年(1667)、永平寺三十世光紹智堂禅師は祖山裏にこれらの規矩が秘藏され、叢林の雲衲達がなかなか目にすることの出来ない事を嘆き、この六編を纏め『日域曹洞初祖道元禪師清規』として刊行した。

後、寬政6年(1794)、備中圓通寺東堂・玄透即中老師(後、永平寺五十世禅師)は既刊の『日域曹洞初祖道元禪師清規』の中に字句の誤謬を認め、一二の道友に図って校正し、又、字義、音義、典拠、事略等は面山瑞方の『聞解』と瞎道本光の『參註』を参考に注記し、僧堂、衆寮の三図等を加え、『校定冠註永平元禅師清規』として寬政十一年(1799)秋に再版した。

 

これが現行の『永平清規(永平大清規)』の流布本の元であると云える。

尤も『永平大清規』と云う書名は、文化2年(1805)に玄透即中禅師が更に『永平小清規』三巻を刊行したことにより『小清規』に対して『大清規』と呼ばれるようになったのであるが。

これ以降、『冠註永平元禅師清規』、『増冠傍注・永平元禅師清規』、『永平大清規』、『道元禅師清規』、『永平元禅師清規』『永平道元禅師清規』などが出版されるようになった。

 

尚、安藤文英著『永平大清規通解』(昭和44年增補再版12頁)に「旧刊の誤錯を正して、穏達和尚に命じて、これを校合せしめ」と有り、又、大久保道舟訳註『道元禅師清規』(1987年第3刷276頁)にも「凡例によるに、穏達師は一二の道友と相詢り、舊刊の字畫の誤謬、句讀の錯亂を訂正し」と有る。しかし、この『永平清規』の『凡例』等には「穏達」の名が見えない。

 



永平元禅師清規

 

重刊永平清規序

 

欽み惟れば、我が承陽、鼻祖の清規を修して、一代の典型を立る。

將に以て化儀を海内に布いで、千百世を經て、泯ぜざらんことを欲する者か。

厥(そ)の大心の寓する所、大智復た作すれども、以て加ること蔑し。

獨り奈ん、法、久ふして弊生じ、弊盛んにして法衰ふは自然の勢なり。

悲しいかな、抦法の徒、駸々として、古を舎(す)て、今に趨(はし)る。

之れ能く復する莫し。

叢林、古きを挌(う)ち、漠然として地を掃ふ。

竟(つい)に、我が祖に、此の規の有るを知ること罔(なき)に至る。

間(まま)、一二の賢明、孜々然、翼々如として、力めて古法を行する者の有るも、

僅に群雞(ぐんけい)にして、一鶴のみ。

東都に一具壽の、余と相ひ厚き有り。

祖規を珍敬して、其の心、復古の運を冀ふや、年有り。

諸世の祖風の隆汚を視ること、猶を秦越の人の肥瘠を相ひ視る者を比すれば、

實に霄壤(しょうじょう)なり。

頃(このごろ)乃ち、夫の舊版莽鹵(きゅうはんぼうろ)にして、

考覧に便せざる者を慨念して、遂に有識に就て、之れを評論し、

之れを校讎し、盡く字畫傍點の譌謬(ぎみょう)を正し、

且つ其の字義音義、通曉し易すからざるは、冠するに、小註を以てす。

遂に改めて梓に授け、而して既已(すで)に成ることを告ぐ。

是れ其の志し、一に天下の後世に昭明して、同流の士をして、仝く共に遵守して、

以て砕身の報を擬せしめんと欲す。

尚古の忱(まこと)、勤たりと謂つべし。

公、素より山埜が不文を識ると雖も、其の慷慨(こうがい)是れ同じきを以て、

遠く書を林下に寄せ、一語を其の首に著せんことを乞ふ。

其の盛作を觀るに、即ち余、素より意有りて未だ遑(いとま)あらざる所の者、

而して一朝、具に出つ、欣躍、何ぞ言ふべけん。

余と公、既に是れ同聲、相應じ、同氣、相求む。

序、曷(なん)ぞ敢て辭せんや。

適(たまたま)旁らに議する者有り。

曰く、宗門の規矩に於けるは、猶を土苴(つちずと)のみ。

老漢、胡為(なんすれぞ)、禮法の精麁(せいそ)に汲汲たるや。

余曰く、吁(ああ)、戻れる哉、子(なんじ)が言や。

居する吾れ、汝に語らん、夫れ、西乾の大聖人、波羅提木叉を以て壽命と為す。

是れに繇(したが)つて、百丈氏の禪居、華夏にて建つるや、

創(はじむる)に清規を以てす。

佛祖の道、其の致(むね)を二にせず。

然るに則ち規矩は、叢林の元氣にして佛壽の延促(えんそく)、

焉に系(かかわ)る。

苟も主法の者、安ぞ擇らざる可んや。

故を以て、我が祖言う所は、列聖の眼睛なるは、

是れ亦た大規末章の親訓なり。

而して先緒を荒墜し、正宗を玷辱(てんじょく)し、

以て竊(ひそか)に遠裔の稱を叨(みだり)にするものは、

實に吾が忍びざる所なり。

子(なんじ)が言、豈に戻るに非ずや。

議する者、逡巡(しゅんじゅん)として退く。

因に併せ記して序となす。時に

 寬政第六龍、申寅に次る夏五月

 備の圓通東堂嗣祖比丘玄透中

  拜稽首敬撰  印 印

 


