永平正宗訓・洞上正宗訣

 
修証義と永平正宗訓と洞上正宗訣


『修證義は明治二十年頃曹洞扶宗會と云へる団体に於て道元禅師の「正法眼藏」中より修證に切要なる語句を採り「洞上在家修證義」と名くるものを編集す。

明治二十三年に至て 両本山は先つ扶宗會の「洞上在家修證義」を採り収め 全篇の語句を一々「正法眼藏」に対照して 誤謬あるは之を正し又は削除せり。

茲に「正法眼藏」中より宗教の大意安心正依の標準と成るへき祖訓を採択し 本文の通り五章三十一節に編纂して「曹洞教會修證義」と名けたり。』

瀧谷琢宗禅師著の「曹洞教會修證義筌蹄・緒言三項・第一」には大略上記のようにある。

洞上在家修證義と曹洞教會修證義は正にかくの如く編集されたが、その折り、「永平正宗訓」と「洞上正宗訣」とを参考し、この二冊より多くの言葉が採用されたと云われている。 (註1)

この「永平正宗訓」並びに「洞上正宗訣」は、江戸時代、本秀幽蘭が「正法眼蔵」より一部の巻を抜粋し、さらにその中の語句を選び抜き、一般に読み易く編集出版された書である。

「永平正宗訓」は天保十二年辛丑仲秋の出版。
「洞上正宗訣」は天保十年の「序」があるが、巻末に「天保十二年辛丑晩秋」とあるのは此の時再版されたものか?。  


 永平正宗訓
 永平正宗訓

 

永平正宗訓序

 

釋迦牟尼佛はじめて正覺(ほとけということ)を成してのたまはく、奇哉(きなるかな)一切衆生、如來の智慧特相を具するといゑども、ただ妄想執着によりて證することなしと、諸佛これがために出現し、祖師これがために法を傳ふ、誠にそれ法を信すればその法、をのづからをこなはる、しるべし、むかし毬(てまり)によりて四果を證し、黙坐せるをみて悟(さとり)を開く、これ智によらず、文をみず、語(かたり)をきかず、教(をしえ)によらずといえども、この發露(ほつろ)一念の正信によりて、諸悪つくられず、なりゆくところに、菩提の業(ぎょう)あらはる、ここをもて、有縁の衆生に、わが祖師傳(つたへ)たまはる如來の正宗(じゅう)をしらしめんとおもひはかる、ことどとくかたりがたく、またかきてほどこさんこともかたかるべし、このゆゑに、祖師の法語の要(ゑう)とするところをとりて、木(き)にのぼせて、やすく人(ひと)にほどこさんと子(ね)がうところなり、その要とするところは、まづ世の無常をしらしめは、吾我(ごが)おのづからわすれて、欲(よく)なく、敵(てき)なし、しかあれは、君臣父子をしへにしたがひて孝順おこなはれ、夫婦兄弟ものいはずしてやわらぐ、これを修(しゅう)するに吾(わが)永平二代尊のいはく、たとひ八萬四千の雑念(ざうねん)起滅(きめつ)するも、當人(たうにん)とりあはずうちすてぬれば、ことごとく般若(はんにゃ)の神通光明となると、しかあれば、妄想(もうざう)の縁(ゑん)ながくつきて佛智の光となる、このゆゑに、たちどころに佛土となりて、目にふれ耳にきくところ、艸木樹林(さうもくじゅりん)念佛念法、われと萬物(ばんもつ)とふたつなく、穢土と浄土と別處なし、遺教経にいはく、これを一處に制すれは、事として辨(べん・わきまえ)ぜずといふことなしと、それこれをいふか。

 天保十二年辛丑仲秋祖忌日但州出石城直指林中秀幽蘭自序

 

 期約

此書を開かんとおもはば、先ず手を洗い、口をそそいで三拝し、香にくんじて、生身に向て慈訓を聞が如く、拝覧すべし、吾一派、在家正信あるとも、祖師在家の化縁、おほく家訓のうちに、混雑せるがゆえに拝覧する人まれなり、依て其要とするところを取て、此巻とす、今正信を發して、百たびこれを反復せば、必ず其信を生ず、向上の玄奥は、正法眼蔵等に依るべし、近は洞上正宗訣にあり、日用佛祖拝礼は、曹洞宗在家行法の式に依るべし。

 

