永平家訓・下

永平家訓・上 より続く)

 

永平祖師家訓綱要 巻下

 遠孫 瑞方 謹輯

 

第六正傳三昧訓

 

(一)【47】

普勸坐禪儀

原るに夫れ道本と圓通、爭か修證を假らん。

宗乘自在、何ぞ功夫を費さん。

況や、全體迥かに塵埃を出、孰か払拭の手段を信ぜん。

太都そ當處を離れず、 豈に修行の脚頭を用ふる者ならんや。

然ども毫釐も差有れば、天地懸に隔たり、

違順、纔に起れば、紛然として心を失す。

直饒ひ會に誇り、悟に豊にして、瞥地の智通を獲、

道を得、心を明めて、衝天の志氣を擧し、

入頭の邊量に逍遥すと雖も、幾ど出身の活路を虧闕す。

矧んや彼の祇園の生知為る、端坐六年の蹤跡見つべし。

少林の心印を傳ふる、面壁九歳の聲名尚を聞ゆ。

古聖既に然り、今人盍ぞ瓣ぜざる。

所以に須く言を尋ね、語を逐ふの解行を休すべし。

須らく回光返照の退歩を學すべし。

身心自然に脱落して、本來の面目現前せん。

恁麼の事を得んと欲せば、急に恁麼の事を務めよ。

夫れ参禅は静室宜しく、飲食節あり。

諸縁を放捨し、萬事を休息して、善悪を思わず、是非を管すること莫れ。

心意識の運轉を停め、念想觀の測量を止めて、

作佛を圖ること莫れ。豈に坐臥に拘わらんや。

尋常、坐處には厚く坐物を敷き、上に蒲團を用う。

或は結跏趺坐、或は半跏趺坐。

謂く結跏趺坐は先ず右の足を以て左の腿(月坒)の上に安じ、

左の足を右の腿(月坒)の上に安ず

半跏趺坐は但だ左の足を以て右の腿(月坒)を壓すなり。

寛く衣帯を繋けて、齊整なら令む可し。

次に右の手を左の足の上に安じ、左の掌を右の掌の上に安じ、

両の大拇指面ひて相ひ拄う。

乃ち正身端坐して、左に側ち右に傾き、

前に躬り後に仰ぐことを得ざれ。

耳と肩と對し、鼻と臍と對せしめんことを要す。

舌、上の腭に掛けて唇歯相ひ著け、目は須らく常に開くべし。

鼻息微かに通じ、身相既に調えて欠氣一息し、

左右揺振して、兀兀として坐定して、

箇の不思量底を思量せよ。

不思量底如何が思量せん、非思量。

此れ乃ち坐禅の要術なり。

所謂、坐禅は習禅には非ず、唯だ是れ安楽の法門なり。

菩提を究盡するの修証なり。

公案現成、羅籠未だ到らず。

若し此の意を得ば、龍の水を得るが如く、

虎の山に靠るに似たり。

當に知るべし、正法自ら現前し、

昏散先ず撲落することを。

若し坐從り起たば、徐徐として身を動かし、安祥として起つべし。

卒暴なる應らず。

嘗て觀る、超凡越聖、坐脱立亡も、此の力に一任することを。

況や復、指竿針鎚を拈ずるの轉機、拂拳棒喝を擧するの證契も、

未だ是れ思量分別の能く解する所に非ず。

豈に神通修證の能く知る所とせんや。

聲色の他の威儀たるべし。

那ぞ知見の前きの軌則に非ざる者ならんや。

然れば則ち上智下愚を論ぜず、利人鈍者を簡ぶこと莫れ。

専一に工夫せば、正に是れ瓣道なり。

修證自ずから染汚せず、趣向更に是れ平常なる者なり。

凡そ夫れ自界他方、西天東地、等しく佛印を持し、一ら宗風を擅にす。

唯だ打坐を務めて兀地に礙えらる。

萬別千差と謂うと雖も、祇管に参禪瓣道すべし。

何ぞ自家の坐牀を抛卻して、謾りに他國の塵境に去來せん。

若し一歩を錯れば、當面に蹉過す。

既に人身の機要を得たり、虚しく光陰を度ること莫れ。

佛道の要機を保任す、誰か浪りに石火を楽しまん。

加以ず、形質は艸露の如く、運命は電光に似たり。

倐忽として便ち空じ、須臾に即ち失す。

冀くは、其れ参學の高流、久しく模象に習って、真龍を恠しむこと勿れ。

直指端的の道に精進し、絶學無為の人を尊貴し、

佛佛の菩提に合沓し、祖祖の三昧を嫡嗣せよ。

久しく恁麼なることを為さば、須らく是れ恁麼なるべし。

寶蔵自ら開けて、受用如意ならん。

 

※(永平廣録注解全書下191~193頁)

 

(二)【48】

坐禪箴

佛佛の要機、祖祖の機要。

不思量にして現じ、不回互にして成ず。

不思量にして現ず、其の現ずること、自ら親し。

不回互にして成ず、其の成ずること、自ら證なり。

其の現、自ら親し、曽て染汚無し。

其の成、自ら證なり、曽て正偏無し。

曽て染汚無きの親、其の親、委すること無きて脱落す。

曽て正偏無きの證、その證、圖すること無きて功夫す。

水、清くして地に徹す。

魚、行きて魚に似たり。

空、闊して天に透る。

鳥、飛んで鳥の如し。

 

※(永平廣録注解全書下212頁)

(三)【49】

擧す、龍樹祖師曰く、

坐禪は諸佛の法なり。

而して、外道の亦た坐禪有り。

然りと雖も、外道は着味の過有り。

邪見の刺有り。

所以に諸佛の坐禪に同じからず。

二乘聲聞も亦た坐禪有り。

然りと雖も、二乘は自調の心有り、求涅槃の趣有り。

所以に諸佛菩薩の坐禪に同じからずと。

師曰く、龍樹祖師、既に恁麼に道ふ、

須く知るべし、二乘外道に坐禪の名有りと雖も、

佛祖相傳の坐に同じからず。

近代宋朝、諸山の杜撰の長老等、未だ此れらの道理を知らず。

蓋し是れ佛法の衰微なり。

兄弟、須く知るべし、祖師唯だ佛法の正脉を傳へて、

面壁坐禪す。

後漢の永平より、以來だ文に依て義を解するの坐有りと雖も、

全く其の實無し。

唯だ獨り祖師の傳のみ(而已)。

誠に是れ佛法の親傳なつ者なり。

面壁坐禪、佛祖傳ふ。

外道二乘の禪に同じからず。

機先開き得たり、機先の眼。

譬へば朧月火中の蓮の如し。

 

※「永平廣録七巻二十二丁」上堂龍樹祖師曰坐禪則・・・ (永平廣録注解全書中624~625頁)

 

(四)【50】

曰く、衲子の坐禪は直に須く端身正坐を先と為すべし。

然して後、調息致心す。

若し是れ小乘は元と二門有り。

所謂、數息不淨なり。

小乘人は數息を以て、調息と為す。

然れども、佛祖の辨道は永く小乘に異なり。

佛祖曰く、白癩野干の心を發すと雖も、

二乘自調の行を作すこと莫れ。

其の二乘とは如今、世に流布する、

四分律宗、倶舎宗等の宗是れなり。

大乘も亦た調息の法有り。

所謂、是の息は長、是の息は短と知る。

乃ち大乘調息の法なり。

息、丹田に至り、還た丹田從り出つ。

出入、異と雖も倶に丹田に依て入出す。

無常、暁とし易く、調心、得易き。

先師天童曰く、息入來て丹田に至る。

然りと雖も、從來の處無し。

所以に長ならず、短ならず、息、丹田を出て去る。

然りと雖も、去處を得ること無し。

所以に短ならず、長ならずと。

先師、既に恁麼道く、永平に或いは人有りて

和尚如何が調息すと當はば、只だ他に向て道ん、

大乘に非ずと雖も、小乘に異り、

小乗に非ずと雖も、大乘に異る。

他、亦た畢竟如何と問ふ有れば、他に向て道ん、

出息入息、長に非ず、短に非ず。

或は百丈に問ふこと有り。

瑜伽論、瓔珞経は大乘の戒律、何ぞ依随して行ぜざるやと。

百丈曰く、吾が宗とする所は、大小乘に局するに非ず、

大小乘に異なるに非ず。

當に博約折中して制範を設けて、其の宜しきを務むべし。

百丈恁麼に道ふ、永平は即ち然らず。

大小乘に局するに非ずに非ず、

大小乘に異なるに非ずに非ず。

作麼生か是れ小乘、驢事未だ了らず。

作麼生か是れ大乘、馬事到來す、不博なり。

極大は小に同じ、不約なり。

極小は大に同じ、吾れ折中せず。

驀然として大小を脱落す。

既に恁麼を得、向上又た且つ如何。

良久して云く、健は即ち坐禪して瞌睡無し、

飢來は喫飯、大に飽を知る。

 

※「永平廣録五巻二十丁」上堂衲子坐禪直須端身・・・ (永平廣録注解全書中284~285頁)

 

(五)【51】

曰く、七佛の蒲團、今、穿せんと欲す。

先師の禪板已に相傳ふ。

眼睛鼻孔、端直なる可し。

頂は晴天に對し、耳は肩に對す。

正當恁麼の時、又、作麼生。

良久して云ふ、

他の心猿意馬を管すること莫れ。

功夫は猶、火中の蓮の若し。

 

※「永平廣録五巻一丁」上堂七佛蒲團今欲穿・・・ (永平廣録注解全書中187頁)

 

(六)【52】

曰く、佛法を會し、神通を得るは古來の佛祖なり。

成佛作祖、容易なることを得ず。

但し神通を得る者、是れを老老と稱し、

佛法を會する者、是れを大大と稱す。

大を會し、老を得る、只管に職と、

究理辨道に由るなり。

趙州云く、兄弟但し理を究め坐して看よ、

三二十年して若し道を得せずんば、老僧が頭を取りて去れ。

大小便を酌む杓と作せと。

古佛恁麼に説き、今人恁麼に行ず。

甚と為か謾と作す。

只だ是れ、聲色の攀縁、期せず計會して、

未だ解脱すること能はず。

憐れむ可き哉。

恁麼人を容得して、徒に聲色塵中に出沒するに勞す。

如今、時縁に逢ふを得、

焼香、禮拝、念佛、修懺、看經を抛却して、

祇管に打坐しべし。

記得す、趙州、雲居に到る。

居云く、老老大大、何ぞ箇の住處を覔めざる。

州云く、作麼生か是れ某甲が住處。

居云く、山前に古寺の基有り、

州曰く、和尚自ら住取せば好しと。

恁麼の事、此れは是れ、佛法を會する者の、神通を現ずるなり。

十聖三寶等の行履する所に同じからず。

興聖、雲居に代て、一上の神通を現ぜん。

前回既に云ふ、作麼生か是れ某甲が住處と。

後頭に云へること有り。

和尚自ら住取せよと。

既に恁麼を得たり。

須く、是れ恁麼なるべし。

作麼生か道ん、住せり、住せり。

 

※「永平廣録一巻十四丁」上堂云會佛法得神通・・・ (永平廣録注解全書上85頁)

 

