正法眼蔵随聞記

正法眼蔵随聞記
正法眼蔵随聞記
重刻正法眼藏随聞記序-1
重刻正法眼藏随聞記序-1
重刻正法眼藏随聞記序-2
重刻正法眼藏随聞記序-2



正法眼蔵随聞記

 

重刻正法眼藏隨聞記序

 

余歳念七、總の山王林に閲藏す。衆中に上毛(かふつけ)の東海慧命有り。、餘に長きことなり、幾と二十夏。然と雖も亦時、訪藏殿に訪て話す。因に謂く、曽て越の祖山に留錫して、古冩の正法眼藏隨聞記を拜讀す。印版する所の本と之を對考するに、大に差異有り。繕冩に暇無くして、今に到て慊慊たりと。自ら記持する所の差異を略話す。余、聞て歡喜する。頗る好き本なり。爾れ自り追慕止まず。到處、之を尋覓するに、亦、獲ず。後に加の大乘に寓す。時に益堂甫公、堂頭なり。復た向の如きの事を示す。後ち經十餘年を經て、空印に粥飯す。前席雪心和尚は是れ甫公の神足なり。此を以て之に語る。和尚謂く、我れ其の事を知り、且つ持の本を持すと。因て懇請して拜讀す。其の印版と差異する所の三豕、皆な前聞に符合す。然と雖も、住持事繁なり。淨冩に暇無し、此の菴に隱に泊して、此に從事すること、幾乎と周年。逐行較正して、漸く完全を得たり。私淑を欲さず、重刻して以て宇内に布す。因て首に凡例を擧し、讀者して差異の梗概を知らしむ。伏して冀くは、祖訓親密の諄諄、之を悠久に傳て、以て鼎鹵と磷かざらん者なり。

 

 寶暦八年戊寅二月吉旦

  若州永福開闢面山瑞方拜題  印 印 印

 


凡例

 

一 案ずるにこの記、前版は寬文九年己酉の中秋に京五條室町小亀三左衞門と云書林印版す。寶暦七年丁丑より九十年許已前なり。

一 余、弱輩の時、ある老宿、話て云く、これは敎家の古寺に冩本ありしを敎僧讀て、作者は誰ともしらねども法理の殊勝なるゆへに利益の爲とて印版せられしなりと。

一 案ずるに右の人、本より禪家の事に疎きゆへか、言句のかなのつけ様一向に不案内なり。懷奘(クワイジヤウ)宏智(クワウチ)會(クワイ)禪師等のごとし。

一 前版を考するに音にてよむ字に、かなを附たり。續高僧傳(カウソウデン)などの如し。古本は全編始より末まで音によむ。文字には片かななし、亦訓によむ字にもかなを附たり。汝(ナンヂ)が崇(アガムル)むる處などの如し。古本はなんぢが崇るところと、皆かななり、眞字はなし。如是とあるも古本は此のごとし亦はかくのごとしとあり。メ(シテ)とかきて、してとよませたる所も、古本はみな、してとあり。メの字なし。也(ナリ)とある所も、古本は皆なりとかなにかきて、也の字なし。なくしてとある所も古本はみな、なふしてとあり。したがつてとある所も、古本はみな、したがふてとあり。■(|モ)とかきてともとよませたる所も、古本はみなともとあり、■(|モ)の字なし。

 

一 前版を印刻せし、敎僧の、我れが不知の所は、私案にて、直せし所もありと見ゆ。葉上を用祥とせしの類なり。

 

一 この敎僧は、不才の人と察せらる。魯仲連は人の名なり。魯は氏なり、仲連は名なるを、魯を國の名とばかり知て、魯の中連とせしは、故事に暗し。文選の國爲一人興先賢爲後愚廢に十一宇を、かなにのべて國は一人の爲に先賢を興しと直せしは不才の證なり。

 

一 この外に前版には辭の加添もあり。減少もあり。文字の冩誤は、かぎりをしらず。大概をいわば、眼を根となし、攻てを改めてとなし、操を相とし、十を千とし、品を器とし、斟を勘とし、路を俗とし、寺を等とし、隋を隨とし、誇を跨とし、足を定とし、抔を杯とし、曠を廣とし、事々とあるを盡くとし、假名を借名とし、霧を露とし、有時を稱となして有時(アリトキ)とし、隣國の字を項羽と直し、雲峰を雪峰とし、考を姥とし、裝を奘とし、減を驗とし、遺を貴とし、澠を瑶とする等誤多し。今本と對考して是非をしるべし。

 

一 この記、前板には跋語なし。古冩本には跋語あれども作者の名をのせず。亦年號等もなし。然れども先師奘和尚とあれば徹通和尚か。いづれ奘祖の法嗣ならん。嘉禎年中の記録と跋にあれば、祖師の興聖寺に御在住の中なり。ゆへに越山の事見へず。考ふるに奘祖は文暦甲午年三十七にて、初て祖師に參ぜらる。この時祖師は三十五歳なり。三年ありて嘉禎二年丙申の冬、秉拂あらる。嘉禎は三年の丁酉に改暦す。嘉禎年中の記録とあれば隨侍より四年の間ほどの記録なり。奘祖は祖師より二年の年上なり。後に光明藏三昧を述せられしを拜讀すれば、顯密の學も祖師に劣るまじ。但佛祖正傳の訣、分明ならぬゆへに祖師に依隨せらるなるばし。この記の問難は、一一理極せり。祖師無師智の自在にあらずんば容易に答釋なりがたかるべし。實に祖師は日本の無上尊なり。

 

一 全編文字の左傍、處々に諺譯(ヒラコトバ)つけしは原本には無し。余が愚案の蛇足なり。

 

 凡例尾



正法眼藏隨聞記第一 (長円寺本・第二)
   侍者 懷奘 編

 

【1-1】
 一日示して云く、續高僧傳の中に、或る禪師の會下に一僧あり。金像の佛と亦佛舍利とをあがめ用ひて、衆寮等にありても常に燒香禮拜し、恭敬供養しき。有時禪師の云く、汝ぢが崇むる處の佛像舍利は、後には汝がために不是あらんと。其の僧うけがはず。師云く、是れ天魔波旬の作す處なり、早く是を棄つべし。其の僧憤然として出ぬれば、師すなはち僧の後へに云ひ懸て云く。汝箱を開いて是を見べしと。其の僧いかりながら是を開てみれば、毒蛇わだかまりて臥りと。是を以て思ふに、佛像舍利は如來の遺像遣骨なれば恭敬すべしと云へども、また偏に是を仰ひて得悟すべしと思はヾ、還て邪見なり。天魔毒蛇の所領となる因縁なり。佛説の功德は定まれる事なれば、人天の福分となること生身と等しかるべし。總じて三寶の境界を恭敬供養すれば、罪滅び功德を得ん。また惡趣の業をも消し人天の果をも感ずることは實なり。是によりて法の悟りを得んと思ふは僻見なり。佛子と云は佛敎に順じて直に佛位に到る爲なれば、只だ敎に隨て工夫辨道すべきなり。共の敎に順ずる實の行と云は、即今の叢林の宗とする只管打坐なり。是を思ふべし。

 

【1-2】
 亦云く、戒行持齋を守護すべければとて、強て宗として是を修行に立て、是によりて得道すべしと思ふも、亦これ非なり。只だ是れ衲僧の行履、佛子の家風なれば、隨ひ行ふなり。是れを能事と云へばとて、必ずしも宗とする事なかれ。然あればとて破戒放逸なれと云には非ず。若し亦かの如く執せば邪見なり、外道なり。只だ佛家の儀式、叢林の家風なれば隨順しゆくなり。是を宗とする事、宋土の寺院に寓せし時に、衆僧にも見へ來らず。實の得道にためには唯だ坐禪工夫、佛祖の相傳なり。是によりて一門の同學五眼房故葉上僧正の弟子が、唐土の禪院にて持齋をかたく守りて戒經を終日誦せしをば、敎て捨てしめたりしなり。
 懷奘問て云く、叢林學道の儀式は百丈の淸規を守るべきか。然あれば、彼れはじめに受戒護戒を以て先とすと見へたり。亦今の傳來相承は根本戒をさづくとみへたり。當家の口訣、面授にも、西來相傳の戒を學人にさづく。是れ便ち、今の菩薩戒なり。然あるに今の戒經に、日夜に是を誦せよと云へり。何ぞ是を誦するを捨てしむるや。
 師云く、しかなり。學人最とも百丈の規繩を守るべし。然あるに其の儀式は受戒護戒坐禪等なり。晝夜に戒經を誦し專ら戒を護持すと云は、古人の行履に隨て祇管打坐すべきなり。坐禪の時何れの戒か持たざる。何れの功德か來らざる。古人行じおける處の行履、皆深き心なり。私しの意樂を存ぜずして、衆に隨ひ古人の行履に任せて行じゆくべきなり。