校訂冠註永平清規凡例

 

斯の書の舊刊は寛文丁未の歳、永平光紹禪師、適(たまたま)之れを蠧簡(とかん)内に得て、刻す所なり。謂つ可し、祖室に忠勤有りと。而れども 舊刊は剞劂莾鹵(きけつぼうろ)にして、字畫誤謬し句讀に錯亂す。殆ど讀む可からざる者なり。往往、之れ有りて讀む者は之れを憂ふ。故に今、一二の道友と相ひ詢り、之れを校讐し討論して、以て其の誤訛を訂正し、再び剞劂に命じて梓に上す。我が輩、固より管見蠡測(かんけんれいそく)にして、踈脱無きこと能はず。冀くは同流の賢哲、是正に吝(やぶさか)なること勿れ。

 

書中、間(まま)、字義音義の明了ならざる者の如きは、一を字典に依て其の義を精覈(せいかく)し、且つ文義の解し可かざる者、事略の分曉ならざる者の如きも、亦、一一上層に標掲し、或いは本文の傍らに細書して、註釋を附載し、初學をして看讀の一助に備はしむ。

 

冠註及び事略の如きは大概皆、古老の援引する所に依る。衆寮清規、對大己法等を釋するが如きは、全く瑞方の聞解、瞎道の參註に依て、其の文字を増減し、意を摘んで記註す。但、詳略の異同有るのみ。讀者訝(いかぶ)ること勿れ。

 

僧堂衆寮の二圖の如きは、舊本に之れを載せず。今、本き勅脩、校定、備用等の載する所の古圖に據り、其の圖様を寫して各處に附在す。夫れ明規一び勃興して其の弊、本邦に波及し、遂に吾が祖訓を蠡損(とそん)す。其の甚しき至ては、一に彼の弊規を愚信して、祖規を視ること宛も怨讐の如くす。是れを以て、祖風の振るはざること久しし。其の弊、遂に僧堂の古樣を翻修し、教家の十六觀堂に擬搆して是れを禪堂と稱し、衆寮の舊圖を革替して以て旦過寮と爲し、而して旦過を喚びて妄りに衆寮と稱するに至る。幸いに其の舊名を存すと雖も、徒らに平常、來賓を接待する所の處と爲し、全く其の實を失す。噫(ああ)惜しむ可きかな。庶幾は慕古の兒孫、二圖に依て古樣の本式を改觀し、乃祖創業の洪恩に報答せんことを。

 

 維れ時、寬政申寅   謹識

 


永平道元禪師清規篇次目録

 

乾之巻

校定冠註永平清規凡例

典座教訓 宇治縣興聖寺

辨道法  越州大佛寺

 附僧堂四板被位圖 並 凡例

赴粥飯法 永平寺

 附僧堂十二板首鉢位圖 並 凡例

 

坤之巻

衆寮清規 永平寺

 附衆寮十二板圖 並 凡例

對大己法 永平寺

知事清規 永平寺

 


 

大雄、肇めて作すより来れる禪規、日に多し。又、元師の筆有りて、並びて其の間に馳する者は、曾て城南興聖に寓してより、越北の永平に住するに至り、垂範する所の典座教訓、知事清規等の諸篇なり。中(なかごろ)塵に封じ霧に隠れて、見ること稍(やや)稀なり。聞くこと已に鮮なり。予來りて此の山に住するに逮(およ)び、適(たまたま)蠧簡裏にて之れに遇ふ。宛も陰晦の長夜に夜光の珠を得るが如し。喜躍、餘り有り。熟閲の間、文字素朴なる者有り。此れは是れ、國初の體なり。章句の不完なる者有り。此れは是れ魚魯の差なり。苟しくも其の華を採り、其の實を棄てなば、則ち豈に先誡を隨遵し、遺意を發揚することを得んや。故に今、梓に繡(ぬいと)り以て後來に告ぐ。其の規訓の爲に何ぞ弟なる知事典座等に推して之れを擴めんや。庶幾(こいねがふ)緇衣(しえ)に於いて之れを補せんことを。

 寛文丁未猛夏四月佛誕生日 現住永平光紹謹跋

  寬政己未仲秋東都龍鱗源克謹書

 

謹んで一偈を裁し、恭しく重刊冠註永平清規後に題す。

幾く歳か宗門祖規を癈す。宛も暗夜に燈を失するが如し。日光明照の時重ねて至る。目有りて何ぞ足に隨はざらんや。己未之夏

 勅特賜洞宗宏振禪師現住

  永平玄透盤談 印 印