(七)【53】

曰く、大衆夫れ學道は大に容易ならず。

所以に古聖先徳、善知識の會下に參學して、

粗(ほぼ)、二三十年を經て、究辨す。

雲岩道、吾四十年の辨道、船子和尚薬山に三十年在こと。

只だ箇れ此の事を明め得たり。

南嶽大惠、曹谿に參學すること一十五年、

臨濟、黄蘗山に在て、松杉を裁ゆること、

三十年にして此の事を辨ず。

然らば則ち、當山の兄弟、光陰を惜んで坐禪辨道すべき者なり。

諸縁に牽かるること莫れ、諸縁若し牽れば、

塵中俗家に在りて、空く寸分の時光を過ごす者なり。

擧頭彈指歎息して、須く寸陰分陰の空く過ごすを惜しむべし。

是れ則ち、法身を惜しむことなり、坐禪を惜しむことなり。

初祖西來して諸行を務めず、經論を講さず、

少林に在ること九年。

但、面壁坐禪のみ(而己)。

打坐は則ち正法眼藏、涅槃妙心なればなり。

嫡嫡面授、親しく密印を承けて、

師資の骨髓證契、見(み)傳ふ。

唯だ此の一事、實にして餘事は即ち是ならず。

所以に梁の武帝、初祖に問ふ。

如何か是れ聖諦第一義。

祖曰く、廓然無聖。

帝曰く、朕に對する者は誰そ。

祖曰く、不識と。

只遮の不識、人の知得すること無し。

已に數代を經て、如今、大宋現在の諸山に、

猊座に坐して人天の師と稱する者、

未だ嘗て會することを得ず。苦かな、苦かな。

何に況んや、我が日本國裡の人、箇の會を得る人有らんや。

汝等諸人、初祖の不識を會んと要すや、他(また)無しや。

夫れ佛祖の家裡、本と心性佛性識性底の道理無し。

只だ風火の因縁和合に依て、動轉施為有り。

而を愚人、動轉施為を認めて、以て識神と爲す者なり。

大衆、這箇の道理を會せんと要すや。

良久して曰く、廓然無聖不識。汝得皮肉骨髓。

人有り更に如何と問はば、伊をして三拜、位に依ら教ん。

 

※「永平廣録四巻十四丁」上堂大衆夫學道大不容易・・・ (永平廣録注解全書中91~92頁)

(八)【54】

曰く、佛佛祖祖、正傳の正法は唯だ打坐のみ(而己)。

先師天童、衆に示して曰く、汝等、大梅法常禪師、

江西馬大師に參ぜん因縁を知るや、不や。

他、馬祖に問ふ、如何が是れ佛。

祖曰く、即心即佛と。

便ち禮辭し、梅山の絶頂に入りて、

松花を食ひ、荷葉を衣て、日夜坐禪して、

一生を過ごし、将に三十年ならんとす。

王臣に被らず、檀那の請に赴かず、乃ち佛道の勝躅なり。

測り知りぬ、坐禪は是れ悟來の儀なることを。

悟とは只管坐禪のみ(而己)。

當山始めて僧堂有り。

是れ日本國、始て之れを聞き、始て之れを見、

始て之れに入り、始て之れに坐す。

學佛道人の幸運なり。

後、僧有り、大梅に向て道ふ、

和尚、馬大師に見(まみえ)て、

何の道理を得てか、便ち此の山に住すと。

大梅道く、馬祖、我に向て道ふ、即心即佛と。

僧云く、馬祖の佛法、近日又た別なり。

大梅云く、作麼生か別なる。

僧云く、近日道く非心非佛と。

大梅云く、這の老漢、人を惑亂する、

未だ了期有らざること在り。

任他、非心非佛、我は祇管に即心即佛と。

僧歸て、祖に擧似す。

祖曰く、梅子熟せりと。

然れば則ち、即心即佛を明め得る底の人、

人間を抛捨して深く山谷に入り、晝夜坐禅するのみ(而己)。

當山の兄弟、直に須く専一に坐禪しべし。

虚く光陰を度ること莫れ。

人命無常、更に何れの時をか待たん。

祈禱、祈禱。

大衆、即心即佛底の道理を會せんと要すや、也(また)無や。

良久して曰く、即心即佛、甚く會し難し。

心は牆壁瓦礫、佛は泥團土塊。

江西道ひ來る拖泥帯水。

大梅悟來依草附木。

即心即佛、什麼の處にか在る。喝。

 

※「永平廣録四巻十九丁」上堂佛佛祖祖正傳正法・・・ (永平廣録注解全書中126~127頁)

 

(九)【55】

曰く、近來好坐禪の時節なり。

時節若し過は什麼の著力か有らん。

如し、著力無んば、如何が瓣肯せん。

時節の力を借は、容易に辨道す。

如今、春風飈飈、春雨霖霖。

父母所生の臭皮袋、猶を之れを惜しむ。

況や、佛祖正傳の骨肉髄、豈に之れを輕せんや。

之れを輕する者は眞箇是れ畜生。

良久して云く、

春功不到の處、枯樹復花を生す。

九年人、識らず、幾度か流沙を過ぐ。

 

※「永平廣録一巻三十四丁」上堂云近來好坐禪時節・・・ (永平廣録注解全書上233頁)

 

(十)【56】

曰く、佛佛祖祖の坐禪は是れ動静にあらず。

是れ修證にあらず。

身心に拘わらず。

迷悟を待たず。

諸縁を空せず。

諸界に繫れず。

豈に、色受想行識を貴んや。

學道は受想行識を用ひず。

若し受想行識を行すれば、

即ち是れ、受想行識、學道に非ず。

既に是れ恁麼、如何が用心せん。

良久して曰く、生死事大、無常迅速。

 

※「永平廣録四巻七丁」上堂云佛佛祖祖坐禪不是動静・・・ (永平廣録注解全書中176頁)

 

(十一)【57】

曰く、佛佛祖祖の家風は坐禪辨道なり。

先師天童曰く、結跏坐は乃ち古佛の法なり。

參禪は身心脱落なり。

焼香、禮拝、念佛、修懺、看經を要さず。

祇管打坐して始めて得んと。

夫れ坐禪は乃ち第一に瞌睡すること莫れ。

是れ刹那臾と雖も、猛壯を先と爲す。

祖師の曰く、一小阿蘭若、獨り林中に在て、

坐禪して懈怠を生すが如し。

林中に神有り、是れ佛弟子なり。

一の死尸骨の中に入りて、歌儛して來り。

此の偈を説て言く、林中の小比丘、何を以てか懈怠を生ず。

晝來るに若し畏れずんば、夜當に更に復た來る。

是の比丘、驚怖し起坐して、内に自ら思惟す。

中夜に復た睡る。

是の神、復、十頭を現ず。

口中に火を出し、牙爪、劔の如し。

眼、赤くして炎の如し。

顧み語て、将に從て此の懈怠の比丘を捉へんとすべし。

尓の時、是の比丘大に怖れ、即起きて思惟す。

専精に法を念じ阿羅漢道を得たり。

是れを自強精進と名ずく。

不放逸の力、能く道果を得る。

誠なる哉、誠なる哉。

勸勵有るが如くんば、即ち能く精進し、

辨道坐禪して、大事因縁を成就するなり。

又、世尊の在世、一の比丘有り、十四難中に於て、

思惟観察すれども、通達すること能はず。

心、忍ぶこと能はず、衣鉢を持して、佛所に至る。

佛に曰して言く、佛能く我が爲に此の十四難を解して、

我が意をして了ぜ使め、當に弟子と作るべし。

若し解すこと能ずば、我れ當に更に餘道を求むべし。

佛告く、癡人汝本と我に告げて、

若し十四難を答へば汝我が弟子に作んと誓すこと要すや。

比丘言く、不なり。

佛言く、汝癡人今何を以てか言ふ、

若し答へずば、我れ弟子と作さず。

我、老病死人の爲めに説法濟度す。

此の十四難は是れ闘諍の法なり。

法に於て益無し。

但し是れ戲論なり。

何の用か問ふことをせん。

若し汝が爲に答ども、汝が心、了せず。

死に至るまで解せず。

生老病死を脱することを得ること能はず。

譬ば人有るが如く、身に毒箭を被る。

親屬、醫を呼び、箭を出し薬を塗らんと欲す。

更に言く、未だ箭を出すべからず。

我れ先ず、當に汝が姓字と親里と父母と年歳とを知るべし。

次に箭の出處を知らんと欲す。

何の木にして、何の羽にして、箭鏃を作る者は何人ぞ。

作るは何ん等の鐵ぞ。

復、弓を知らんと欲す。

何れの山の木ぞ。

何に虫の角ぞ。

復、薬を知らんと欲す。

是れ何の處にか生す。

是れ何の種名ぞと。

是の如き等の事、盡く了了として之れを知り、

然して後、汝が箭を出し薬を塗ることを聴かん。

佛、比丘に問ふ、此の人、此の衆事を知り、

然る後に、箭を出すことを得るべきや、不や。

比丘言く、知る得べからず。

若し盡の知ることを待てば、此れ則ち已に死せん。

佛言く、汝亦是の如く邪見の箭に愛毒を塗りて、

已に汝が心に入るが爲に、此の箭を抜かんと欲して、

我が弟子と作る。

而るに箭を抜くことを欲せずして、

世間の常と無常と邊と無邊等を求め盡さんと欲す。

之れを求めて、未だ得ざるに、則ち慧命を失し、

畜生と同じく死して、自ら黑闇に投ぜん。

比丘、慚愧して深く佛語を識り、

即、阿羅漢の道を得たり。

近日、我等、聖を去ること、時遠し。

悲しむべし、歎くべし。

然る所以は如來涅槃二千餘年、人の箭を抜くこと無く、

又、佛弟子の林神と爲りて我が黨を勸勵すること無し。

之れを如何とか爲せん。

然も是の如くと雖も、虚く今時の光陰を度るべからず。

當に頭燃を救て坐禪辨道すべき者なり。

佛佛祖祖、嫡嫡面授は坐禪を先と爲すなり。

因て茲に世尊六年端坐して辨道す。

乃至、日日夜夜、先ず坐禪して、然る後、説法す。

嵩嶽の嚢祖九年面壁して、今兒孫、世界に遍満し、

乃至、當山に佛祖の大道を傳來す。

則ち時の運なり。

人の幸なり。

何ぞ瓣ぜざるや。

坐禪は身心脱落なり。

四無色に非ず。

亦、四禪に非ず。

先聖、猶を、不識。

凡流、豈に圖るべけんや。

如し、人有り、作麼生か是れ永平が意と問はば、

秖、他に向て道ん、夏に入て而も開く日に向ふ蓮と。

伊若し、這箇は是れ長蓮牀上の學得底、

佛祖向上、又た作麼生と道はばと云て、

良久して曰く、鼻と臍と對し、耳は肩に對す。

 

※「永平廣録六巻九丁」上堂佛佛祖祖家風坐禪・・・ (永平廣録注解全書中404~407頁)

(十二)【58】

曰く、記得す、先師天童、天童に住する時、

上堂し衆に示して曰く、衲僧打坐す。

正恁麼の時、乃ち能く盡十方世界の諸佛諸祖を供養す。

悉く香花燈明珍寶妙衣種種の具を以て恭敬供養すこと、

間斷無し。

汝等知るや、見るや。

若し他(また)知得せば道ふこと莫れ。

空く過ごすと。

若し他(また)、未だ知らず、

當面に諱却することを得ること莫れと。

師曰く、永平、忝くも天童の法子爲り。

天童と同く歩を擧せず。

然りと雖も、天童の打坐に一等し來れり。

如何が天童堂奥の消息を通ぜん。

且く道へ、作麼生か是れ恁麼の道理。

良久して云く、衲僧打坐の時節、

道ふこと莫れ、塼を磨し、車を打すと。

十方佛祖に供養す、妙衣と珍寶と香花と。

正當恁麼の時、更に雲の爲に水の爲に示誨の處有りや。

大衆を顧視して云く、

凡類、何ぞ能く聞見し及ぼさん。

自家一び喫す、趙州の茶。

 