 

【1-3】
 有時示して云く、佛照禪師の會下に一僧ありて、病患のとき肉食を思ふ。照、是を許して食せしむ。ある夜自ら延壽堂に行て見たまへば、燈火幽にして病僧亦肉を食す。時に、一鬼病僧の頭べの上にのりいて件の肉を食す。僧は我が口に入ると思へども、我は食せずして頭上の鬼が食するなり。然しより後は病僧の肉食を好むをば、鬼に領ぜられたりと知て是を許しきと。是につゐて思ふに、許すべきか許すべからざるか、斟酌(サシヒキ)あるべし。五祖演の會にも肉食のことあり。許すも制するも古人の心皆其意趣あるべきなり。

 

【1-4】
 一日示して云く、人其家に生れ其道に入らば、先づ其家業を修すべしと、知べきなり。我道にあらず己が分にあらざらんことを知り修するは即ち非なり。今も出家人として便ち佛家に入り僧侶とならば須く其業を習ふべし。其業を習ひ其儀を守ると云は、我執をすてヽ、知識の敎に隨ふなり。其大意は貪欲無きなり。貪欲なからんと思はヾ先づ須く吾我を離るべきなり。吾我を離るヽには、無常を觀ずる是れ第一の用心なり。世人多く、我はもとより人にもよしと云はれ思はれんと思ふなり。然あれども能も云はれ思はれざるなり。次第に我執を捨て知識の言に隨ひゆけば、精進するなり。理をば心得たるやうに云て、さはさにあれども我は其事を捨ゑぬと云て、執し好み修するは、彌(イヨイヨ)よ沈淪するなり。禪僧の能くなる第一の用心は、只管打坐すべきなり。利鈍賢愚を論ぜず、坐禪すれば自然によくなるなり。

 

【1-5】
 示して云く廣學博覽はかなふべからざることなり。一向に思ひ切て止べし。唯一事につゐて用心故實をも習ひ先達の行履をも尋ねて、一行を專らはげみて、人師先達の氣色すまじきなり。

 

【1-6】
 或時、奘問て云く、如何是不昧因果底道理(如何か是れ不昧因果底の道理)

 師云く、不動因果なり。

 云く、なんとしてか脱落せん。

 師云く、因果歴然なり。

 云く、かくの如くならば因果を引起すや、果因を引起すや。

 師云く、總てかくの如くならば、かの南泉の猫兒を斬るがごとき、大衆既に道ひ得ず、便ち猫兒を斬却しおはりぬ。後に趙州、頭に草鞋を戴きて出たりし、亦一段の儀式なり。

 亦云く、我れ若し南泉なりせば、即ち云べし、道ひ得たりとも便ち斬却せん、道ひ得ずとも便ち斬却せん、何人か猫兒をあらそふ、何人か猫兒を救ふと。大衆に代て云ん、既に道ひ得ず、和尚猫兒を斬却せよと。亦大衆に代て云ん、和尚只一刀兩段を知て一刀一段を知らずと。

 奘云く、如何是一刀一段。

 師云く、猫兒是。

 亦云く、大衆不對の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と、云て便ち猫兒を放下してまじ。古人の云く、大用現前して軌則を存ぜずと。

 亦云く、今の斬猫は是便ち佛法の大用現前なり、或は一轉語なり。若し一轉語にあらずば山河大地妙淨明心と云べからず。亦即心是佛とも云べからず。便ち此一轉語の言下にて猫兒即佛身と見よ。亦此詞を聽て學人も頓に悟入すべし。

 亦云く、此斬猫兒即是佛行なり。喚で何とか云べき。

 云く、喚で斬猫と云べし。

 奘云く、是れ罪相なりや否や。

 云く、罪相なり。

 奘云く、なにとしてか脱落せん。

 云く、別別無見なり。

 云く、別解脱戒とはかくの如を云か。

 云く、然り。

 亦云く、たヾしかくの如きの料簡、たとひ好事なるとも無らんにはしかじ。
 奘問て云く、犯戒の語は受戒己後の所犯を云か、唯亦未受己前の罪相をも犯戒と云べきか。如何ん。
 師答て云く、犯戒の名は受後の所犯を云べし。未受己前所作の罪相をば只罪相罪業と云て犯戒と云べからず。
 問て云く、四十八輕戒の中に未受戒の所犯を犯と名くと見ゆ。如何ん。
 答て云く、然らず。彼は未受戒の者、今ま受戒せんとする時、所造のつみを懺悔するに、今の戒にのぞめて、前に十戒等を授かりて犯し、後ち亦輕戒を犯ずるをも犯戒と云なり。以前所造の罪を犯戒と云にはあらず。
 問て云く、今受戒せんとする時、まへに造りし所の罪を懺悔せんが爲に、未受戒の者に十重四十八輕戒を敎へて讀誦せしむべしと見へたり。亦下の文に、未受戒の前にして説戒すべからずと。此の二處の相違如何。
 答て云く、受戒と誦戒とは別なり、懺悔のために戒經を誦するは猶是念經なり。故に末受者戒經を誦せんとす。彼が爲に經を説かんこと咎あるべからず。下の文に、利養の爲のゆゑに未受戒の前にして是を説ことを制するなり。今受戒の者に懺悔せしめん爲には最も是を敎ゆべし。
 問て云く、受戒の時は七逆の受戒を許さず。先の戒の中には逆罪も懺悔すべしと見ゆ。如何ん。
 答て云く、實に懺悔すべし。受戒の時、許さヾることは、且く抑止門とて抑ゆる義なり。亦上の文は、破戒なりとも還得受せば淸淨なるべし。懺悔すれば淸淨なり。未受に同からず。
 問て云く、七逆すでに懺悔を許さば、亦受戒すべきか。如何ん。
 答て云く、然あり。故僧正自ら所立の義なり。既に懺悔を許す、亦是受戒すべし。逆罪なりとも、くひて受戒せば授くべし。況や菩薩はたとひ自身は破戒の罪を受とも、他の爲には受戒せしむべきなり。

 

【1-7】
 夜話に云く、惡口を以て僧を呵嘖し毀呰すること莫れ。設ひ惡人不當なりとも左右なく惡くみ毀ることなかれ。先づいかにわるしと云とも、四人己上集會しぬればこれ僧體にて國の重寶なり、最も歸敬すべきものなり。若は住持長老にてもあれ、若は師匠知識にてもあれ、弟子不當ならば慈悲心老婆心にて敎訓誘引すべし。其時設ひ打べきをば打ち、呵嘖すべきをば呵嘖すとも、毀讐謗言の心を發すべからず。先師天童淨和尚住持のとき、僧堂にて衆僧坐禪の時、眠りを誡しむるに、履を以て打ち謗言呵嘖せしかども、衆僧皆打たるヽを喜び讃歎しき。有時亦上堂の次でに云く、我れ既に老後、今は衆を辭し菴に住して老を扶けて居るべけれども、衆の知識として各の迷を破り道を授けんがために住持人たり。是に依て或は呵嘖の詞ばを出し、竹箆打擲等のことを行ず。是頗る怖れあり。然あれども、佛に代て化儀を揚る式なり。諸兄弟慈悲を以て是を許し給へと言ば、衆僧皆流涕しき。此の如きの心を以てこそ衆をも接し化をも宣べけれ。住持長老なればとて、亂に衆を領じ我が物に思ふて可嘖するは非なり。況や其人にあらずして人の短處を云ひ、他の非を謗るは非なり。能能用心すべきなり。他の非を見て惡しヽと思ふて慈悲を以て化せんと思はヾ、腹立まじきやうに方便して、傍ら事を云ふやうにて、こしらふべきなり。

 