 洞上正宗訣
 洞上正宗訣

洞上正宗訣・期約


此書を開かんとおもはば、先ず手を洗い、口をそそいで三拝し、香にくんじて、生身に向て慈訓を聞が如く、拝覧すべし、遠孫の晩學おほく家訓に參するもの、万仭嶮崕に向ふが如く、すすみかたきを苦む、人の為に家訓のうちより、正宗の真をとり、正信の要をあつめて一巻となす。今正信を發して、百たびこれを反復せば、必ず其信を生ず、而して、正法眼蔵等の家訓に參ぜば、正宗の命脈その理おのづから明察すべし。

 

修証義のどの箇所が「永平正宗訓」「洞上正宗訣」より採用されたのかを下に示す。

 

尚、桜井秀雄著『開けゆく法城』(昭和仏教全集)にはこの事が図表付きで示されているらしいが、この書を手にすることが出来なかったので、独自に調べた結果、或いは抜け落ちの箇所があるやも知れない。その場合はお許し願いたい。(註2)

 

 

修 證 義


第一章 総序

 

生を明らめ死を明らむるは佛家一大事の因縁なり、生死の中に佛あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究盡すべし。
人身得ること難し、佛法値うこと希れなり、

 

【今我等宿善の助くるに依りて】
「永平正宗訓」(歸依三寶)(三の右)

 

【已に受け難き人身を受けたるのみに非ず、遇い難き佛法に値い奉れり】
「永平正宗訓」(出家功徳)(三十の左、三十一の右)

 

生死の中の善生、最勝の生なるべし、最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すること匆れ。
無常憑み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、

 

身已に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め難し、紅顔いずくえか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし、熟観ずる所に往事の再び逢うべからざる多し】

「洞上正宗訣」(恁麼)(一の右、左)

 

【無常匆ちに到るときは国王大臣親暱従僕妻子珍寶たすくる無し、唯獨り黄泉に趣くのみなり、己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり】
「永平正宗訓」(出家功徳)(三十一の右)

 

今の世に因果を知らず業報を明らめず、三世を知らず、善悪を辧まえざる邪見の黨侶には群すべからず、大凡因果の道理歴然として私なし、造悪の者は堕ち、修善の者は陞る、亳釐も忒わざるなり、若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸佛の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。

 

【善悪の報に三時あり、一者順現報受、二者順次生受、三者順後次受これを三時という、佛祖の道を修習するには、其最初より斯三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり、但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。】
「洞上正宗訣」(三時業)(二十三の右、左)

 

當に知るべし今生の我身二つ無し、三つ無し、徒らに邪見に堕ちて虚く悪業を感得せん、惜からざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて、悪の報を感得せざるには非ず。

 
 

第二章 懺悔滅罪

 

佛祖憐みの餘り廣大の慈門を開き置けり、是れ一切衆生を證入せしめんが為なり、人天誰か入らざらん、彼の三時の悪業報必ず感ずべしと雖も、懺悔するが如きは重きを轉じて軽受せしむ、又滅罪清浄ならしむるなり。然あれば

 

【誠心を専らにして前佛に懺悔すべし、恁麼するとき前佛懺悔の功徳力我を拯いて清浄ならしむ、此功徳能く無礙の浄信精進を生長せしむるなり、浄信一現するとき、自他同じく轉ぜらるるなり、其利益普ねく情非情に蒙ぶらしむ

「洞上正宗訣」(谿聲山色)(十七の右、左)

 
其大旨は願わくは

 

【我れ設い過去の悪業多く重なりて障道の因縁ありとも、佛道に因りて得道せりし諸佛諸祖我を愍みて業累を解脱せしめ、學道障り無からしめ、其功徳法門普ねく無盡法界に充満彌綸せらん哀みを我に分布すべし、佛祖の往昔は吾等なり、吾等が當来は佛祖ならん。】
「洞上正宗訣」(谿聲山色)(十八の右)

 

我昔所造諸悪業、皆由無始貧瞋痴、従身口意之所生、一切我今皆懺悔、是の如く懺悔すれば必ず佛祖の冥助あるなり、心念身儀発露白佛すべし、発露の力罪根をして銷殞せしむるなり。

 

 

第三章 受戒入位

 

次には深く佛法僧の三寶を敬い奉るべし、生を易え身を易えても

 

【三寶を供養し敬い奉らんことを願うべし】
「永平正宗訓」(道心)(四の右)

 

西天東土佛祖正傳する所は恭敬佛法僧なり。若し

 

【簿福少徳の衆生は三寶の名字猶お聞き奉らざるなり、何に況や帰依し奉ることを得ん】や。

「永平正宗訓」(歸依三寶)(三の左)

 

徒らに所逼を怖れて山神鬼神等に帰依し、或は外道の制多に帰依すること勿れ、彼は其帰依に依りて衆苦を解脱すること無し、

 