※「永平廣録七巻二十六丁」上堂云記得先師天童住・・・ (永平廣録注解全書中639頁)

 

(十三)【59】

曰く、惜しむべきや、皮肉骨髓。

知音、知りて後、更に知音。

時の人、西來意を問はんと欲す。

面壁九年、少林に在り。

 

※「永平廣録五巻一丁」上堂可惜哉皮肉骨髓・・・ (永平廣録注解全書中190頁)

 

(十四)【60】

擧す、世尊、阿頭摩國林樹下に在し、禪定に入る。

是の時、大雨雷電霹靂。

四の特牛耕者二人有り。

聲を聞て、怖れて死す。

須臾に便ち晴れる。

佛起きて經行す。

一の居士有り。

佛足を禮し、已りて、佛の後に随從して、

佛に曰して言く、世尊、向(さき)の雷電霹靂、

四の特牛耕者二人有り、聲を聞て、怖れて死す。

世尊聞くや、不や。

佛言く、聞かず。

居士言く、佛時に睡るや。

佛言く、睡らず。

曰く、無心想定に入るや。

佛言く、不なり。

我れ心想有り、但し定に入るのみ。

居士言く、未曾有なり。

諸佛の禪定、大に甚深と爲り、

心想有りて禪定に在り。

是の如くの大聲覺して聞かずと。

師云く、永平敬讃して言く、心想有りて、禪定に入る。

三十四心計會す。

朝四暮三用ひ得て、堂中、皮袋を及盡す。

 

※「永平廣録五巻七丁」上堂擧世尊在阿頭摩國・・・ (永平廣録注解全書中227~228頁)

 

(十五)【61】

擧す、薬山、因に僧問ふ。

兀兀地、什麼をか思量す。

山曰く、箇の不思量底を思量す。

僧曰く、不思量底、如何が思量す。

山曰く、非思量。

師云く、有心已に謝す、無心未だ様ならず。

今生の活命、清淨を上と爲す。

 

※「永平廣録五巻八丁」上堂擧薬山因僧問兀兀地・・・ (永平廣録注解全書中231頁)

 

(十六)【62】

擧す、南嶽初めて六祖に參す。

祖問ふ、什麼れの處より來る。

南嶽曰く、嵩山の安國師の處より來る。

祖曰く、是れ什麼物か恁麼に來る。

南嶽、措くとこ罔し。

八載を經て、後、六祖に告げて曰く、

懷讓、當初來る時、和尚某甲を接し、

是れ什麼物か恁麼に來ると云ふことを會得す。

六祖曰く、汝作麼生か會す。

南嶽曰く、説似一物即不中。

六祖曰く、還て修證を假や、不や。

南嶽曰く、修證は即ち、無にあらず、汚染は即ち得ず。

六祖曰く、是の不汚染即ち諸佛の所護念なり。

吾も亦是の如く、汝も亦是の如し。

乃至、西天諸祖も亦是の如しと。

師曰く、曹谿南嶽、既に恁麼に道く、

永平今日豈に道處無からんや。

且、道く、大衆還て委悉せんと要すや。

羅漢果頭新檡滅。

憍陳如、無生を證得す。

正當恁麼の時、又且つ如何。

良久して曰く、

讓公、笑ふ可し當初の事。

力を盡して道來る八九成。

 

※「永平廣録五巻八丁」上堂擧南嶽初參六祖問・・・ (永平廣録注解全書中232~233頁)

 

(十七)【63】

曰く、衲僧の學道、參禪を要す。

脱落身心法見傳。

一切の是非、都て管せず。

小小に同じからず、普通の年。

 

※「永平廣録五巻九丁」上堂衲僧學道要參禪・・・ (永平廣録注解全書中236頁)

 

(十八)【64】

師、拂子を以て、一圓相を打して曰く、身心脱落なり。

用て勤せず。

拂子を以て、一圓相を打して曰く、脱落身心なり。

寂して滅せず。

二乘は困して空無に堕し、

凡夫は執して分別に纏はる。

菩薩、這裡に到りて區區として進修し、

諸佛は這裡に到りて■(口勞)■(口勞)として演説す。

三乘を妙出して、萬劫を功超す。

水月茫茫として、舟棹閑なり。

雪雲冉冉として、路岐絶す。

既に恁麼の田地に到り、又、作麼生。

良久して曰く、大辨は訥の若く、大功は拙の若し。

 

※「永平廣録六巻四丁」上堂以拂子打一圓相・・・ (永平廣録注解全書中370~371頁)

 

(十九)【65】

曰く、溶溶曵曵、山上の雲、潺潺湲湲、山下の水。

試みに問ふ其の間雲水の人、

更に何れの處に於てか、諸已を覓めん。

其の心を脱落して、法、見聞を超ふ。

其の智を究盡して、道、情謂を超ふ。

正當恁麼の時、諸人の體上に於て、又、作麼生。

兩耳生來、兩肩に對し、靈雲曽て悟る桃花の邊。

 

※「永平廣録六巻四丁」上堂溶溶曵曵山上雲・・・ (永平廣録注解全書中376頁)

 

(二十)【66】

曰く、身心脱落好坐禪。

猛く功夫を作して鼻孔穿つ。

業識茫茫、本の據るべき無し。

他に非ず、自に非ず、衆生に非ず、因縁に非ず。

然かも是の如しと雖も、喫粥を先と爲す、

 

※「永平廣録四巻十五丁」上堂身心脱落好坐禪猛・・・ (永平廣録注解全書中99頁)

(二十一)【67】

 曰く、坐禪と謂ふは雲煙を坐斷して、功を借りず。

打成一片、未だ曾て窮らず。

身心脱落、何の支体して、豈に骨髓の中に相傳すべけんや。

既に恁麼、如何が通せん。

瞿曇の手脚を奪却して、一拳に虚空を拳倒す。

業識茫茫、本と無し。

種草莖莖、風を發す。

 

※「永平廣録六巻二十丁」上堂謂坐禪者坐斷雲煙・・・ (永平廣録注解全書中453頁)

 

(二十二)【68】

 曰く、功夫猛烈、生死に歒す。

誰か愛せん、世間の四五支。

縦ひ少林三拜の古を慕も、何ぞ忘れん端坐六年の時。

恁麼に見得して、永平門下、又、作麼生か道ん。

良久して曰く、今朝九月是れ初一。

打板坐禪、臼(舊)儀に依る。

切に忌む、睡中に惑を除んと要すこと。

瞬目及び楊眉せ教ること莫れ。

 

※「永平廣録六巻二十一丁」九月初一上堂功夫猛烈・・・ (永平廣録注解全書中457頁)

 

(二十三)【69】

 曰く、甎を磨して鏡と作す。

積功累徳に酬答す。

鏡を磨して甎と作す。

必ず智惠の資糧に由る。

鏡を磨して鏡と作す。

笑殺す我が手、何の佛手に似たる。

坐禪作佛、草を取りて道場に坐す。

甚と爲か恁麼なる。

良久して曰く、一車、打せ被て諸車快し。

一夜、花開て世界香し。

 

※「永平廣録六巻二十二丁」上堂磨甎作鏡酬答・・・ (永平廣録注解全書中462~463頁)

 

(二十四)【70】

 曰く、山に登れば須く頂きに到るべし。

海に入れば須く底に到るべし。

山に登て頂きに到ざれば、宇宙の寛廣を知らず。

海に入て底に到ざれば滄溟の淺深を知らず。

既に寛廣を知り、又、淺深を知る。

一蹋蹋翻す四大海。

一推推倒す須彌山。

恁麼に手を撒きて家人に到る。

甚麼と爲か識ざる。

雀噪鴉鳴、栢樹の間。

諸人、委悉せんと要すや。

良久して曰く、

觀樹經行三七日。

明星出現して雲漢を照らす。

等閑に坐破す金剛座。

誰か測らん吾が家、壁觀有ることを。

 

※「永平廣録四巻四丁」上堂登山須到頂入海・・・ (永平廣録注解全書中20頁)

 

(二十五)【71】

曰く、本際光を以て、長夜の暗を洗う。

恁麼の時に當て、人人耳裡、塗毒皷を一撃兩撃す。

法性の智を以て、塵劫の疑を破す。

恁麼の時に當て、箇箇の鼻孔、返魂香を百爇千爇す。

恁麼の行履、作麼生か道取せん。

良久して曰く、鐵牛頭白して三角を戴く。

石女壯年、百媚を帯ぶ。

 

※「永平廣録三巻十七丁」上堂以本際光洗長夜暗・・・ (永平廣録注解全書上535~536頁)

 

(二十六)【72】

曰く、記得す、黄蘗、百丈に問ふ、

從上の諸聖、何の法を以てか人に示す。

百丈、良久す。

黄蘗曰く、後代の兒孫、何を将てか傳授せん。

百丈曰く、将に謂へり、汝は是の箇人と。

便ち方丈に歸る。

忽ち人有りて、

永平に從上の諸聖、何の法を将か示すと問はば、

秖だ他に向て道ん。

永平が蒲團を以て、人に示すと。

所以に曰く、吾れ本來此の土、傳法救迷情と。

後代の兒孫、何を将てか傳授せん。

秖だ他に向て道ん。

永平が拳頭を以て傳授せよと。

所以に曰く、一花開五葉、結果自然成。

 

※「永平廣録六巻五丁」上堂曰記得黄蘗問百丈・・・ (永平廣録注解全書中380頁)

 

(二十七)【73】

曰く、古徳曰く、皮膚脱落盡

先師曰く、身心脱落と。

既に這裡に到て、且つ作麼生。

良久して曰く、誰か道ふ、即心即佛、非心非佛、非道と。

若し人、祖師の意を知んと欲せば、

老兎巣寒くして鶴夢覺ん。

 

※「永平廣録六巻五丁」上堂古徳曰皮膚脱落盡・・・ (永平廣録注解全書中381~382頁)

 

(二十八)【74】

曰く、先師衆に示して曰く、參禪は身心脱落なりと。

大衆還て恁麼の道理を委悉せんと要すや。

良久して曰く、

端坐身心脱落。祖師の鼻孔空花。

正傳の壁觀三昧。後代の兒孫、邪を説く。

 

※「永平廣録四巻十九丁」上堂先師示衆曰參禪者・・・ (永平廣録注解全書中125頁)

 

(二十九)【75】

曰く、蒲團に坐して、能く無量の諸佛を生ず。

生即ち無生。

禪版を拈して、能く清淨法輪を轉ず。

直に得たり、頭頭無間に佛を見て、異なること無く、

相好即ち眞なり。

時時無間に經を聞て、聲色に落ちず、方に妙なることを。

然も是の如しと雖も、光影門頭了事底の漢は即ち得たり。

秖だ賓主未分影像未判の時の如くんば、如何が履踐せん。

良久して曰く、

鼻孔、開口を笑ひ。眼睛、斗牛を望む。

風雲、暁を犯さず、天水、秋に合同す。

 

※「永平廣録六巻二十五丁」上堂坐蒲團能生無量諸佛・・・ (永平廣録注解全書中485頁)

 