【1-8】
 亦物語に云く、故鎌倉の右大將、始め兵衞佐(ひやうゑのすけ)にて有し時、内裡の邊に一日はれの會に出仕の時、一人の不當人ありき。其時の大納言おほせて云く、是を制すべしと。大將の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の將軍なりと。大納言の云く、近か近かなればなりと。大將の云く、其の人に非ずと。是れ美言なり。此の心にて後には世をも治められしなり。今の學人も其心あるべし。其人にあらずして人を呵すること莫れ。

 

【1-9】
 夜話に云く、昔魯仲連と云ふ將軍ありき。平原君が國に在て能く朝敵をたひらぐ。平原君賞して數多の金銀等を與へしかば、魯仲連辭して云く、只だ將軍のみちなれば敵を能く討のみなり、賞を得て物をとらん爲に非ずと云て、敢て取らずと云ふ。魯仲連が廉直とて名譽のことなり。俗猶を賢なるは我れ其の人として其の道の能をなすばかりなり。かはりを得んと思はず。學人の用心もかくの如くなるべし。佛道に入り佛法の爲に諸事を行じて代に所得あらんと思ふべからず。内外の諸敎に皆無所得なれとのみ勸むるなり。

 

【1-10】
 法談の次に示して云く、設使(タトヒ)我れは道理を以て云ふに、人はひがみて僻事(ヒガゴト)を云を、理を攻て云ひ勝はあしきなり。亦我は現に道理と思へども、吾が非にこそと云てはやくまけてのくもあしばやなり。只人をも云ひ折らず、我が僻ことにも謂はず、無爲にして止みぬるが好きなり。耳に聽入れぬやうにして忘るれば、人も忘れて嗔(イカ)らざるなり。第一の用心なり。

 

【1-11】
 示して云く、無常迅速なり。生死事大なり。且く存命の際だ、業を修し學を好まば、只佛道を行じ佛法を學すべきなり。文筆詩歌等其の詮なき事なれば捨べき道理なり。佛法を學し佛道を修するにも、猶を多般を兼學すべからず。況や敎家の顯密の聖敎、一向にさしおくべきなり。佛祖の言語すら多般を好み學すべからず。一事を專らにせんすら、鈍根劣器の者はかなふべからず。況や多事を兼て心操をとヽのへざらんは不可なり。

 

【1-12】
 示して云く、昔し智覺禪師と云し人の發心出家のこと。此の師は初は官人なり。才幹に富み正直の賢人なり。國司たりし時官錢をぬすみて施行す。傍人是を帝に奏す。帝聞て大に驚怪す。諸臣も皆あやしむ。罪過すでに輕からず、死罪におこなはるべしと定まりぬ。爰に帝議して云く、此臣は才人なり、賢者なり。今ことさらに此罪を犯す、若し深き心あるか。頚を截んとき、悲み愁へたる氣色あらば速かに截べし。若し其の氣色なくんば定めて深き心あらん、截べからずと。敕使引去て截んとする時少も愁る氣色なし、還て喜ぶ氣色あり。自ら云く、今生の命は一切衆生に施すと。敕使驚き怪て帝に奏聞す。帝云く、然り定て深き心有ん。此事あるべしと兼て是を知と。依て其志を問。師云く、官を辭して命を捨て、施を行じて衆生に縁を結び、生を佛家に受て、一向に佛道を行ぜんと思ふと。帝是を感じて、許して出家せしむ。故に延壽と名を賜ふ。殺すべきをとヾむる故なり。今の衲子も是らほどの心を一度發すべきなり。命を輕じ衆生を憐む心深くして、身を佛制に任せんと思ふ心を發すべし。若し先きより此の心一念も有らば失なはじと保つべし。是れほどの心、一度おこさずして佛法を悟ることは有べからざるなり。

 

【1-13】
 夜話に云く、祖席に禪話をこヽろへる故實は、我が本より知り思ふ心、次第次第に知識の詞ばに隨ひて、改めもて行なり。假令(タトヒ)佛と云は、我が本より知たりつるやうは、相好光明具足し、説法利生の德ありし釋迦弥陀等を佛と知たりとも、知識若し佛と云は、蝦蟆蚯蚓(ガマミミズ)ぞと云はば、蝦蟆蚯蚓を是ぞ佛と信じて、日比(ヒゴロ)の知解を捨つべきなり。此の蚯蚓の上に佛の相好光明、種種の佛の所具の德を求むるも、猶情見あらたまらざるなり。只當時の見ゆる處を佛と知なり。若し此の如く詞に隨て、情見本執をあらためもて行かば、自ら契ふ處ろあるべきなり。然あるに近代の學者、自らの情見を執し己見を本として、佛とはかふこそあるべけれと思ひ、亦吾が存ずるやうに差(たが)へば、さはあるまじい、なんどヽ云て、自らが情量に似たることやあらんと迷ひありくほどに、大方佛道の精進なきなり。亦身を惜まずして百尺の竿頭に上りて、手足を放て一歩を進めよと云ふ時は、命ちありてこそ佛道も學すべけれと云て、眞實に知識に隨順せざるなり。能能思量すべきなり。

 

【1-14】
 夜話に云く、世間の人も衆事を兼學して、いづれも能くせざらんよりは、只一事を能くして、人前にしてもしつべきほどに學すべきなり。況や出世の佛法は、無始より以來修習せざる法なり。故に今もうとし。我性も拙なし。髙廣なる佛法に、ことの多般を兼ぬれば、一事をも成すべからず。一事を專にせんすら、本性昧劣の根器、今生に窮め難し。努力學人一事を專らにすべし
 奘問て云く、若し然らば何ごといかなる行か、佛法に專ら好み修すべき。
 師云く、機に隨ひ根に順ふべしと云へども、今祖席に相傳して專らする處ろは坐禪なり。此の行、能く衆機を兼ね、上中下根ひとしく修し得べき法なり。我れ大宋天童先師の會下にして此道理を聞て後ち、晝夜に定坐して極熱極寒には發病しつべしとて、諸僧しばらく放下しき。我れ其の時自ら思はく、設ひ發病して死すべくとも、猶只是れを修すべし。病ひ無ひして修せず、此の身をいたはり用ひてなんの用ぞ。病ひして死せば本意なり。大宋國の善知識の會下にて修し死に、死してよき僧にさばくられたらんは、先づ勝縁なり。日本にて死せば、是れほどの人に、如法佛家の儀式にて沙汰すべからず。修行していまだ契悟せざらん先に死せば、結縁として生を佛家に受くべし。修行せずして身を久く持ても詮無きなり。なんの用ぞ。況や身を全ふし病ひ起らじと思はんほどに知らず、亦海にも入り橫死にもあはん時は、後悔いかん。此の如く案じつヾけて、思ひ切て晝夜端坐せしに、一切に病ひ發らず。今各も一向に思ひきりて修して見よ。十人は十人ながら得道すべきなり。先師天童の勸めかくの如し。

 

【1-15】
 示して云く、人は思ひ切て命をも棄て、身肉手足をも截ことは、中々せらるヽなり。然あれば世間の事を思ふに、名利執心の爲にも多くかくの如く思ひ切なり。只依り來る時に事に觸れ物に隨て、心品を調ふること難きなり。學者身命を捨ると思ふて、且くおしヽづめて、云ふべきことをも修すべきことをも、道理に順ずるが順ぜざるかと案じて、道理に順ぜば云ひ、若は行じもすべきなり。

 