【早く佛法僧の三寶に帰依し奉りて衆苦を解脱するのみに非ず菩提を成就】すべし。
「永平正宗訓」(歸依三寶)(三の左)

 

其帰依三寶とは正に浄信を専らにして、或は如来現在世にもあれ、或は如来滅後にもあれ、合掌し低頭して口に唱えて云く、

 

【南無帰依佛、南無帰依法、南無帰依僧】
「永平正宗訓」(道心)(四の左)

 

佛は是大師なるが故に帰依す、法は良薬なるが故に帰依す、僧は勝友なるが故に帰依す、佛弟子となること必ず三帰に依る、何れの戒を受くるも必ず三帰を受けて其後諸戒を受くるなり、然あれば則ち三帰に依りて得戒あるなり。

 

【此帰依佛法僧の功徳必ず感應道交する時成就するなり、設い天上人間地獄鬼畜なりと雖も、感應道交すれば必ず帰依し奉るなり、巳に帰依し奉るが如きは、生生世世在在處處に増長し】
「永平正宗訓」(歸依三寶)(四十八の左)

 

必ず積功累徳し阿耨多羅三藐三菩提を成就するなり、知るべし三帰の功徳其れ最尊最上甚深不可思議なりということ世尊巳に證明しまします、衆生當に信受すべし。
次には應に三聚浄戒を受け奉るべし。
第一攝律儀戒、第二攝善法戒、第三攝衆生戒なり、次には應に十重禁戒を受け奉るべし、第一不殺生戒、第二不偸盗戒、第三不邪淫戒、第四不妄語戒、第五不酤酒戒、第六不説過戒、第七不自讃毀他戒、第八不慳法財戒、第九不瞋恚戒、第十不謗三寶戒なり、上来三帰、三聚浄戒、十重禁戒、是れ諸佛の受持したもう所なり。
受戒するが如きは三世の諸佛の所證なる阿耨多羅三藐三菩提金剛不壞の佛果を證するなり、誰の智人か欣求せざらん、世尊明らかに一切衆生の為に示しまします、衆生佛戒を受くれば即ち諸佛の位に入る、位大覚に同うし已る、真に是れ諸佛の子なりと。

 

【諸佛の常に此中に住持たる、各各の方面に知覚を遺さず、群生の長えに此中に使用する、各各の知覚に方面露れず】
「洞上正宗訣」(辨道話)(二の右)

 

【是時十方法界の土地草木牆壁瓦礫皆佛事を作すを以て其起す所の風水の利益に預る輩、皆甚妙不可思議の佛化に冥資せられて親き悟を顕わす】
「洞上正宗訣」(辨道話)(三の左)

 

是を無為の功徳とす、是を無作の功徳とす、是發菩提心なり。

 

 

第四章 發願利生

 

菩提心を發すというは、己れ未だ度らざる前に一切衆生を度さんと發願し営むなり、設い在家にもあれ、設い出家にもあれ、或は天上にもあれ、或は人間にもあれ、苦にありというとも、楽にありというとも、早く自未得度先度他の心を發すべし、其形陋しというとも此心を發せば已に一切衆生の導師なり、設い七歳の女流なりとも即ち四衆の導師なり、衆生の慈父なり、男女を論ずること勿れ、此れ佛道極妙の法則なり。若し

 

【菩提心を發して後、六趣四生に輪轉すと雖も其輪轉の因縁皆菩提の行願となるなり】
「洞上正宗訣」(谿聲山色)(二十一の右)

 

然あれば従来の光陰は設い空く過すというとも、今生の未だ過ぎざる際だに急ぎて發願すべし、

 

【設い佛に成るべき功徳熟して圓満すべしというとも、尚お廻らして衆生の成佛得道に回向するなり】
「洞上正宗訣」(發菩提心)(二十一の右、左)

 

或は無量劫行ないて衆生を先に度して自らは終に佛に成らず、但し衆生を度し衆生を利益するもあり。
衆生を利益すというは四枚の般若あり、

 

【一者布施、二者愛語、三者利行、四者同事】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十四の左)

 

是れ則ち

 

【薩埵の行願なり】
「永平正宗訓」(四摂法)(三十の左)

 

【其布施というは貧らざるなり、】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十四の左)

 

【我物に非ざれども布施を障えざる道理あり、其物の軽きを嫌わず、其功の實なるべきなり】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十五の右)

 

【然あれば則ち一句一偈の法をも布施すべし、此生佗生の善種となる、一錢一草の財をも布施すべし、此世佗世の善根を兆す、法も財なるべし、財も法なるべし、】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十五の左)