(三十)【76】

曰く、塼を磨して鏡と作す、是れ功夫。

兀兀思量道、豈に疎ならずや。

那邊に向て瞥地を尋んと欲して、

又、這裡に來て觜盧都。

且く道は、大衆、永平、古人と同じか是れ別か。

試みに請ふ、道看。

儻し或は未だ道はず、永平、諸人と道ん。

良久して、拂柄を以て禪床を撃して、下座す。

 

※「永平廣録四巻五丁」上堂磨塼作鏡是功夫・・・ (永平廣録注解全書中26~27頁)

 

(三十一)【77】

曰く、蒲團に倚坐し、箇の非思量を思量す。

精魂を鼓弄して、奇恠なり。

魔魅魍魎。

住山の老僧、一口に佛と衆生とを呑む。

踞地の獅子一捉に、兎と猛象とを得たり。

圖佛坐佛の磨甎を打碎し來り。

三乘五乘の疑網を笑殺し去る。

切に忌随して他に悟道明心することを。

何ぞ怕れん、渠儂、顛倒妄想。

久く直指單傳を抛て、只だ是れ虚を承て、響を接す。

句來の道理、還て委悉し得んと要すや。

良久して曰く、

五葉花開く劫外の春。

一輪月白し、暁天の上。

 

※「永平廣録四巻七丁」九月初一上堂倚坐坐蒲團兮・・・ (永平廣録注解全書中43頁)

 

(三十二)【78】

曰く、即ち是の身心、陰聚に非ず。

妙存卓卓、豈に情縁となすや。

無來無去、聲色に應ず。

還て我れ、中を翻し、從て邊に入る。

對待を亡じて、脚跟、地に點ず。

何んの生滅して、氣宇、天を衝く。

然も是の如くと雖も、言ふこと勿れ。

殺佛、終に果無しと。

得佛由來、實に坐禪。

 

※「永平廣録四巻九丁」上堂即是身心非陰聚・・・ (永平廣録注解全書中56~57頁)

 

(三十三)【79】

曰く、身心脱落なり。

妨ざる人の認めて、本源と爲すことを。

法の斷常を離るるなり。

猶を自ら錯て虚實を説く。

所以に道ふ、塵塵見佛、佛を謗せず。

刹刹聞經、經を離れず。

霊山の親授記を得んと要せば、

石頭大小點頭し來る。

良久して曰く、三十年後、錯て擧することを得ず。

 

※「永平廣録四巻十一丁」上堂身心脱落也不妨人認・・・ (永平廣録注解全書中73頁)

 

(三十四)【80】

曰く、今朝九月初一、版を打して大家坐禪す。

切に忌む低頭瞌睡することを。

齊を思ふこと、來賢を見に在り。

附水依草を陳ぶことを休せよ。

外に窮臘の蓮を求むること莫れ。

脱落身心、兀兀蒲團、舊と雖も新に穿つ。

正當恁麼の時、又、如何。

良久して曰く、

修證は無に非ず、誰か染汚せん。

豈に十聖と及び三賢と同じからんや。

 

※「永平廣録七巻二十七丁」上堂今朝九月初一打版大家・・・ (永平廣録注解全書中642頁)

 

(三十五)【81】

曰く、古先老漢云く、學道は見聞覺知を用ひず。

若し見聞覺知を行ずれば、即ち是れ見聞覺知にして、

學道には非ずと。

所以に永平道ふ、佛道は、神を須ひて悟を待つこと莫れ。

文字語言の傳を容れず。

轟轟たる霹靂、從ひ參究すとも、何ぞ根塵名相の邊を脱せん。

壁觀磨塼、面面功夫、精進連連。

身心、纔に肯て虗却して、方に鉢盂の口圓を見る。

這箇は是れ長連床上學得底。

佛祖向上の道、又且つ如何。

良久して曰く、

馬祖馬鳴頭尾正し。黄梅黄蘗、風前を弄す。

一行三昧巾斗を打す。七佛の袈裟、覆て肩に在り。

 

※「永平廣録七巻二十七丁」上堂古先老漢云學道不用・・・ (永平廣録注解全書中647頁)

 

(三十六)【82】

曰く、慈航和尚は乃ち黄龍下の尊宿なり。

曽て四明天童に住して、結夏小參に曰く、

參禪の人、第一に鼻孔端正、次は須く眼目精明なるべし。

又、其の次は宗説倶に通ずることを貴ぶ。

然して後、機用、齊く到て始て能く、

佛に入り、魔に入り、自他兼ねて到る。

何となれば、鼻孔正なれば、則ち一切皆な正し。

人の家に居して、家主正ければ其の下、自ら化するが如し。

且つ如何、鼻孔端正を得て去らん。

古聖道く、決定して第二念に流至せず。

中に就いて方に我が宗門に入る。

豈に是れ父母未生已前に向て儞が爲に、

箇の標準を作し了るにあらざらんや。

又云く、九十の剋期明日始む。

縄墨の外邊を以て行くこと莫れ。

師云く、古聖、決定して第二念に流至せずと道と雖も、

永平又道ふ、決定して第一念に流至せざれ、

決定して無念に流至せざれと。

諸人恁麼に參學して始めて得ん。

永平今夜、口業を惜しまず、諸人に向て道ふ、

九十の剋期明日始む、縄墨の外邊に於て行くこと莫れ。

蒲團に倚坐して他事無し、終日寥寥として太平を賀す。

 

※「永平廣録八巻五丁」結夏小參慈航和尚乃黄龍下・・・ (永平廣録注解全書下29頁)

 

(三十七)【83】

曰く、是非を坐斷し、離微を超越す。

佛祖の陶治、修證の範圍、髑髏なり。

眉底の活眼、空劫なり。

句中の玄機、青原赭色の麒麟、閑歩し、

薬嶠、金毛の獅子全威あり。

相逢ては必ず手を把る、大道本と歸を同す。

 

※「永平廣録六巻二十六丁」上堂坐斷是非超越離微・・・ (永平廣録注解全書中492頁)

 

(三十八)【84】

曰く、大衆、參禪は身心脱落なり、祗管打坐の道理を聴かんと要すや。

良久して曰く、

心も縁ずること能はず。

思、(思は當に口と作すべし)

議すること能はず。

直に須く退歩して荷擔すべし。

切に忌む、當頭、諱に觸ることを。

風月寒清なり古渡頭。

夜船撥轉す瑠璃の地。

 

※「永平廣録四巻二十五丁」上堂大衆要聴參禪者・・・ (永平廣録注解全書中164頁)

 

(三十九)【85】

曰く、參禪し佛を求め佛を圖すること莫れ。

佛を圖して參禪すれば、佛轉た疎なり。

塼解、鏡消して何の面目ぞ。

纔に此れに到るを知る、功夫を用ふることを。

 

※「永平廣録四巻二十五丁」上堂參禪求佛莫圖佛・・・ (永平廣録注解全書中165頁)

 

(四十)【86】

擧す、宏智古佛、曽て天童に住して中秋上堂し曰く、

清凉の境界、一壺の爽氣。

秋を涵し明白の身心。

半夜の霽容、月を懐く。

靈然として自照し、廓爾として常に虚なり。

生滅の因縁を斷じ、有無の情量を出ず。

諸人還て是の如くの田地に到り、

還て能く是の如く游踐すや、他た無や。

良久して曰く、

月中の桂を折(折は當に研と作すべし)盡して

清光應に更に多かるべし。

師曰く、諸人還て宏智古佛を禮拜せんと要すや。

拂子を堅起して曰く、

既に宏智古佛出世を得たり。

諸人の禮拜を受け、更に宏智古佛説く底の法を聴くや。

良久して曰く、

嚢祖雲岩の第幾く月。

何に因てか忽ち蒲團を作し來る。

 

※「永平廣録四巻二十七丁」中秋上堂擧宏智古佛曽・・・ (永平廣録注解全書中177~178頁)

 

(四十一)【87】

曰く、塼を磨し以て鏡と作すは、則ち身は四大に非ず。

堂堂魏魏として存すが如し。

鎚を磨し以て針を得る。

則ち心は五衆に非ず。

明明了了として對を絶す。

所以に一切の色、眼を礙げず、一切の聲、耳を塞がず、

一切の應、身を繋がず、一切の事、心を惑さず、奪境なり。

驢の驢を覷ふが如し、奪人なり。

井の井を覷ふが如し。

畢竟如何。

風に嘶き木馬、山に棲むことを解し、

月に吼ゆる泥牛、能く海に入る。

 

※「永平廣録四巻二十八丁」上堂磨塼以作鏡則身非・・・ (永平廣録注解全書中180頁)

 

(四十二)【88】

曰く、如來禪、祖師禅、往古傳へず、今妄に傳ふ。

迷て虚名を執す、何ぞ百歳ならん。

怜れむ可し末世の劣因縁。

 

※「永平廣録四巻十四丁」上堂如來禪祖師禪往古・・・ (永平廣録注解全書中161頁)

 

(四十三)【89】

師、一圓相を打して云く、箇は是れ没量の大事。

三世の諸佛、此の一段の事を證し、放光説法す

諸代の祖師、此の一段の事を修し、授手付髄す。

學般若の菩薩、此の一段の事を傳て、以て面目眉毛と爲す。

坐夏九旬、三世を超越し、菩提を圓満し、

衆生を化度す。

記得す、趙州、大慈に問ふ、

般若、何を以てか体と爲すと。

大慈曰く、般若、何を以てか体と爲すと。

趙州、呵呵大笑す。

來日趙州、掃地の次で、大慈問ふ、

般若、何を以てか体と爲すと。

趙州、掃箒を放下して、呵呵大笑す。

大慈、趙州二員の古佛、一期の相見、妨げず奇絶なり。

今日解制斯に臨む、作麼生か商量せん。

昨日の和羅飯、今朝の五味粥。

這箇、箇は是れ衲僧屋裡、尋常の活計、

佛祖向上、又、且つ如何。

大衆還て委悉せんと要すや。

良久して云く、

大慈若し他た重ねて問を垂れば、

更に趙州をして笑ひ轉新ならしめん。

 

※「永平廣録四巻八十一丁」解夏小參打一圓相云箇・・・ (永平廣録注解全書下61頁)

 

(四十四)【90】

擧す、宏智古佛、天童に住して、歳朝上堂曰く、

歳朝坐禪、萬事自然、心心絶待、佛佛現前。

清白十分、江上の雪、謝即満意釣魚船、參と。

師曰く、今朝大佛、其の韻を拜續す。

良久して曰く、

大吉歳朝、坐禪を喜ぶ。時に應じ祐を納めて、自ら天然。

心心慶快、春面を笑はしめ、佛佛、牛を牽て眼前に入る。

瑞を呈して山を覆う、盈尺の雪。

人を釣り己を釣る釣魚船。

 

※「永平廣録二巻十丁」歳朝上堂擧宏智古佛住・・・ (永平廣録注解全書上314~315頁)

 

(四十五)【91】

曰く、正法眼藏、明を超へ闇を越へる。

衲僧の鼻孔、悟に孤き迷に負く。

所以に道ふ、破鏡、重ねて照らさず、落花、枝に上り難し。

甚と爲か恁麼なる。

大衆還て委悉せんと要すや。

良久して曰く、

拂子、此の地に住せば、即ち是れ佛受用。

常に其の中に於て在り、經行及び坐臥。

 

※「永平廣録四巻二十四丁」上堂正法眼藏超明越闇・・・ (永平廣録注解全書中156頁)

 