【1-16】
 示して云く、學道の人衣糧を煩ふこと莫れ。只佛制を守て、世事を營むこと莫れ。佛の言く、衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。いづれの世にか此に二事の盡ること有ん。
無常迅速なるを忘れて、徒らに世事に煩ふこと莫れ。露命の且(シバラ)く存ぜるあひだ、佛道を思て餘事をことヽすること莫れ。
 有人、問て云く、名利の二道は捨離し難しと云へども、行道の大なる礙りなれば、捨てずんばあるべからず。故へに是を捨つ。衣糧の二事は小縁なりと云へども、行者の大事なり。糞掃衣、常乞食は是れ上根の所行、亦是れ西天風流なり。神丹の叢林には常住物等あり。故に其煩ひ無し。我が國の寺院には常住物なし。乞食の儀も即ち絶て傳はらず。下根不堪の身、いかヾせん。然あらば予が如きは、檀信の信施を貪らんとするも、虚受の罪隨ひ來る。田商土工を營むは是れ邪命食なり。只天運に任せんとすれば、果報亦貧道なり。飢寒來らん時、是を愁ひとして行道を礙(サ)へつべし。或人諌めて云く、儞が行儀はなはだし、時を知らず、機をかへり見ざるに似たり。下根なり、末世なり。かくの如く修行せば、亦退轉の因縁となりぬべし。或は一檀那をも相かたらひ、若は一外護をもちぎりて、閑居靜處にして一身をたすけて、衣糧に煩ふこと無く、靜に佛道を行ずべし。是れ便ち財物等を貪るに非ず。暫時の活計を具して修行すべしと。此の詞を聞くと云へどもいまだ信用せず。かくの如きの用心いかん。
 答て云く、但夫れ衲子の行履、佛祖の家風を學ぶべし。三國ことなりといへども眞實學道の者いまだ此の如きの事あらず。只心を世事に執着すること莫れ。一向に道を學すべきなり。佛の言く、衣鉢の外は寸分も貯へざれ、乞食の餘分は飢たる衆生に施せ、設ひ受け來るとも寸分も貯ふべからず。況や馳走あらんや。外典に云く、朝に道を聞て夕べに死すとも可なりと。設ひ飢へ死に寒へ死すとも、一日一時なりとも佛敎に隨ふべし。萬劫千生幾回か生じ幾度か死せん。皆な是れ世縁妄執の故へなり。今生一度佛制に隨て餓死せん、是れ永劫の安樂なるべし。いかに況や未だ一大藏敎の中にも、三國傳來の佛祖、一人も飢へ死にし寒へ死にしたる人ありときかず。世間衣糧の資具は生得の命分ありて、求に依ても來らず、求ざれども來らざるにも非ず。只任運にして心に挾むこと莫れ。末法なりと謂ふて、今生に道心發ざずば、何れの生にか得道せん。設ひ空生迦葉の如くにあらずとも、只隨分に學道すべきなり。外典に云く、西施毛嬙(セイシマウシュウ)にあらざれども、色を好む者は色を好む、飛兎綠耳に非ざれども、馬を好む者は馬を好む、龍肝鳳髓にあらざれども、味を好む者は味を好む。只隨分の賢を用るのみなり。俗なを此の儀あり。佛家亦かくの如くなるべし。況や亦佛二十年の福分を以て、未法の我らに施す。是に依て天下の叢林、人天の供養絶へず。如來神通の福德自在なるも、馬麥(カラムギ)を食して夏を過しましましき。未法の弟子、豈に是を慕はざらんや。
 問て云く、破戒にして虚く人天の供養を受け、無道心にして、徒に如來の福分を費やさんより、在家人に隨ふて在家の事をなして、命ながらへて能く修道せんこと如何ん。
 答て云く、誰か云ひし破戒無道心なれと。只強て道心を發し佛法を行ずべきなり。いかに況や持戒破戒を論ぜず、初心後心を分かたず、齊しく如來の福分を與ふとは見へたれども、破戒ならば還俗すべし、無道心ならば修行せざれとは見へず。誰人か初めより道心ある。只かくの如く發し難きを發し、行じがたきを行ずれば、自然に增進するなり。人々皆な佛性あり。徒づらに卑下すること莫れ。亦文選に云、一國爲一人興先賢爲後愚廢(一國は一人の爲に興る、先賢は後愚の爲に廢る)と。言ふこヽろは、國に賢者一人出來れば其の國興る、愚人ひとり出來れば先賢のあと廢るヽなり。是を思ふべし。

 

【1-17】
 雜話の次でに云く、世間の男女老少、多く交會婬色等の事を談ず。是を以心を慰むるとし興言とすることあり。一旦意をも遊戲し、徒然も慰むるに似たりと云ふとも、僧はもつとも禁斷すべきことなり。俗猶よき人、まことしき人の、禮儀をも存じげにげにしき談の時、出來らざることなり。只亂醉放逸なる時の談なり。況や僧は專ら佛道を思ふべし。雜語は希有異體の亂僧の云ふことなり。宋土の寺院なんどには、都て雜談をせざれば、其やうなることをも云はざるなり。吾が國も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出來らず。滅後にも在世の時の門弟子等、少々殘りとヾまりたりし時は、一切に云はざりき。近ごろ此の七八年より以來、今ま出の若き人たち、時々談ずるなり。存外の次第なり。聖敎の中にも、麁強惡業(ソガウノアクゴウ)令人覺悟無利言説能障正道とありて、只うち出して云處の言ばすら、無利の言説は障道の因縁なり。況やかくの如きの言語は、ことばに引れて、即ち心も起りつべし。最も用心すべきなり。故さらにかくなん云はじとせずとも、惡きことヽ知りなば、漸々に對治すべきなり。

 

【1-18】
 夜話に云く、世人多く善事を作す時は人に知られんと思ひ、惡事を作す時は人に知れじと思ふに依て、此の心冥衆の心に合はざるに依て、所作の善事には感應なく、密(ヒソカ)に作す所の惡事には罰あるなり。是に仍て還て自ら謂く、善事には驗しなし、佛法の利益(リヤク)すくなしと思へるなり。是れ即ち邪見なり。最も改むべし。人も知らざる時に密に善事をなし、惡事を錯りて、後には發露してとがを悔ふ。かくの如くすれば便ち密々になす處の善事には感應あり。露(アラハ)るヽ惡事は懺悔せられて罪み滅する故に、自然に現益もあるなり。當果をも亦知るべし。
 爰(ココ)に有る在家人來りて問て云く、近代在家人衆僧を供養し佛法を歸敬するに、多く不吉のこと出來るに依て、邪見起り三寶に歸せじと思ふ、いかんと。
 答て云く、是は衆僧佛法の咎にはあらず、便ち在家人自らの錯(アヤマリ)なり。其の故は、假令(タトヒ)人目ばかりに持戒持齋の僧をば貴び供養し、破戒無慚の飮酒食肉等するをば不當なりと思ふて供養せず、此の差別の心寔(マコト)とに佛意にそむけり。故に歸敬の功もむなしく感應もなきなり。戒の中にも處々に此の心を誡めたり。僧ならば德の有無を擇(エ)らまず只供養すべきなり。殊に其の外相を以て内德の有無を決定すべからず。末世の比丘いさヽか外相尋常ならぬ處見ゆれども、亦是れにまされる惡心も惡事もあるなり。然る間だ、よき僧あしき僧を差別し思ふこと無ふして、佛弟子なれば貴びて平等の心にて供養歸敬もせば、必ず佛意に契て利益もひろかるべし。亦冥機、冥應、顯機、顯應等の四句あることを思ふべし。亦現生後報等の三時業のこともあり。是らの道理能々學すべきなり。

 

【1-19】
 夜話に云く、若し人來て用事を云ふ中に、或ひは人にものをこひ、或は訴訟等のことをも云んとて、一通の状をも所望すること出て來ること有んに、其の時我は非人なり、遁世籠居の身なれば、在家等の人に非分のことを云んは非なりとて、眼前の人の所望をかなへずば、實に非人の法には似たれども、其の心中をさぐるに、猶我れは遁世非人なり、非分のことを人に云はヾ、人定めてわるく思ひてんと云ふ道理を思ふて、聽かずんば、なを是れ我執名聞なり。只其の時に望んで能々思量して、眼前の人の爲に一分の利益となるべき事をば、人にあしく思はんことをも顧みずなすべきなり。此のこと非分なり、わるしとて、疎(ウト)みもし中をもたがわんも、かくの如くの不覺の知音(チイン)、中たがわん事何か苦るしかるべき。外には非分の僻事をすると人には見ゆるとも、内には我執を破り名聞を捨つる、第一の用心なり。佛菩薩は人の來て請ふときは身肉手足をも截れり、況や人來て一通の状をこはんに、名聞計りを思ふて其の事を聞かぬは是れ我執深きなり。人々ひじりならず、非分の事を云ふ人かなと、所詮なく思ふとも、我は名聞をすてヽ一分の人の利益とならば眞實の道に相應すべきなり。古人も其の義あるかと見ゆること多し。我も其の義を思ふて、少々檀那知音の思ひかけざる事を人に申傳へて給はれと云事をば、文み一通遣りて一分の利益を作すは易きことなり。
 奘問て云く、此こと寔に然り。たヾし善事にて人の利益とならんことを、人にも云ひ傳へんとは最ともなるべし。若し僻事を以て人の所帶を取んと思ひ、或ひは人の爲にあしき事を云んをば、云ひ傳ふべきや、如何ん。
 師云く、理非等のことは我が知るべきに非ず。只一通の状を乞へば與ふれども、理非に任せて沙汰あるべき由をこそ、人にも云ひ、状にも載すべけれ。請け取て沙汰せん人こそ、理非をば明らむべけれ。吾が分上にあらぬ此の如きのことを、理を柾(マゲ)てその人に云んことも亦非なり。亦現の僻事なれども、我を大事にも思ふ人にて、此の人の云んことは善惡たがへじと思ふほどの智音(チイン)ありて、檀那の處へひがごとを以て、不得心の所望をなさば、其れを只今その人より所望のことを一往聞くとも、彼の状には、去り難く申せば申すばかりなり、道理に任せて沙汰あるべしと書くべきなり。一切に是なれば彼れも是れも遺恨あるべからざるなり。此の如くのこと、人に對面をもし出來ることにつきて能々思量すべきなり。所詮は事に觸て名聞我執を捨つべきなり。