 

【但彼が報謝を貧らず、自らが力を頒つなり、船を置き橋を渡すも布施の檀度なり】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十六の右)

 

【治生産業固より布施に非ざること無し。】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十六の右)

 

【愛語というは、衆生を見るに先ず慈愛の心を發し、顧愛の言語を施すなり、】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十七の右)

 

【慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり、徳あるは讃むべし、徳なきは憐むべし】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十七の左)

 

【怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり、面いて愛語を聞くは】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十七の左、二十八の右)

 

面を喜ばしめ、心を楽しくす、面わずして愛語を聞くは

 

【肝に銘じ(ず)】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十八の右)

 

魂に銘ず

 

【愛語能く廻天の力あることを學すべきなり、】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十八の右)

 

【利行というは貴賤の衆生に於きて利益の善巧を廻らすなり、】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十八の右)

 

【窮亀を見病雀を見しとき、彼が報謝を求めず、唯単えに利行に催おさるるなり、愚人謂わくは利佗を先とせば自からが利省れぬべしと、爾には非ざるなり、利行は一法なり、普ねく自佗を利するなり。】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十八の右、左)

 

【同事というは不違なり、自にも不違なり、佗にも不違なり、譬えば人間の如来は人間に同ぜるが如し、】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十九の右)

 

【佗をして自に同ぜしめて後に自をして佗に同ぜしむる道理あるべし、自佗は時に随うて無窮なり、】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十九の左)

 

【海の水を辭せざるは同事なり】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十九の左)

 

【是故に能く水聚りて海となるなり。】
「永平正宗訓」(四摂法)(二十九の左)

 

大凡菩提心の行願には、是の如くの道理静かに思惟すべし卒爾にすること勿れ、済度攝受に一切衆生皆化を被ぶらん功徳を禮拜恭敬すべし。

 

 

第五章 行持報恩

 

此發菩提心多くは南閻浮の人身に發心すべきなり、今是の如くの因縁あり、願生此娑婆國土し来れり、見釋迦牟尼佛を喜ばざらんや。
静に憶うべし、正法世に流布せざらん時は、身命を正法の為に拠捨せんことを願うとも値うべからず、正法に逢う今日の我等を願うべし、見ずや佛の言わく

 

【無上菩提を演説する師に値わんには、種姓を観ずること莫れ、容顔を見ること莫れ、非を嫌うこと莫れ、行を考うること莫れ、但般若を尊重するが故に】
「洞上正宗訣」(禮拝得髄)(三十三の左、三十四の右)

 

【日日三時に礼拝し、恭敬して更に患惱の心を生ぜしむること莫れと】
「洞上正宗訣」(禮拝得髄)(三十四の右)

 

今の見佛聞法は佛祖面面の行持より来れる慈恩なり、佛祖若し單傳せずば奈何にしてか今日に至らん、一句の恩尚お報謝すべし、一法の恩尚お報謝すべし、况や正法眼蔵無上大法の大恩これを報謝せざらんや、病雀尚お恩を忘れず三府の環能く報謝あり、窮亀尚お恩を忘れず餘不の印能く報謝あり。
畜類尚お恩を報ず、人類爭か恩を知らざらん。其

 

【報謝は餘外の法は中るべからず】
「永平正宗訓」(行持)(二十三の右)

 

【唯當に日日の行持、其法謝の正道なるべし、謂ゆるの道理は日日の生命を等閑にせず、私に費さざらんと行持するなり。】
「永平正宗訓」(行持)(二十三の右、左)

 

光陰は矢よりも迅かなり、身命は露よりも脆し、何れの善巧方便ありてか過ぎにし一日を復び還し得たる、

 

【徒らに百歳生けらんは恨むべき日月なり悲むべき形骸なり、設い百歳の日月は聲色の奴婢と馳走すとも、其中一日の行持を行取せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の佗生をも度取すべきなり、此一日の身命は尊ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なり】
「洞上正宗訣」(行持)(十の右、十一の左)

 

此行持あらん身心自からも愛すべし、自からも敬うべし、我等が行持に依りて諸佛の行持見成し、諸佛の大道通達するなり、然あれば則ち

 

【一日の行持是れ諸佛の種子なり、諸佛の行持なり。】

「永平正宗訓」(行持)(二十四の右、左)

 

謂ゆる諸佛とは釋迦牟尼佛なり釋迦牟尼佛是れ即心是佛なり、過去現在未来の諸佛共に佛と成る時は必ず釋迦牟尼佛と成るなり、是れ即心是佛なり即心是佛というは誰というぞと審細に参究すべし、正に佛恩を報ずるにてあらん。