(四十六)【92】

擧す、古人曰く、世尊の三昧、迦葉知らず、

迦葉の三昧、阿難知らず、阿難の三昧、商那和修、知らず、

乃至、吾れに三昧有り、汝も亦知らず。

時に僧有り問ふ、

未審(いぶかし)、和尚の三昧、什麼人か知り得る。

古人曰く、眞金は爐中に試みることを假りず。

元牓精花、徹底鮮やかなり。

師云く、古人、什麼に道ふと雖も、永平は什麼に道はず。

世尊の三昧、世尊知らず、迦葉の三昧、迦葉知らず、

阿難の三昧、阿難知らず、商那和修の三昧、商那和修知らず。

吾れに三昧有り、吾れ亦た知らず。

汝の三昧有り、汝も亦た知らずと。

忽ち人有り、出で來りて、

甚と爲してか知らずと問はば、

秖だ他に對して道ん、來日大悲院裡に齊有り。

 

※「永平廣録四巻七丁」上堂古人曰世尊三昧迦葉・・・ (永平廣録注解全書中40頁)

 

(四十七)【93】

曰く、若し禪を論じ、道を説き、玄を談じ、妙を演して

宗風を擧揚するも只だ、當人分上の一毛端坐に於て、

無量の諸佛諸祖有りて、菩提心を發し、大行を勤修し、

等正覺を成し、大法輪を轉じ、廣く佛事を作すが如きは、

汝等還て知り、還て見るや、他た無や。

又、一塵の中に於て、寶王刹を現じ、法幢を建立し、

佛説法説、比丘僧説、刹説塵説、衆生説、

山河大地説、古今一時説、未だ嘗て間斷せず。

既に能く恁麼なり。

諸を忽(ゆるがせ)にして、佛祖單傳學道の現前を、

軽慢すべからず。

正當恁麼の時、便ち佛祖或いは凡、或いは聖、

久學晩進の分上に於て、作麼生か道ん。

良久して曰く、

但、花開き世界の馥なることを覺ふ。

誰か知る、鼻孔一時に穿つことを。

拂子を擲下して下座す。

 

※「永平廣録七巻十六丁」上堂若論禪説道談玄演妙・・・ (永平廣録注解全書中584頁)

 

(四十八)【94】

曰く、身心脱落功夫の初、露柱懐胎、豈に瓣ぜんや無きや。

密雲を彌布して、山嶽静かなり。

上ること高くして、圓月、方隅を越え、

獨立卓卓として、一切に倚らず。

佛身魏魏として諸數に堕せず。

所以に古徳道く、聖人は其の懐を空洞にす。

萬物、我が造に非ずと云ふこと無し。

萬物を會して、己と爲る者は、其れ唯だ聖人かと。

正恁麼の時、作麼生、還て委悉せんと要すや。

良久して曰く、

月、舟を逐て行き、江海廣し。

春、陽に随ひ轉じて、葵花紅なり。

 

※「永平廣録七巻十六丁」上堂身心脱落功夫初・・・ (永平廣録注解全書中586頁)

 


第七格外玄旨訓

 

(一)【95】

祖師曰く、永平有時は入理深談。

只だ諸人の田地穩密ならんことを要す。

永平有時は門底の施設。

只だ諸人の神通遊戯せんことを要す。

永平有時は奔逸絶塵。

只だ諸人の身心脱落せんことを要す。

永平有時は自受用三昧に入る。

只だ諸人の手に信せて拈得せんことを要す。

忽ち人有り出で來て、山僧に向て道ん、

向上又作麼生と。

但、伊に向て道ん、

暁風、摩洗して昏煙淨し。

隠隠たる青山、畫圖を展ず。

 

※「永平廣録四巻三丁」上堂永平有時入理深談・・・ (永平廣録注解全書中15頁)

 

(二)【96】

擧す、圓(圜)悟禅師道く、生死去來、眞實人躰と。

南泉道く、生死去來是れ眞實躰と。

趙州道く、 生死去來、是れ眞實人と。

長沙道く、生死去來、是れ諸佛の眞實躰と。

師云く、四員の尊宿、各家風を展べ、倶に鼻孔を端す。

道ふことも也た道に得たり。

只だ是れ未在なり。

若し是れ興聖ならば、又且つ然らず。

生死去來、只だ是れ生死去來。

 

(参考:興聖寺語録より)

※「永平廣録一巻二十四丁」上堂擧圜悟禅師道生死・・・ (永平廣録注解全書上159頁)

 

(三)【97】

擧す、三祖大師の信心銘に曰く、至道無難、唯嫌揀擇と。

大衆還て曽て、三祖の意旨を學すや。

且く道へ、作麼生か是れ三祖の意旨。

三祗劫を經歴して、必ず至り、

無量劫を經歴して、必ず至り、

即座を起きずして、必ず至り、

一念を起さずして、必ず至る。

故に云く、至道無難と。

唯嫌揀擇とは、金翅鳥王の龍に非ざれば食らはずが如し。

 

※「永平廣録五巻七丁」上堂擧三祖大師信心銘曰・・・ (永平廣録注解全書中225頁)

 

(四)【98】

曰く、行解倶に備わる、方に曰く、祖師と。

其の行と謂ふは、祖宗の密行を謂ふ。

其の解と謂ふは、祖宗の解會を謂ふ。

佛祖の行解は、解すべきを解し、行ずべきを行ずのみ(而己)。

其の行の初は、愛を割き、所親、無く、

恩を弃て、無為に入るなり。

聚落を經歴せず、國王に親近せず、

山に入りて、道を求るなり。

古來、道を慕ふの士、皆な深山に入りて、

閑居して寂静なり。

龍樹祖師云く、坐禪の人、皆な深山に住すと。

須く知るべし、憒閙を脱し、寂静を得ることは、

深山に如(し)くは無し。

縦ひ愚かなりとも、須く深山に居すべし。

愚かにして聚落に居すれば、其の失を増す。

縦ひ賢なるとも、須く深山に居すべし。

賢にして聚落に居すれば、其の徳を損す。

永平壮齢にして、道を西海の西に訪ひ、

潦倒して、居を北山の北に占める。

不肖と雖も、古蹤を慕ふ。

賢、不肖を論ぜず、利鈍の機を擇さず、

須く深山幽谷に居すべし。

大慈、衆に示して曰く、一丈を説得するは、

一尺を行得するに如(し)かず。

一尺を説得するは、一寸を行得するに如(し)かず。

洞山曰く、行し得ざる底を説取し、説き得ざる底を行取す。

雲居曰く、行の時、説路無く、説の時、行路無し。

不行不説、合に什麼の路を行くべき。

洛浦云く、行説倶に到らず、則ち本事在り。

行説倶に到れば、則ち本事無し。

宏智曰く、是非を絶し、没蹤跡、

相逢て、面を識らず、面を識らずして、相ひ逢はず。

諸尊宿、各、長處有り、如今舌頭上に十字関無し。

脚跟下に五色の線無し。

行せんと要せば便ち行す、

説せんと要せば便ち説す。

若し人有り、長蘆に、如何が是れ、行せんと要せば便ち行すと

問はば、曰く、歩、如何が是れ説せんと要せば便ち説すと。

曰く、啊師曰く、五位の尊宿、各、什麼に道ふ。

永平今日、甚と爲か道ん、

横説堅説は妙行密行に一如し、

妙行密行は横説堅説に一如す。

 

※「永平廣録七巻十五丁」上堂行解倶備方曰祖師・・・ (永平廣録注解全書中577~578頁)

 

(五)【99】

曰く、修行三祇劫、功満ちて未だ休せず。

取證一刹那、染汚することを得ず。

古人道く、經に依り義を解するは、三世佛の寃讎、

經を離ること一字もすれば、即ち魔説と同じと。

既に經に依らず、既に經を離れずして、

又、且つ如何が行履せん。

諸人、經を看んと要すや。

拂子を堅てて云く、

這箇は是れ興聖が拂子、那箇か是れ經。

良久して曰く、

向下文長し、來日に附在す。

 

(参考:興聖寺語録より)

※「永平廣録一巻二丁」上堂修行三祇劫兮功満・・・ (永平廣録注解全書上18頁)

 

(六)【100】

擧す、初祖、門人に命じて曰く、時将に至らんとす、

汝等、盍ぞ各、所得を言はざる。

時に門人、道副對して曰く、我が所見の如くは、

文字を執らず、文字を離れず、而も道の用を爲す。

祖曰く、汝、吾が皮を得たり。

尼總持曰く、我が今の解する所は、

慶喜の阿閦佛國を見、一見し更に再見せず。

祖曰く、汝、吾が肉を得たり。

道育曰く、四大本空、五陰有に非ず、而も我が見處、

一法の得べき無し。

祖曰く、汝、吾が骨を得たり。

最後に恵可、禮拜して後、位に依りて立つ。

祖曰く、汝、吾が髄を得たり。

師云く、後人認めて、淺深有りと爲す。

祖意は是れならず。

汝、吾が皮を得たりは、猶を燈籠露柱と道んが如し。

汝、吾が肉を得たりは、即心是佛と道んが如し。

汝、吾が骨を得たりは、山河大地と道んが如し。

汝、吾が髄を得たりは、拈花瞬目と道んが如し。

是れ淺有り、深有り、勝有り、劣有るに非ず。

恁麼見得せば、便ち祖師を見るなり。

便ち二祖を見るなり。

便ち衣盂を傳へ得るなり。

諸人若し未だ信ぜざれば、重ねて我が一偈を聴かん。

佛祖の法輪其の力大なり、

盡界に(於)て轉じ、微塵に轉ず。

衣盂は縦ひ可傳の手に入るも、

聴法は普く男女の人に通ず。

 

※「永平廣録一巻十六丁」上堂擧初祖門人曰時将至・・・ (永平廣録注解全書上109~110頁)

 

(七)【101】

曰く、人人具足、箇箇圓成。

甚麼の爲か、法堂上、草深きこと一丈なる。

這箇の消息を會せんと要すや。

良久して云く、

花は愛惜に依り落ち、

草は棄嫌を逐て生ず。

 

※「永平廣録一巻十八丁」上堂云人人具足箇箇圓成・・・ (永平廣録注解全書上117頁)

 

(八)【102】

曰く、古人道く、一翳、眼に在れば、空華、亂墜すと。

拂子を拈じて曰く、這箇豈に是れ一翳、眼に在らざらんや。

百千の諸佛總に拂子頭上に在て、

丈六紫磨金色の身を示現し、

其の國土に乘じて、十方に遊歴し、

一切法を説き、一切衆を度す。

豈に是れ空華亂墜にあらずや。

一切の祖師、梁に遊び、魏を歴し、衣を傳へ、法を付す。

豈に是れ空華亂墜にあらざらんや。

而今、若し未だ拂子を拈ぜず前に向ひて、

巾斗を飜し、得る底、有りや。

出來て、大佛と相見せよ。

無きが如きは切に忌む。

眼、本と翳無く、空、本と華無き處に著到することを。

便ち、拂子を堦下に擲下して曰く、

然も是れの如きと雖も、未だ免れず、

今年、盬貴く、米賤きことを。

 

※「永平廣録二巻二十丁」上堂曰古人道一翳在眼・・・ (永平廣録注解全書上374頁)

 