 

【1-20】
 夜話に云く、今ま世出世間の人、多分は善事をなしてはかまへて人に知られんと思ひ、惡事を作しては人に知られじと思ふ。是に依て内外不相應のこと出來たる。あいかまへて内外相應し、錯まりを悔ひ、實德をかくして外相をかざらず、好事をば他人にゆずり、惡事をば己れにむかふる志氣あるべきなり。
 問て云く、實德を藏し外相を飾らざらんこと、寔とに然るべし。但し佛菩薩は大悲利生を以て本とす。無智の道俗等、外相の不善を見て是を謗り難ぜば、謗僧の罪を感ぜん。實德を知らずとも外相を見て貴とび供養せば、一分の福分たるべし。是らの斟酌いかなるべきぞ。
 答て云く、外相を飾らずとて即ち放逸ならば亦是れ道理に差(タガ)ふ。實德を藏すと云ふて在家等の前にて惡行を現ぜん、亦是れ破戒の甚だしきなり。只希有の道心者、道者の由を人に知られんと思ひ、身にある失を人に知られじと思へども、諸天善神及び三寶の冥(ヒソカ)に知見する處なり。夫をば愧(ハヂ)ずして世人に貴とびられんと思ふ意ろを誡むるなり。只時にのぞみ事に觸て、興法の爲め利生の爲に、諸事を斟酌すべきなり。擬して後に云ひ思て後に行じて、卒暴なること莫れとなり。一切のことにのぞんで道理を案ずべきなり。念々止まらず、日々遷流(センル)して無常迅速なること、眼前の道理なり。知識經卷の敎へを待つべからず。只念々に明日を期することなく、當日當時ばかりを思ふて、後日は太だ不定なり。知り難ければ、只今日ばかり存命のほど佛道に隨はんと思ふべきなり。佛道に隨ふと云は興法利生の爲に身命を捨てヽ諸事を行じもてゆくなり。
 問て曰く、佛敎のすヽめに隨はヾ乞食等を行ずべきか、如何ん。
 答ふ、然あるべし。たヾし是れは土凮(ドフウ)に隨て斟酌あるべし。なににても利生も廣く我が行もすヽまんかたにつくべきなり。是らの作法、道路不淨にして佛衣を着して經行せばけがれつべし。亦人民貧窮にして次第乞食もかなふべからず。行道も退きつべく利益も廣からざらんか。只土凮をまほり尋常に佛道を行じ居たらば、上下の輩がら自ら供養を作し、自行化他成就せん。此の如きの事も、時に望み事に觸て道理を思量して、人目を思はず自らの益を忘て、佛道利生の爲に能(ヨキ)やうに計らふべし。

 

【1-21】
 示して云く、學道の人、世情を捨つべきについて、重々の用心あるべし。世をすて家をして身をすて心を捨つるなり。能々(ヨクヨク)思量すべきなり。世を遁(ノガレ)て山林に隱居すれども、吾が重代の家を絶やさず、家門親族のことを思ふもあり。亦世をものがれ家をもすてヽ、親族境界をも遠離すれども、我が身を思て苦るしからんことをばせじ、病ひ起るべからん事は佛道なりとも行ぜじと思ふも、いまだ身を捨ざるなり。亦身をも惜まず難行苦行すれども、心佛道に入らずして我が心に差ふことをば、佛道なれどもせじと思ふは、心を捨ざるなり。

 


正法眼藏隨聞記第二 (長円寺本・第三)

   侍者 懷奘 編

 

【2-1】

 示して云く、行者先づ心をだにも調伏しつれば、身をも世をも捨ることは易きなり。只言語につけ行儀につけて人目を思ひて、此の事は惡事なれば人あしく思ふべしとてなさず、我れ此の事をせんこそ佛法者と人は見んとて、事に觸て善きことをせんとするも、猶を世情なり。然あればとて亦恣(ホシ)ひまヽに我が心に任せて惡事をするは、一向の惡人なり。所詮惡心を忘れ我が身を忘れて、只一向に佛法の爲にすべきなり。向ひ來らんごとに隨て用心すべきなり。初心の行者は先づ世情なりとも、人情なりとも惡事をば心に制し、善事をば身に行ずるが、便ち身心を捨つるにて有なり。

 

【2-2】

 示して云く、故僧正建仁寺におはせし時、獨りの貧人來りて云く、我が家貧ふして絶煙數日におよぶ。夫婦子息兩三人餓死しなんとす。慈悲を以て是れを救ひ給へと云ふ。其の時房中に都て衣食財物等無し。思慮をめぐらすに計略つきぬ。時に藥師の像を造らんとて光(クワウ)の料に打のべたる銅少分ありき。是れを取て自ら打をり、束ねまるめて彼の貧客にあたへて云く、是を以て食物にかへて餓をふさぐべしと。彼の俗よろこんで退出しぬ。時に門弟子等難じて云く、正しく是れ佛像の光なり。これを以て俗人に與ふ。佛物己用の罪如何ん。僧正の云く、誠に然り。但し佛意を思ふに佛は身肉手足を割きて衆生に施こせり。現に餓死すべき衆生には、設ひ佛の全體を以て與ふるとも佛意に合ふべし。亦云く、我れは此の罪に依て惡趣に墮すべくとも、只衆生の飢へを救ふべしと云云。先達の心中のたけ今の學人も思ふべし。忘るヽこと莫れ。

 亦有る時、僧正の門弟の僧等の云く、今の建仁寺の寺ら屋敷、川原に近し。後代に水難なりぬべしと。僧正の云く、我れ寺の後代の亡失、是れを思ふべからず。西天の祇園精舍もいしずゑばかりとヾまれり。然あれども寺院建立の功德失すべからず。亦當時一年半年の行道、其の功德莫大なるべしと。今ま是れを思ふに、寺院の建立寔に一期の大事なれば未來際をも兼て難無きやうにとこそ思ふべけれども、さる心中にも亦此の如きの道理、存ぜられたる心のたけ、寔に是れを思ふべし。

 

【2-3】

 夜話に云く、唐の太宗の時、魏徴(ギチヨウ)奏して云く、土民等帝を謗ずることありと。帝云く、寡人仁ありて人に謗ぜられば、愁ひとすべからず、仁無ふして人に讃ぜられば、是れを愁ふべしと。俗猶をかくの如し。僧は最も此の心あるべし。慈悲あり道心ありて愚癡人に誹謗せられんは、苦しかるべからず、無道心にて人に有道と思はれん、是れを能々津つヽしむべし。

 亦示して云く、隋の文帝の云く、密々に德を修して飽けるをまつ。言ふ心は、よき道德を修して、あけるをまちて民をいつくしうするとなり。僧猶を是に及ばずんばもつとも用心すべきなり。只内に道業を修すれば、自然に道德外にあらはれて、人に知れんことを期せずのぞまずして、只もつぱら佛敎にしたがひ祖道に隨がひゆけば、人自づから道德に歸するなり。こヽに學人の錯まり出で來るやうは、人にたつとばれ財寶いで來るを以て、道德のあらはれたると、自からも思ひ人も知り思ふなり。是れ即ち天魔波旬のつきたると心にしりて、最も思量すべし。敎の中に是は魔の所爲と云なり。いまだ聞かず、三國の例、財寶にとみ愚人の歸敬をもつて道德とすべきことを。道心者と云ふは昔しより三國みな貧にして、身をくるしくし一切を省約して、慈あり道あるを、まことの行者と云ふなり。德のあらはるヽと云も、財寶にゆたかに供養にほこるを云にあらず。德の顯はるヽに三重あるべし。先づは其の人其の道を修するなりと知らるヽなり。次には其の道を慕ふ者いで來る。後には其の道をおなじく學し同じく行ずる、是を道德のあらはるヽと云ふなり。