 

(修證義終)



 

(註1)

 

洞上正宗訣(目次)

 

恁麼・辨道話・辨道話・永平家訓・辨道話・現成公案・現成公案・山水経・現成公案・如上(現成公案)・山水経・現成公案・如上(現成公案)・都機・行持・恁麼・無情説法・摩訶般若・三百則中・大悟・行持・辨道話・如上(辨道話)・行佛威儀・學道用心集・行佛威儀・同上(行佛威儀)・同上(行佛威儀)・身心學道・諸悪莫作・谿聲山色・同上(谿聲山色)・同(谿聲山色)・同(谿聲山色)・發菩提心・谿聲山色・行持・發菩提心・同(發菩提心)・同(發菩提心)・同(發菩提心)・同(發菩提心)・同(發菩提心)・同(發菩提心)・同(發菩提心)・同(發菩提心)・谿聲山色・發菩提心・同(發菩提心)・随聞記・發菩提心・三時業・同(三時業)・同(三時業)・同(三時業)・同(三時業)・歸依三寶・三時業・同(三時業)・同(三時業)・四禪比丘・同(四禪比丘)・同(四禪比丘)・同(四禪比丘)・同(四禪比丘)・同(四禪比丘)・同(四禪比丘)・同(四禪比丘)・行持・同(行持)・禮拝得髄・谿聲山色・同(谿聲山色)・同(谿聲山色)・諸法實相・自證三昧・谿聲山色・同(谿聲山色)・梅華・諸法實相・自證三昧・身心學道・菩提分法・同(菩提分法)・出家功徳・辨道話・同(辨道話)・法華轉・説心説性・寶慶記。
附録-高祖十二時頌・大智禪師示寂阿禪門(菊池肥後守藤武時入道)十二時法語。


永平正宗訓(目次)

 

随聞記・如上(随聞記)・随聞記三・歸依三寶・如上(歸依三寶)・如上(歸依三寶)・如上(歸依三寶)・道心・袈裟功徳・傳衣・道心・随聞記二・随聞記三・随聞記一・同上(随聞記一)・坐禪儀・坐禪箴・廣録・辨道法・随聞記二・随聞記二・随聞記三・随聞記二・同(随聞記二)・随聞記・辨道話・生死・随聞記五・随聞記五・行持・行持・行持・如上(行持)・四摂法・出家功徳・同(出家功徳)・同(出家功徳)・随聞記四・随聞記五・随聞記四・随聞記五・随聞記四・随聞記五・随聞記一・随聞記一・随聞記一・随聞記五・随聞記四・随聞記二・随聞記三・ 随聞記二・随聞記五・随聞記一・随聞記三・随聞記六・随聞記二・随聞記三・随聞記二・同(随聞記二)・随聞記四・随聞記五・随聞記六・歸依三寶・随聞記一。 

 


 

(註2)

 

最近、桜井秀雄著『開けゆく法城』(昭和仏教全集)を入手することが出来た。
その書103頁に正法眼蔵から「洞上正宗訣」「永平正宗訓」が引用した数と「修証義」に採用した数が一覧表となって掲載してある。

 

№ 原典名 洞上正宗訣 永平正宗訓 (計)
1 弁道話  7②    1①    ③ 

 

上記のような形で列記してあり、文章は明示していない。

 

又、㊟に「○内の数は原典から正宗訣または正宗訓が引用した文を、さらに現行修証義でも採用した文の数とす。」とあり、105頁に『すなはち正法眼蔵弁道話から、正宗訣では七ヵ処、正宗訓では一ヵ処から文を集めているが、これら集めた文と同じものを、修証義でも二ヵ処と一ヵ処、計三ヵ処について、これを編み綴っているということに気づくことである。』と記している。

 

しかし、№7の袈裟功徳より永平正宗訓が2①で(計)①とされ、「正法眼蔵袈裟功徳」から「永平正宗訓」に二ヵ処、現行修証義でも一ヵ処、 編み綴ったとしているのは納得がいかない。
「永平正宗訓」に「袈裟功徳」は項目では一ヵ処でしかない。

(その項目内容から見れば、実際は三ヵ処とも云える。)
さらに又、「正法眼蔵袈裟功徳」より「修証義」に採用されたのは『生死の中の善生、最勝の生なるべし』と『畜類尚お恩を報ず、人類争か恩を知らざらん』と云う言葉であるが、「永平正宗訓」にはこの言葉が示されていないのである。