(九)【103】

曰く、記得す、百丈因に潙山五峯雲巖侍立する次で、

丈、潙山に問ふ、咽喉唇吻を併却して、作麼生か道ん。

潙山曰く、却て請ふ、和尚道へ。

丈曰く、我、汝に向て道ふことを辭せず、

恐くは已後、我が兒孫を喪せん。

丈、又、五峯に問ふ、

峯曰く、和尚も也た須く併却すべし。

丈曰く、人無き處、斫額して汝を望ん。

丈、又、雲巖に問ふ、

巖曰く、和尚有りや、也た未だしや。

丈曰く、我が兒孫を喪はん。

師云く、却て請ふ、和尚道へ。

骨を折て父に還す。

和尚、也た須く併却すべし。

婆の衫子を借て、婆年を拜す。

和尚有りや、他た未だしや。

伊を帯累して、眉鬚堕落せしむ。

 

※「永平廣録二巻二十一丁」上堂曰記得百丈潙山・・・ (永平廣録注解全書上377頁)

 

(十)【104】

曰く、佛祖の大道を參學するに人道これ最もなり。

三州、是れ機なり。

畜生、間に有り。

大事を明むるの時節、四序是れ同じなり。

中に就いて、春は則ち靈雲、桃花を見て、大事を明らむ。

秋は則ち香嚴、翠竹を聞いて、大事を明らむ。

靈雲和尚一時、桃花洞に於て豁然として大事を明らめ、

頌を作り、大潙に呈して曰く、

三十年來、劔客を尋ね、幾回か葉落ち、又、枝を抽く。

桃花を一見して自從り後、直に如今に至る。

更に疑はず。

測り知りぬ、三十年の辨道することを。

今の人、須く其の蹤を慕ふべし。

又、香嚴和尚、大潙の下に投じて、稍、數年を經る。

大潙曰く、汝、章疏中に記得すると、老僧が説く底を聞くことを

除て、老僧が爲に將に一句を道ひ來れ。

香嚴、章疏裡を看るに、都て一句を得ず。

大潙に向て道く、某甲道ひ得ず、却て請ふ和尚道へ。

大潙云く、汝に向て道ふを辭せず。

向後、却て我を罵すること在ん。

香嚴云く、某甲今生、禪を會することを望まず。

且つ、長く粥飯を行く僧と作らんと。

遂に、章疏を把て曰く、

畫餅、飢に充らずと。

便ち焚却し去り了て、後、南陽の忠國師の庵基に到て、

卓庵して居す。

一日閑暇日、道路を併掃する次で、

沙礫を迸て、竹に當て、響を發する時、

忽然として大事を明らむ。

即ち頌を作して曰く、一撃、所知を亡す、

更に自ら修治せず。動用、古路に揚る。

悄然の機に堕せずと。

遂に沐浴し威儀を具して、遥に大潙に向ひ、

焼香禮拝して云く、

大潙大和尚は是れ我が大師、恩、父母に踰たり。

當時、若し我に向て道はば、豈に今日の事有らんやと。

香嚴和尚、學海の嶮難、亦復、是の如し。

今日の人、須く兩員の芳躅を慕ふべし。

永平聊か靈雲禅師の韻を續かん。

劔を求め、舟を刻む、胡と越と。

遅遅たる春日幾か枝を尋ぬ。

期せずして一見する桃花の處。

眼綻び心穿て疑ふに足らず。

又、一偈有り、香嚴和尚を道著す。

等閑に古路の沙礫を掃く。

初めて翠竹の聲を聞くに何に似ん。

正當恁麼の時又作麼生か道ん。

四海涯無く草露を添える。

八年末了一言生す。

且く道へ大衆、這の兩位尊宿分上、又且つ如何。

良久して曰く、

百千の破鏡、重ねて照らさず。

飛亂する落花、枝に上り難し。

 

※「永平廣録六巻二十三丁」上堂參學佛祖之大道・・・ (永平廣録注解全書中470~471頁)

 

(十一)【105】

擧す、七賢女は並に是れ諸大國の女なり。

賞花の節に遇ふて百千人の衆、各各、所游の處に奔趨す。

以て樂を取る爲め。

七賢女の中、一女有り。

曰く、諸姉妹我れ汝らと、亦衆人と同じく塵寰に遊賞して、

其の世樂を取るべからず。

却て、諸姉と同じく、屍陀林に游ばんと。

諸姉曰く、彼の處盡く是れ死屍汚穢し、

何の好事か有らん。

女曰く、諸姉但だ去れ、甚た好事か有らんと。

既に林中に到て、遂に死屍を指し、諸姉に謂て曰く、

屍は裡に在り、人、什麼の處に向て去ると。

諸姉、諦観して是に於て悟道す。

乃ち、空中を見るに天華散堕し賛して言く、

善哉、善哉と。

女曰く、空中に華を雨して贊歎する、復た是れ何人ぞ。

空中に曰く、我れは是れ天帝釋なり。

聖姉の悟道を見て、諸の眷屬と與に、

故に來て雨華贊歎すと。

復た賢女に告げて曰く、

唯だ願くは聖姉、所須有るは、我れ當に終身供給すべしと。

女曰く、我が家、四事七珍悉皆具足す。

唯だ祇だ、三般の物を要す。

第一に無根樹子一株を要す。

第二に無陰陽の地一片を要す。

第三に叫不響の山谷一處を要す。

帝釋曰く、一切の所須、我れ悉く之れ有り。

三般の物は實に無し、聖姉と同じく去りて、佛に白と欲すと。

是に於て同く往て佛に見へて、乃ち斯の事を問ふ。

佛言く、憍尸迦、我が諸の弟子、大阿羅漢、

悉く皆な此の義を解せず。

唯だ諸大菩薩有り、乃ち斯の事を知ると。

師乃ち云く、如來の無上菩提の義、諸大聲聞、總に知らず。

獨り、過量の諸菩薩のみ有りて、便宜を得る處。

便宜に落ち、然も是の如くと雖も、

興聖、他の天帝に代て道ん、

爾ち、無根樹を要すや、

庭前の柏樹子、是れなり。

若し也た用ひ得ずんば、柱杖を拈じて道ん、

這箇、便ち是れと。

爾ち、不陰陽の地を要すや、屍陀林是れと。

若し也た用ひ得ずんば、盡十方世界、便ち是れと。

爾ち、喚不響に谷を要すや、

七賢女を喚て云ん、姉妹と女、應諾せば、

即ち伊に向て道ん、爾に不響の谷を與へ了れりと。

若し應に諾せずんば、伊に向て道ん、果然として響かずと。

 

※「永平廣録一巻二十一丁」上堂擧七賢女者並是諸・・・ (永平廣録注解全書上142~143頁)

 

(十二)【106】

曰く、朝家、賢に乏しき時、才を山野に索む。

所以に、百里奚を索め得て、政を委ね、

傳師の巖を索め得て、國を輔く。

乃ち古の勝躅なり。

明に知りぬ、山野、才人賢人無きにあらず。

山野曽て、才人賢人豊なることを。

然れば則ち汝等雲水、身心を山埜に寄せ、

身心を佛道に安す。

俗人よりも劣る可からず。

朝臣よりも劣る可からず。

而も、汝等、即今未だ人臣の心橾に及ばず。

寧ろ聖賢の意略に達せんや。

是れ職として不學と踈怠とに由る。

慚ず可し、悲しむ可し。

汝等須く、光陰箭の如く人命駐め難きことを知りて、

頭燃を救て學道すべし。

乃ち先佛の面目、嚢祖の骨髓なり。

記得す、須菩提、維摩詰の家に持鉢す。

維摩詰、香飯を満盛して、須菩提に向て説て言く、

汝能く佛を謗り、法を毀て衆數に入らば、

乃ち食を取る可しと。

須菩提、未だ是の義を知らず、鉢を置て去る。

這の一段の因縁、二千餘年、人の料理する無し。

箇箇但た須菩提、是の義を暁さずと言て、

人人未だ須菩提、是の義を暁了すと道はず。

大佛且く先徳古賢に問ふ、

汝等還て須菩提、鉢を置て去るの一則を見るや、

也た無しや。

既に、鉢を置て去ること有る須菩提の道聲、雷の如し。

今に至て未だ休まず。

然りと雖も、聲聞乘、縁覺乘、菩薩乘等の聲を脱落す。

所以に維摩詰、聴得すること能はざるに相ひ似たり。

又、維摩詰に問ん、汝、須菩提の佛を謗り、

法を毀て衆數に入らざるの説聲を聴くや、也た無しや、

汝、未だ他の説を聴かざるが如し。

汝をして鉢盂飯を撃て、立地に待て、

一劫二劫を經せすむること在らん。

然も是の如しと雖も、大佛、須菩提に代て、

維摩に向て道ん、

汝能く、佛を謗り法を毀て衆數に入ずして、

更に、鉢盂香飯を満盛し來れ、吾れ即ち食を取らんと。

維摩の道んと擬せんことを待て、

即ち、鉢盂の飯を奪取して、直に進ん。

 

(大佛寺語録より)

※「永平廣録二巻五丁」上堂朝家乏賢之時索才於・・・ (永平廣録注解全書上282頁)

 

(十三)【107】

師、拄杖を拈じて云く、夫れ佛法は佛法を以て批判して、

天魔外道三界六道の法を以て批判すべからず。

釋迦牟尼佛、三阿僧祇劫を満て、

諸佛を供養して、後、乃ち自ら成佛す。

謂ふ所は、古釋迦佛從り、罽那尸棄佛に至る。

七萬六千佛に値て、第二阿僧祇劫を満して、

燃燈佛從り、毘婆尸佛に至て、

七萬七千佛に値て、第三阿僧祇劫を満して、

然して後に、今日成道すと。

大佛、今大家の爲に説く、

古釋迦佛從り、蒲團に至り、七萬五千の烟煙を坐斷して、

初阿僧祇劫を満して、蒲團從り拄杖に至り、

七萬六千の土塊を打破して、第二阿僧祇劫を満して、

拄杖從り拂子に至て、七萬七千の鐵額を咬嚼して、

第三阿僧祇劫を満す。

然も恁麼と雖も、更に第四第五第六第七第八第九第十の

阿僧祇劫有り。

子細に參究して始めて得ん。

大衆、初阿僧祇劫を知らんと要すや。

卓拄杖一下して云く、這箇便ち第二阿僧祇劫を見んと要すや。

卓拄杖一下して云く、這箇便ち第三阿僧祇劫を見んと要すや。

卓拄杖一下して云く、

這箇便ち是れ但だ恁麼に參して始めて得ん。

古釋迦、今釋迦、鏡の像を鑄するが如くなる處に向て、

錯て會すること莫れ、鏡の像を鑄するが如くなることを。

 

(大佛寺語録より)

※「永平廣録二巻十四丁」晩間上堂拈拄杖云夫佛法・・・ (永平廣録注解全書上339~340頁)

 

(十四)【108】

擧す、僧、忠國師に問ふ、教中に但だ有情作佛を見て、

無情授記を見ず。

且つ、賢劫の千佛、孰れか是れ無情の佛なる。

國師云く、皇太子の未だ位を受けざる時の如き、

唯だ一身のみ。

受位の後、國土盡く王に屬す。

寧ろ、國土の別に位を受くること有らんや。

今但し有情授記作佛の時、十方の國土、

悉く是れ遮那佛の身、那んぞ無情の受記を得んやと。

宏智古佛、曰く、刹中の佛、處處現身、

佛中の刹、塵塵皆爾、還て体悉得すや。

良久して曰く、六國自ら清し紛擾の事、

一人獨り擅にす太平の基。

師曰く、古佛既に恁麼に道ふ、

永平豈に道處無らんや。

刹の佛、通身全身、佛の刹、法爾不爾。

還て体悉得るや。

良久して曰く、

主中之主、主中の主。

境を超え、人を越え皇基を立す。

 