 

【2-4】

 夜話に云く、學道の人は人情を棄べきなり。人情をすつると云は佛法に隨がひ行くなり。世人をほく小乘根性にて、善惡をわきまへ是非を分ちて是をとり非をすつるは、みな是れ小乘根性なり。只先づ世情をすてヽ佛道に入るべし。佛道に入には、我こヽろに善惡を分けてよしと思ひ、あしヽと思ふことをすてヽ、我が身よからん我が意ろなにとあらんと思ふ心をわすれて、善くもあれ惡くもあれ佛祖の言語行履(アンリ)に隨がひゆくなり。吾が心に善しと思ひ亦世人のよしと思ふこと、必らずしも善からず。然あれば人めもわすれ吾が意ろをもすてヽ、佛敎に隨はひゆくなり。身もくるしく心も愁ふるとも、我が身心をば一向にすてたるものなればと思ふて、苦るしくうれへつべきことなりとも、佛祖先德の行履ならばなすべきなり。此の事はよきこと佛道にかなひたらめと思ふて、なしたく行じたくとも、もし佛祖の行履に無からん事はなすべからず。是れ必らず法門をもよくこヽろへたるにてあるなり。吾が心にも亦本より習ひ來たる法門の思量をば棄てヽ、只今見る所ろの祖師の言語行履に次第に心ろを移しもてゆくなり。かくのごとくすれば智慧もすヽみ悟りも開くるなり。本より學せし處ろの敎家文字の功もすつべき道理あらば棄てヽ、今まの義につきて見るべきなり。法門を學する事は本より出離得道のためなり。我が所學多年の功つめり、なんぞたやすく捨てんと猶を心ろ深く思ふ、即ち此の心を生死繋縛(ケバク)の心と云ふなり。能々思量すべし。

 

【2-5】

 夜話に云く、故建仁寺僧正の傳をば顯兼(アキカネ)中納言入道の書れたるなり。其の時辭することばに云く、儒者に書かせらるべきなり。それゆへは、儒者はもとより身をわすれて幼なき時きより長となるなで學問を本とす。故にかき出したるものに誤なり無きなり。直(タダ)の人は身の出仕交衆を本として、かたはらことに學問をもするあひだ、自から好人あれども、文筆のみちにも誤まり出で來りなりと。是を思ふに昔しの人は外典の學問も身をわすれて學するなり。

 亦云く、故公胤(コウイン)僧正の云く、道心と云ふは一念三千の法門なんどを胸の中に學し入れてもちたるを道心と云ふなり。なにと無く笠を頚に懸て迷ひありくをば天狗魔縁の行と云ふなり。

 

【2-6】

 夜話に云く、故僧正の云く、衆僧各所用の衣糧等の事、予があたふると思ふ事なかれ。皆な是れ諸天に供(クウ)ずる所ろなり。吾れは取り次ぎ人にあたりたるばかりなり。亦各一期の命分具足す。奔走すること莫れ。吾が恩と思ふこと莫れと常にすヽめられける。是れ第一の美言とをぼゆるなり。亦大宋宏智(ワンシ)禪師の會下天童は常住物千人の用途なり。然あれば堂中七百人堂外三百人にて千人につもる常住物なるに、好き長老の住したる故へに、諸方の僧雲集して堂中千人なり。其外に五六百人あるなり。知事の人、宏智に訴たへて云く、常住物は千人の分なり、衆僧多く集まりて用途不足なり、柾げてはなたれんと申ししかば、宏智云く、人人みな口ちあり、汝ぢが事にあづからず、歎くこと莫れと云云。今ま是を思ふに、人人皆生得の衣食あり。思念によりても出で來らず、求めざれば來らざるにもあらず。在家人すらなを運に任かせて忠を思ひ孝を學す。いかに況や出家人はすべて他事を管ぜんや。釋尊遺付の福分あり、諸天應供の衣食あり、亦天然生得の命分あり。求めず思はずとも任運に命分あるべきなり。直饒(タト)ひ走り求めて寶らをもちたりとも、無常忽ちに來らん時如何ん。故へに學人は只須からく餘事を心ろにとヾめず、一向に學道すべきなり。亦ある人の云く、末世邊土の佛法興隆は、閑居靜處をかまへ衣食等の外護にわづらひなく、衣食具足して佛法修行せば、利益も廣かるべしと。今まこれを思ふに然らず。これに附ては、有相著我の諸人あつまり學せんほどに、その中には一人も發心の人は出來るまじ。利養につき財欲にふけりて、縱ひ千萬人集りたらんも、一人無からんに猶おとるべし。惡道の業因のみ自ら積て、佛法の氣分なきゆへなり。もし淸貧艱難にして、或ひは乞食し、あるひは果蓏(クワラ)等を食して、常に飢饉して學道せんに、是れを聞て若し一人も來り學せんと思ふ人あらんこそ、誠との道心者、佛法興隆ならめとおぼゆれ。艱難淸貧によりてもし一人もなからんと、衣食ゆたかにして諸人あつまりて佛法の無からんとは、只八兩と半斤となり。

 亦云く、當世の人、多く造像起塔等の事を佛法興隆と思へり。是れ亦非なり。直饒ひ髙堂大觀玉をみがき金をのべたりとも、是れに依て得道の者あるべからず。只在家人の財寶を佛界に入れて善事をなす福分なり。亦小因大果を感ずることあれども、僧徒の此の事をいとなむは佛法興隆にはあらざるなり、たとひ草菴樹下にてもあれ、法門の一句をも思量し一と時の坐禪をも行ぜんこそ、誠の佛法興隆にてあらめ。今ま僧堂を立んとて勸進をもし隨分にいとなむ事は、必ずしも佛法興隆と思はず。只當時學道する人もなくいたづらに日月を送るあひだ、只あらんよりはと思ふて、迷徒の結縁ともなれかし、亦當時學道の徒(トモ)がらの坐禪の道場のためなり。亦思ひ始めたる事のならぬとても恨みあるべからず。只柱ら一本なりとも立てヽ置たらば、後來も、かく思ひくはだてたれども成らざりけりと見んも、苦るしかるべからずと思ふなり。

 

【2-7】

 亦ある人勸めて云く、佛法興隆にために關東に下向すべしと。

 答て云く、然らず。若し佛法に志しあらば、山川江海を渡りても來て學すべし。其の志ざし無らん人に往き向ふて勸むるとも、聞き入れんこと不定なり。只我が資縁のために人を誑惑せんか、亦財寶を貪らんがためか。其れは身の苦しみなれば、いかでもありなんと覺ゆるなり。

 

【2-8】

 亦云く、學道の人、敎家の書籍をよみ、外典等を學すべからず。見るべくんば語録等を見るべし。其の餘はしばらく是を置べし。近代の禪僧、頌を作くり法語を書かんがために文筆等をこのむ、是れ便ち非なり。頌につくらずとも心に思はんことを書出し、文筆とヽのはずとも法門をかくべきなり。是をわるしとて見ざらんほどの無道心の人は、よく文筆を調へていみじき秀句ありとも、只言語ばかりを翫あそんで理を得べからず。我れ本と幼少の時より好のみ學せしことなれば、今もやヽもすれば外典等の美言案ぜられ、文選等も見らるヽを、詮なき事と存ずれば、一向にすつべき由を思ふなり。

 

【2-9】

 一日示して云く、吾れ在宋の時禪院にして古人の語録を見し時、ある西川の僧道者にてありしが、我に問て云く、語録を見てなにの用ぞ。答て云く、古人の行李を知ん。僧の云く、何の用ぞ。云く、鄕里にかへりて人を化せん。僧の云く、なにの用ぞ。云く、利生のためなり。僧の云く、畢竟じて何の用ぞと。予後に此の理を案ずるに、語録公案等を見て古人の行履をも知り、あるひは迷者のために説き聽かしめん、皆な是れ自行化他のために畢竟じて無用なり。只管打坐して大事をあきらめなば、後には一字を知らずとも、他に開示せんに用ひつくすべからず。故に彼の僧、畢竟じてなにの用ぞとは云ひける。是れ眞實の道理なりと思ひて、其の後語録等を見ることをやめて、一向に打坐して大事を明らめ得たり。