※「永平廣録四巻十四丁」上堂擧僧問忠國師教中但見・・・ (永平廣録注解全書中23頁)

 

(十五)【109】

擧す、洞山衆に示して云く、千人萬人の中に在り、

一人に向はず、一人に背かず、是れ什麼の人ぞ。

雲居、衆を出て曰く、某甲參堂し去らんと。

師曰く、恁麼に見得せば、諸佛出世も也た、某甲參堂し去らん。

喫粥喫飯して、也た某甲參堂し去らん。

一句を道得して、也た某甲參堂し去らん。

正偏中來るも、也た某甲參堂し去らん。

須く是れ恁麼なるべきも、也た某甲參堂し去らん。

且く道へ、雲居と同參せざる一句、作麼生か道ん。

良久して云く、大衆參堂し去れ。

 

※「永平廣録一巻八丁」上堂擧洞山示衆云在千人萬人・・・ (永平廣録注解全書上59頁)

 

(十六)【110】

曰く、世尊道く、一人發眞歸源、十方虚空、悉皆な消殞と。

五祖山の法演和尚道く、一人發眞歸源、十方虚空、築著磕著と。

夾山圜悟禅師道く、一人發眞歸源、十方虚空、錦上花を添ると。

佛性の法泰和尚道く、一人發眞歸源、十方虚空、只是れ十方虚空。

先師天童道く、一人發眞歸源、十方虚空、悉皆消殞と。

既に是れ世尊の所説、未だ免かれず。

盡く奇特の商量を作すことを。

天童は則ち然らず。

一人發眞歸源、乞兒、飯椀を打破すと。

師曰く、五尊宿は恁麼、永平は不恁麼。

一人發眞歸源、十方虚空、發眞歸源。

 

※「永平廣録二巻二十七丁」上堂曰世尊道一人發眞歸源・・・ (永平廣録注解全書上414~415頁)

 

(十七)【111】

擧す、洞山、雲居に謂て曰く、

昔、南泉、彌勒下生經を講する僧に問ふて曰く、

彌勒什麼の時か下生す。

曰く、見るに天宮に在り、當來に下生す。

南泉曰く、天上に彌勒無し、地下に彌勒無し。

雲居擧するに随て問て曰く、

只だ天上に彌勒無し、地下に彌勒無くが如くは、

未だ審し、誰か與めにか字を安すと。

洞山、直に得たり、禪床震動することを。

乃ち曰く、膺闇梨と。

師云く、天上に彌勒無し、地下に彌勒無し。

彌勒に彌勒無し、彌勒是れ彌勒、

然も什麼と雖も、

諸人、彌勒を見んと要すや。

拂子を拈起して云く、彌勒と相見了なり。

既に相見を得たり、諸人試に道へ、

彌勒有りや、彌勒無しや。

拂子を抛下して下座す。

 

※「永平廣録一巻二十一丁」上堂擧洞山謂雲居曰・・・ (永平廣録注解全書上137頁)

 

(十八)【112】

擧す、東印土の國王、般若多羅尊者を請して齊する次で、

王、乃ち問ふ、諸人盡く經を轉ず、尊者、甚麼と爲か轉ぜざる。

尊者曰く、貧道出息、衆縁に随はず、

入息、蘊界に居せず、常に是の如くの經を轉ずこと

百千萬億巻と。

師、擧し了じて云く、更に道理を説け看ん。

 

※「永平廣録一巻八丁」上堂擧東印土國王請般若・・・ (永平廣録注解全書上57~58頁)

 

(十九)【113】

擧す、鏡清、僧に問ふ、門外什麼の聲ぞ。

僧曰く、雨滴聲。

清云く、衆生顛倒して、己に迷い物を逐ふ。

僧曰く、和尚、作麼生。

清云く、洎ど己に迷はず。

僧云く、洎ど己に迷はずの意旨、如何。

清曰く、出身、猶を易かる可し。

脱體の道は應に難かるべし。

師云く、脱體已來、雨滴聲。

出身門外什麼の聲。

己に迷ふ、己に迷はず。

難易、儞に一任す。

物を逐ひ及び己を逐ふ。

顛倒、未だ顛倒せずと。

 

※「永平廣録一巻十五丁」上堂擧鏡清問僧門外什麼・・・ (永平廣録注解全書上97頁)

 

(二十)【114】

曰く、記得す、僧、石霜に問ふ、

教中に還て祖師の意有りや。

石霜曰く、有り。

僧云く、如何が是れ教中の祖師意。

石霜曰く、巻中に向て求むること莫れ。

雲門、代て云く、老僧に辜負することを得ず。

却て屎坑裡に向て、坐地して什麼か作さん。

師曰く、二老宿道ふは、也た道ふ、

是れ但し恨むらくは八九なることを。

若し是れ永平に、或は人有りて、

教中に還て祖師意有りやと問はば、

即ち他に向て道ん、

若し是れ教中にあらずば、豈に祖師意有らんや。

他或は、如何が是れ教中の祖師意と問ふ有らば、

即ち他に向て道ん、

黄巻朱軸、畢竟如何。

拂子を階前に擲下して、下座す。

 

※「永平廣録二巻二十八丁」上堂曰記得僧問石霜・・・ (永平廣録注解全書上419頁)

 

(二十一)【115】

曰く、什麼に物か、天よりも高き、天を生ずるもの是れなり。

什麼に物か、地よりも厚き、地を生ずるもの是れなり。

什麼に物か、虚空よりも寛き、虚空を生ずるもの是れなり。

什麼に物か、佛祖を超えるは、佛祖を生ずるもの是れなり。

然も是の如きと雖も、

什麼に因か、却て諸人の眉毛上に在り、

什麼に因か、却て一粒の粟米裡に在り、

正當恁麼の時、

句裡に宗を明むは、則ち易く、

宗中に句を瓣ずるは、則ち難し。

心も縁すること能はず。

口も議すること能はず。

直に須く退歩して荷擔すべし。

切に忌む、當頭、諱に觸すこと。

諸人、這箇の道理を委悉せんと要すや。

良久して曰く、

晴天を搬得して、白雲を染め、

溪水を運來して、明月を濯ふ。

 

※「永平廣録二巻二十五丁」上堂云什麼物高於天・・・ (永平廣録注解全書上404~405頁)

 

(二十二)【116】

曰く、參學の人、須く衲僧の眼睛を具して、始めて得るべし。

既に、衲僧の眼睛を具して、旁觀し木患子に換へ被て、

始めて得ん。

若し、木患子に換却せらるれば、大地に瞞せられず。

蓋天に瞞せられず。

佛祖に瞞せられず。

拄杖に瞞せられず。

水に入り、火に入るも、溺れず焼けず。

佛を見、魔を見る、自處自在なり。

良久して曰く、

作麼生か是れ適來道底の者、

若し有れば出で來て衆に對して呈せよ、看ん。

永平、儞が參學の事、畢るを許さん。

脱、或は未だ然らずんば、

拄杖子、儞を笑ふこと在らん。

然も是の如くと雖も、若し、喚て伊と作すれば、

眉鬚堕落せん。

 

※「永平廣録二巻二十七丁」上堂曰參學人須具衲僧・・・ (永平廣録注解全書上412~413頁)

 

(二十三)【117】

擧す、僧、修山主に問て云く、芥子、須彌を納め、

須彌、芥子を納む、如何が是れ須彌と。

主云く、汝が心を穿破す。

僧云く、如何が是れ芥子。

主云く、汝が眼を塞却す。

或は、興聖に如何が是れ須彌と問ふ有れば、

只だ伊に向て道ん、可惜許の心と。

如何が是れ芥子と。

只だ伊に向て道ん、可惜許の眼と。

 

(参考:興聖寺語録より)

※「永平廣録一巻十九丁」上堂擧僧問修山主云芥子・・・ (永平廣録注解全書上128頁)

 


第八知恩報恩訓

 

(一)【118】

千光禪師忌、擧す、師翁、虚庵和尚に問ふ、

學人、不思善、不思悪の時、如何。

虚庵曰く、本命元辰。

師翁曰く、恁麼ならば則ち、今日從り去らず。

虚庵曰く、若し恁麼ならば則ち妨げず、今日去ることを。

師翁、禮拜す。

虚庵曰く、南に面して北斗を看る。

師、良久して曰く、

祖師、本命元辰。

微笑破顔、一新。

黄花翠竹を假らず。

扶桑、日、出て春に逢ふ。

 

※「永平廣録六巻十五丁」明庵千光禪師前権僧正法印大和尚位忌辰上堂擧師翁・・・ (永平廣録注解全書中430頁)

 

(二)【119】

同く、曰く、頂門、眼を開て活す、佛祖の淵源を覷破す。

肘後、符を帯て靈なり。

生死の關鍵を觸折す。

全機得て用ひ、擧照、遺すこと無し。

手を懸崖に撒き、身を空劫に脱す。

向上、頂を透り、■(寧頁)を透る。

直下、根を透り、塵を透る。

眼は視を以て功と爲せず。

耳は聽を以て徳と爲せず。

六根回換し、萬境虚閑なり。

佛に入り、魔に入る。

所以に同異の相を斷絶す。

生を全し、死を全す。

所以に、去來の機を脱落す。

既に然く斯の如し。

且く道へ、師翁千光和尚、即今、何の處にか在る。

良久して曰く、

謾に鴛鴦を把して閑に綉出す。

從教人の競て金針を覓むことを。

 

※「永平廣録七巻二十丁」明庵千光禪師前権僧正法印大和尚位忌辰上堂頂門・・・ (永平廣録注解全書中609頁)

 

(三)【120】

佛樹和尚忌に曰く、夫れ正法眼藏を開演せんと欲すは、

第一義門有り、第二義門有り。

拈佛堅拳、頂■(寧頁)眼睛、鼻孔脚跟と云て、

拄杖を階下に擲下して云く、

乃ち這箇等は第二義門の施設なり。

且く道へ、此の外、作麼生か是れ第一義門。

山僧今日、佛祖の第一義門を開演して、

所生の功徳、先師大和尚に回向す。

遂に擧して曰く、

迦葉尊者、阿難尊者に問ふ、

何等の一偈か、三十七品及び一切の佛法を出生す。

阿難曰く、諸惡莫作、諸善奉行、自浄其意、是諸佛教。

迦葉、之れを然とす。

大衆、這箇の道理を委悉せんと要すや。

良久して曰く、

佛祖甚深最妙の旨、猶を今夢の先覺無きが如し、

弟兄佛口所生の子、一偈單傳す是れ本孝。

 

※「永平廣録六巻十二丁」佛樹和尚忌上堂夫欲開演・・・ (永平廣録注解全書中416頁)

 

(四)【121】

同く、擧す、古佛曰く、身は無相の中從り、生を受く。

猶を諸の形像を幻出するが如し。

幻人の身識、本來無。

罪福、皆な空にして所住、無し。

師曰く、受生は且く致く、

作麼生か是れ無相底の道理。

還て聽んと要すや。

是法住法位、世間相常住。

這箇は是れ、唯佛與佛。

乃ち能究盡底の道理。

今日、知恩報恩底の一句、作麼生。

良久して曰く

如來、未だ因果を明すに越せず。

菩薩、必ず兜率天に生ず。

 

※「永平廣録七巻十八丁」佛樹先師忌辰陞堂擧古佛・・・ (永平廣録注解全書中593~594頁)

 