 

【2-10】

 夜話に云く、眞實内德なふして人に貴びらるべからず。此の國の人は眞實の内德をば知らずして、外相を以て人を貴とぶほどに、無道心の學人は、即ち惡道にひきおとされて魔の眷屬となるなり。人に貴とびられんは安き事なり。中々身を捨て世をそむく由を以てなすは、外相ばかりの假令(ケリヤウ)なり。只なにともなく世間の人の様にて内心を調へもてゆくが、是れ實の道心者なり。然あれば古人の云く、内ち空しふして外したがふと。云心は、内心は我心なふして、外相は他に隨がひもてゆくなり。我が身我が心と云ふ事を一向に忘れて佛法に入て、佛法のおきてに任かせて行じもてゆけば、内外ともによく今も後もよきなり。佛法の中にもそヾろに身をすて世をすつればとて、棄つべからざる事をすつるは非なり。此の土の佛法者道心者を立る人の中にも、身をすつるとて、人はいかにも見よと思ひて、ゆへ無く身をわるくふるまひ、或は亦世を執せぬとて、雨にもぬれながら行きなんどするは、内外ともに無益なるを、世間の人はすなはち此らを、貴き人かな世を執せぬなんどヽ思へるなり。中に佛制を守りて戒律の儀をも存じ、自行化他佛制にまかせて行ずるをば、かへりて名聞利養げなるとて人も管ぜざるなり。夫れが却て吾がためには佛敎にも隨ひ内外の德も成ずるなり。

 

【2-11】

 夜話に云く、學道の人、世間の人に智者もの知りとしられては無用なり。眞實求道の人の一人もあらん時は、我が知る所の佛祖の法を説かざることあるべからず。直饒ひ我を殺ろさんとしたる人なりとも、眞實の道を聽んとて誠との心を以て問はヾ、怨心をわすれて是が爲に説べきなり。其外か敎家の顯密及び内外の典籍等の事、知りたる氣色しては全く無用なり。人來りて此の如きの事を問はヾ、知らずと答へたらんに一切に苦るしかるべからざるなり。其れをもの知らぬはわるしと人も思ひ、愚人と自らも覺ゆる事を傷んで、ものを知らんとて博く内外典を學し、剩すさへ世間世俗の事をも知らんと思ふて諸事を好み學し、あるひは人にも知りたる由をもてなすは、究めて僻事なり。學道のために眞實に無用なり。知りたるを知らざる氣色するも、むつかしくやうがましければ、却てあたる氣色にてあしきなり。本とより知らざらんは苦るしからざることなり。我れ幼少の時、外典等を好み學しき。夫れがのち入宋傳法するまでも、内外の書籍を開き方語を通ずるまでも、大切の用事、亦世間のためにも、尋常ならざる事なり。俗なんども尋常ならざる事に思ひたる、かたがたの用事にてありけれども、今ま熟つら思ふに、學道のさはりにてあるなり。只聖敎を見るとも文に見ゆる所ろの理を次第に心ろ得てゆかば、其の道理を得つべきなり。然るに先づ文章を見、對句韻聲なんどを見て、よきぞあしきぞと心に思ふて、後に理をば心得るなり。然あれば中々知らずして、初めより道理を心ろえて行かばよかるべきなり。法語等を書くにも、文章におほせて書んとし、韻聲差へば礙(サ)へられなんどするは、知りたる咎なり。語言文章はいかにもあれ、思ふ儘の理を顆々と書きたらんは、後來も文はわろしと思ふとも、理だにも聞ゑたらば道のためには大切なり。餘の才學も此くの如し。傳へ聞く、故髙野の空阿彌陀佛は、本は顯密の碩德なりき。遁世の後ち念佛の門に入て後に、眞言師ありて來て密宗の法門を問けるに、彼の人答へて云く、皆わすれおはりぬ、一字もおぼへずとて、答へられざりけるなり。是らこそ道心の手本となるべけれ。などかは少々覺へではあるべき。然あれども無用なる事をば云はざりけるなり。一向念佛の日はさこそ有べけれと覺ゆるなり。今の學者も此の心あるべし。縱ひもと敎家の才學等ありとも皆忘れたらんは好事なり。況や今ま學すること努々あるべからず。宗門の語録等、猶を眞實參學の道者は見るべからず。其の餘は是を以て知るべし。

 

【2-12】

 夜話に云く、今此國の人は、多分、或ひは行儀につけ、或ひは言語につけ、善惡是非世人の見聞識知を思ふて、其の事をなさば人惡しく思ひてん、其の事は人善しと思ひてんと、乃至向後までをも執するなり。是れ全く非なり。世間の人必ずしも善とすることあたはず。人はいかにも思はヾ思へ、狂人とも云へ、我が心に佛道に順じたらんことをばなし、佛法に順ぜずんば行ぜずして、一期をも過ごさば、世間の人はいかに思ふとも苦るしかるべからず。遁世と云は世人の情を心にかけざるなり。たヾ佛祖の行履菩薩の慈悲を學して、諸天善神の冥に照す所を慚悅して、佛制に任せて行じもてゆかば、一切苦るしかるまじきなり。さればとて亦人の惡しヽと思ひ云んも苦るしかるべからずとて、放逸にして惡事を行じて人を愧ざるは、是れ亦非なり。たヾ人目にはよらずして一向に佛法に依て行ずべきなり。佛法の中には亦然のごときの放逸無慚をば制するなり。

 

【2-13】

 亦云く、世俗の禮にも、人の見ざる處あるひは暗室の中なれども、衣服等をきかゆる時も、亦坐臥する時にも放逸に隱處なんどをも藏くざず無禮なるをば、天に慚ぢず鬼に斷ぢずとてそしるなり。只だ人の見る時と同くかくすべき處をもかくし、はづべきことをもはづるなり。佛法の中も亦戒律かくのごとし。然あれば道者は内外を論ぜず、明暗を擇ばず、佛制を心に存じて人の見ず、知らざればとて惡事を行ずべからざるなり。

 

【2-14】

 一日學人問て云く、某甲なを學道を心にかけて年月を經るといへども、いまだ省悟の分あらず。古人多く道は聡明靈利に依らず、有智明敏を用ひずと云ふ。然あれば我が身、下根劣器なればとて卑下すべきにもあらずときこへたり。若し故實用心を存ずべき様ありや、如何ん。