(五)【122】

天童忌日、先師今日忽ち行脚、

從來生死の関を趯倒す。

雲慘み風悲みて渓水潑ぐ。

雅兒戀慕して尊顔を覓む。

這箇は是れ遷化圓寂底の句。

永平門下、知恩報恩底の句、

又、作麼生か道ん。

良久して曰く、

恩を戀ふる年月雲何ぞ綻ばん。

涙、衲衣を染め、紅にして斑ならず。

 

※「永平廣録七巻二十二丁」天童忌上堂云先師今日忽・・・ (永平廣録注解全書中622頁)

 

(六)【123】

同く、曰く、天童今日、巾斗を翻す。

蹈倒す驢胎と馬胎と。

狼藉一塲桶底脱す。

洞宗、祖師に託して來ること有り。

 

※「永平廣録四巻六丁」天童和尚忌辰上堂天童今日・・・ (永平廣録注解全書中35頁)

 

(七)【124】

同く、曰く、今日燒香す、先師古佛、知らず。

鼻孔、何れの方にか現在す。

五千里の海、捴に悲涙。

二十年來幾く斷腸ぞ。

 

※「永平廣録四巻二十七丁」天童忌齊上堂曰今日・・・ (永平廣録注解全書中175頁)

 

(八)【125】

源亞相忌に曰く、父母の恩に報るは、乃ち世尊の勝躅なり。

恩を知り、恩を報ず底の句、作麼生か道ん。

恩を弃て早く入る、無爲の鄕。

霜露盍ぞ消せん、慧日の光。

九族生天猶を慶ぶ可し。

二親の報地、豈に荒唐ならんや。

擧す、薬山坐する次で、僧有り問ふ、

兀兀地、什麼をか思量す。

山云く、箇の不思量底を思量す。

僧曰く、不思量底、如何が思量す。

山云く、非思量。

永平今日、這の則の因縁を頌出して、

二親の爲に報地を莊嚴す。

良久して云く、

非思量の處、思量を絶す。

切に忌む、玄を將て喚で黄と作ることを。

剥地に識情倶に裂斷すれば、

鑊湯爐炭も也た清凉。

 

※「永平廣録七巻二十七丁」源亞相忌上堂曰報父母・・・ (永平廣録注解全書中644頁)

 

(九)【126】

同く、曰く、永平が拄杖一枝の梅、天暦年中に殖種し來る。

五葉聯芳、今未だ舊りず、根莖果實誠に悠なる哉。

 

※「永平廣録五巻五丁」爲育父源亞相上堂永平拄杖・・・ (永平廣録注解全書中212頁)

 

(十)【127】

先妣忌に曰く、癈村禿株の梅、洪爐一點の雪、

驪珠、草鞋に背す、誰か怨みん長天の月。

向來は且く致く。

永平門下又且つ如何。

山僧今日報恩の句、拄杖他に向て親しく解説す。

 

※「永平廣録五巻二十八丁」先妣忌辰上堂癈村禿株梅・・・ (永平廣録注解全書中337頁)

 

永平祖師家訓綱要巻下 尾

 

 

元文四巳未年仲秋二十八日

 京師書林 二条街 風月勝左衛門

      六角街 小川多左衛門  敬刻

 



 

永平家訓の節数・127節

 

尚、「永平家訓」の第一訓から第八訓までの節数は次の通り。

 

永平家訓・上 

 第一發心出家訓、 8節

 第二佛祖正宗訓、 9節

 第三諦信因果訓、 7節

 第四通達修證訓、 8節

 第五揀瓣邪見訓、14節

 

永平家訓・下

 第六正傳三昧訓、48節

 第七格外玄旨訓、23節

 第八知恩報恩訓、10節

 

以上八訓、合計127節で構成されている。

 

更に、「永平廣録」からの各巻採用数は次の通り。

 「永平廣録」巻一、13節

 「永平廣録」巻二、10節

 「永平廣録」巻三、 5節

 「永平廣録」巻四、28節

 「永平廣録」巻五、18節

 「永平廣録」巻六、20節

 「永平廣録」巻七、25節

 「永平廣録」巻八、 7節 (普勸坐禪儀、坐禪箴を含む)

 「永平廣録」巻九、 1節

 以上127節

 


永平家訓典嚢(参考)

永平家訓典嚢・全一巻
永平家訓典嚢・全一巻
永平家訓典嚢・全一巻
永平家訓典嚢・全一巻

永平家訓と永平廣録

 

永平家訓と永平廣録

 

「永平廣録註解全書」(上・中・下・索引)を編纂した伊藤俊光はその著の中で次のように永平廣録と永平家訓の関係を述べている。

 

「永平廣録と永平家訓」

(「永平廣録註解全書」(上)「自序と凡例」27~28頁より)

 

「家訓上下八章、全百二十五節をその原典たる永平廣録に照應すると、巻一から十三節、巻二、十一節、巻三、五節、巻四、二十六節、巻五、十八節、巻六、二十節、巻七、二十四節、巻八、七節、巻九、一節を原文のまゝに採録してある。

(この永平廣録各巻よりの採録数には疑問が残る。)

それらの各章と各節が如何に按排されているかについての圖表も作ってあるが、直接關係のある問題でないから省略する。

只茲に注意すべき事は、略録も同じ廣録から跋集せられたものであるが、その目的が根本的に違つているから、兩者の間には明白な相違がある。

即ち略録は較正を加えながらも廣録全十巻の概要を再現することが主目的であったのに對して、家訓は面山さまが主観的に綜合して、高祖道の神髄を八章にまとめ、兒孫をして高祖御自身の御言葉で信受奉行せしめんとの願望によつて編集されたものである。

面山さまは年譜にも明かであるように、僅に三十歳そこそこで二回迄も廣録を大衆のために講じられ、七回以上も永平寺に拝登し、法庫の拜覧を許され、貴重な古文書を發見し、詩文で永平道場を宣揚し、眼蔵を極め廣録を探り、其等の典據渉典や事考を撰述し、又其等を提唱講演せられた。

廣録を講じられてから二十六年の後、元文二(1737)年の秋に、苦心惨憺して廣録の中から百二十五章を八章に按排して、永平家訓綱要(乾坤一冊本)を撰述さらた。

この家訓が三年の後、元文四年仲秋二十八日に京都風月小川兩書房共同で上梓刊行せられるや、非常な人氣に投じ、年と共に僧堂看讀科の教典に採用せられなぞした爲めに、三四種の素本の外に、能仁師の註、翼師の増冠傍註なぞ、續續發行せられるに至った。」(後述略)

 

「家訓と廣録」

(「永平廣録註解全書」(索引)「自序と凡例」4頁より)

 

「内外典に精通し、自他宗を究明し、行学共に一世に秀いでていた面山さまが、宗門人として実践せねばならないと痛感された精要を一字の添減もせずに、廣録全九巻(但し第九巻からは一章も採用していない)(第九巻から一節採用有り)から、百二十五章を厳選抄出して、体系的に上下八章に分類編集され、元文二(1737)年『永平家訓』の名で刊行された。

恰も明治維新以来、極度に混乱し、信仰の帰趨を失った宗門の道俗が、一度、『洞上在家化導修證義』が、眼蔵の中から抄出編集発表されたら、極めて短時間の間に、扶宗会を通じて全国的に燎原の火のように波及し、三年足らずして遂に、宗会の議決で管長の名を以て『曹洞教會修證義』と銘打って、宗門安心の根本成典と化したように『永平家訓』は宗門人育成上、無二の教典として採用せられ、明治大正の初期迄は、全国の地方僧堂で上級の教科書として用いられていたが、教育制度の改変によって現今は省かれた。

が今もなお実地修行道場の根本精神としては生きている。

のみならず、其れほどに重用されたものであるから、二三の末書の中には、永平廣録註解全書の中に採集しなかった註解もあるので、廣録を参究する上にも、是非共参照すべきである。

其の便宜のためと思ってこの項を加えておいた。」(以上)

 

尚、「永平廣録註解全書」には「永平廣録」から「永平家訓」に百二十五節採用とあり、普勸坐禪儀と坐禪箴を除いた数かとも考えたが、『永平廣録巻八から七節』とあるので、127節の間違いかと思う。

 


修証義と永平家訓

修証義と永平家訓

 

「修證義編纂史」岡田宣法著

(著者:岡田宣法 昭和十五年二月十五日:発行 代々木書院:刊行)

 

「修證義編纂史」52~54頁

「第七『洞上在家修證義』編輯の精神」

「幽蘭師の二著と面山師の『永平家訓』と『洞上在家修證義』」より

 

「更に吾人の注意すべきことは、本秀幽蘭師が彼の二著(「永平正宗訓」と「洞上正宗訣」)の企てはこれ又前代の何ものに刺戟されたかといふことである。

この點に關しては吾人は幽蘭師が『洞上正宗訣』中に引用されたる『永平家訓』を推さなくてはならない。

『永平家訓』一巻は、『洞上正宗訣』編纂の天保十年に先つこと凡そ一百二年前の元文二年を以て面山師が編纂されたのである。

師は高祖の『永平廣録』の中の祖語を抜抄し、之を修證の過程に随つて八章に分類し、祖語を極めて組織的に取扱ふたものである。

即ち第一發心出家訓、第二佛祖正宗訓、第三諦信因果訓、第四通達修證訓、第五揀瓣邪見訓、第六正傳三昧訓、第七格外玄旨訓、第八知恩報恩訓これである。

この分類法は出家修道者を對象としたものであるから、大内(大内青巒)氏の在家化導法としての組織だてとは自ら相違のあるべきことは勿論であるが、然し祖語に或る組織を與へた取扱方、或は一定の組織の中へ祖語を配當せしめた取扱方は、恐らく面山師の『永平家訓』が嚆矢(こうし)であらうと思ふ。

而して大内氏の『洞上在家修證義』は其に次げるものである。

斯く見來る時は、大内氏が『永平家訓』を閲覧されたことは勿論であらうと思ふから、氏が祖語の組織的取扱を思ひつきたることは恐らくこの『永平家訓』では無からうか否か。

若し之を細論する時は、兩者の間に相當な關係點を發見するに苦しまないのである。

されば大内氏が『洞上在家修證義』の編纂は、その動機としては、在家化導と云ふ布教が、時代の必須事件として擡頭し來つたことにあるが、その編纂の基本的資料を提供したものは、之を前にしては面山師の『永平家訓』と云ふべく、之に次では『洞上正宗訣』や『永平正宗訓』であると云ふことが出來やうと思ふ。」

 

以上のように岡田宣法著「修證義編纂史」の中で「永平家訓」について書かれている。

しかし、この「永平家訓」と「洞上在家修證義」との関連は推測の域を脱していない。

たしかに「洞上正宗訣」と「永平正宗訓」とは「修証義」と重なる部分が多い。

だが、「永平家訓」は『高祖の“永平廣録”の中の祖語を抜抄し、之を修證の過程に随つて八章に分類し、祖語を極めて組織的に取扱ふたもの』には間違いは無いが、『若し之を細論する時は、兩者の間に相當な關係點を發見するに苦しまない』とするには無理がある。

「永平家訓」の項目だけを見れば、そのような感じもするが、「永平家訓」は出家修行者、「修証義」は在家信者を対象としているので、自ずからその編集目的が違っている。

在家衆生済度の為の「洞上在家修證義」の編集過程において、この「永平家訓」を念頭に置いたとは考えられない。

無理にこの「永平家訓」と「洞上在家修證義」とを関連付ける必要性は全く無いと云って良い。