 示して云く、然あり、有智高才を用ひず、靈利聡明によらぬは、まことの學道なり。あやまりて盲聾癡人のごとくになれとすヽむるは非なり。學道は是れ全く多聞高才を用ひぬ故へに、下根劣器と嫌ふべからず。誠の學道はやすかるべきなり。然あれども大宋國の叢林にも、一師の會下の數百千人の中に、まことの得道得法の人はわずかに一人二人なり。然あれば故實用心もあるべきなり。今ま是を案ずるに志の至と至らざるとなり。眞實の志しを發して隨分に參學する人、得ずと云ふことなきなり。その用心の樣は、何事を專らにしその行を急にすべしと云ことは、次のことなり。先ず只欣求の志しの切なるべきなり。譬へば重き寶をぬすまんと思ひ、強き敵をうたんと思ひ、高き色にあはんと思ふ心あらん人は、行住坐臥、ことにふれおりに隨て、種種の事はかはり來るとも其れに隨て、隙を求め心に懸くるなり。この心あながちに切なるもの、とげずと云ふことなきなり。此の如く道を求る志し切になりなば、或は只管打坐の時、或は古人の公案に向はん時、若は知識に逢はん時、實の志しを以て行ずる時、高くとも射つべく深くとも釣りぬべし。是れほどの心ろ發らずして、佛道の一念に生死の輪廻をきる大事をば如何んが成ぜん。若し此の心あらん人は、下智劣根をも云はず、愚癡惡人をも論ぜず、必ず悟りを得べきなり。亦此の志しをおこす事は切に世間の無常を思ふべきなり。此の事は亦只假令の觀法なんどにすべきことにあらず。亦無きことをつくりて思ふべきことにもあらず。眞實に眼前の道理なり。人のおしへ、聖敎の文、證道の理を待つべからず。朝に生じて夕ふべに死し、咋目みし人今目はなきこと、眼に遮ぎり耳にちかし。是は他のうへにて見聞することなり。我が身にひきあてヽ道理を思ふに、たとひ七旬八旬に命を期すべくとも、終に死ぬべき道理に依て死す。其の間の憂へ樂しみ、恩愛怨敵等を思ひとげばいかにでもすごしてん。只佛道を信じて涅槃の眞樂を求むべし。況や年長大せる人、半ばに過ぬる人は、餘年幾く計りなれば學道ゆるくすべきや。此の道理も猶のびたる事なり。眞實には、今日今時こそかくのごとく世間の事をも佛道の事をも思へ、今夜明日よりいかなる重病をも受て、東西をも辨へぬ重苦の身となり、亦いかなる鬼神の怨害をもうけて頓死をもし、いかなる賊難にもあひ怨敵も出來て殺害奪命せらるヽこともやあらんずらん。實に不定なり。然あれば是れほどにあだなる世に、極て不定なる死期をいつまで命ちながらゆべきとて、種種の活計を案じ、剩さへ他人のために惡をたくみ思て、いたづらに時光を過すこと、極めておろかなる事なり。此の道理眞實なればこそ、佛も是れを衆生の爲に説きたまひ、祖師の普説法語にも此の道理のみを説る。今の上堂請益等にも、無常迅速生死事大と云ふなり。返返(カヘスガヘス)も此の道理を心にわすれずして、只今日今時ばかりと思ふて時光をうしなはず、學道に心をいるべきなり。其の後は眞實にやすきなり。性の上下と根の利鈍は全く論ずべからざるなり。

 

【2-15】

 夜話に云く、人多く遁世せざることは、我が身をむさぼるに似て、我が身を思はざるなり。是れ便ち遠慮なきなり。亦是れ善知識にあはざるに依てなり。縱ひ利養を思ふとも常樂の益を得て龍天の供養を得んことを願ひ、名聞を思ふとも佛祖の名を得、古德の名を得ば後賢も是れを聞ては慕ふべきなり。

 

【2-16】

 夜話に云く、古人の云く、朝に道を聞て夕べに死すとも可なりと。いま學道の人も此の心あるべきなり。曠劫多生の間だ、いくたびか徒らに生じ徒らに死せしに、まれに人身を受けてたまたま佛法にあへる時、此の身を度せずんば、何れの生にか此身を度せん。縱ひ身を惜みたもちたりともかなふべからず。ついに捨てヽ行く命ちを一日片時なりとも佛法のために捨てたらんは、永劫の樂因なるべし。後のこと明目の活計を思ふて棄つべき世を捨てず、行ずべき道を行ぜずして、徒らに日夜を過すは、口惜きことなり。只思ひきりて、明日の活計なくば飢へ死にもせよ、寒ごへ死にもせよ、今日一日道を聞て佛意に隨て死せんと思ふ心を、まづ發すべきなり。然るときんば道を行じ得んこと一定(イチヂヤウ)なり。此の心なければ、世をそむき道を學する様なれども、猶しり足をふみて夏冬の衣服等のことをした心にかけて、明日猶明年の活命を思ふて佛法を學せんは、萬劫千生學すともかなふべしともおぼへず。亦さる人もやあらんずらん、存知の意趣、佛祖の敎へにはあるべしともおぼへざるなり。

 

【2-17】

 夜話に云く、學人は必ずしぬべきことを思ふべき道理は勿論なり。たとひ其のことをば思はずとも、暫く先づ光陰を徒らに過さじと思ひて、無用のことをなして徒らに時を過ざず、詮あることをなして時を過すべきなり。其のなすべきことの中にも、亦一切のこといづれか大切なると云ふに、佛祖の行履の外はみな無用なりと知るべし。

 

【2-18】

 或る時奘問て云く、衲子の行履、舊損の衲衣等を綴り補ふてすてざれば、ものを貪惜するに似たり。亦舊きをすてヽ新しきを隨て用れば、新しきを貪求する心あり。兩ながら答あり。畢竟じていかんが用心すべき。

 答て云く、貪惜貪求の二つをだにも離れなば、兩頭ともに失なからん。ただし、破たるを綴て久からしめて、新きをむさぼらずんば、可ならんか。

 

【2-19】

 夜話の次に、奘問て云く、父母の報恩等の事は作すべきや。

 示して云く、孝順は最用なる所なり。然あれども其の孝順に在家出家の別あり。在家は孝經等の説を守て生につかへ死につかふること、世人みな知れり。出家は恩をすてヽ無爲に入る故に、出家の作法は恩を報ずるに一人にかぎらず、一切衆生をひとしく父母のごとく恩深しと思ふて、なす處の善根を法界にめぐらす。別して今生一世の父母にかぎらば無爲の道にそむかん。日日の行道、時時の參學、只佛道に隨順しもてゆかば、其れを眞實の孝道とするなり。忌日の追善中陰の作善なんどは皆在家に用ふる所ろなり。衲子は父母の恩の深きことをば實の如くしるべし。餘の一切も亦かくの如しと知るべし。別して一日を占てことに善を修し、別して一人を分て廻向するは、佛意にあらざるか。戒經の父母兄弟死亡之日の文は、且く在家に蒙むらしむるか。大宋叢林の衆僧、師匠の忌日には其儀式あれども、父母の忌日は是を修したりとも見へざるなり。

 

【2-20】

 一日示して云く、人の利鈍と云ふは、志しの到らざる時のことなり。世間の人の馬より落る時、いまだ地におちつかざる間に種種の思ひ起る。身をも損じ命ちをも失するほどの大事出來る時は、誰人も才學念慮を廻すなり。其時は利根も鈍根も同くものを思ひ義を案ずるなり。然あれば今夜死に明目死ぬべしと思ひ、あさましきことに逢ふたる思ひを作して、切にはげまし志をすヽむるに、悟りをえずと云ふことなきなり。中々世智辯聡なるよりも鈍根なるやうにて切なる志しを發する人、速に悟りを得るなり。如來在世の周梨槃特のごときは、一偈を讀誦することも難かりしかども、根性切なるによりて一夏に證を取りき。只今ばかり我が命は存ずるなり。死なざる先きに悟を得んと切に思ふて佛法を學せんに、一人も得ざるはあるべからざるなり。

 

【2-21】

 一夜示して云く、大宋の禪院に麥米等をそろへて、惡きをさけ善きをとりて飯等にすることあり。是れを或る禪師の云く、直饒ひ我が頭をうち破ること七分にすとも、米をそろふることなかれと。頌につくり戒めたり。此のこヽろは、僧は齋食等をとヽのへて食することなかれ、只有るにしたがひてよければよくて食し、惡きをもきらはずして食すべきなり。只檀那の信施、淸淨なる常住食を以て、餓を除き命をさヽへて行道するばかりなり。味ひを以て善惡を擇ぶことなかれと謂ふなり。今ま我が會下の徒衆も此の心あるべし。

 

【2-22】

 因に問て云く、學人若し自己これ佛法なり、外に向て求むべからずとききて、深く此の言を信じて、向來の修行參學を放下して、本性に任せて善惡の業をなして一期を過さん、此の見解いかん。

 示して云く、此の見解、言と理と相違せり。外に向て求むべからずと云て、行を捨て學を放下せば、此の放下の行を以て所求ありときこへたり。これ覓(モト)めざるにはあらず。只行學もとより佛法なりと證して、無所求にして、世事惡業等は我が心になしたくともなさず、學道修行に懶(モノ)うきをもいとひかへりみず、此行を以て打成一片に修して、道成ずるも果を得るも我が心より求ることなふして行ずるをこそ、外に向て覓ることなかれと云道理にはかなふべけれ。南嶽の磚(セン)を磨して鏡となせしも、馬祖の作佛を求めしを戒めたり。坐禪を制するにはあらざるなり。坐はすなはち佛行なり、坐はすなはち不爲なり。是れ便ち自己の正體なり。此の外別に佛法の求むべき無きなり。

 

【2-23】

 一日請益の次でに云く、近代の僧侶、多く世俗に隨ふべしと云ふ。今思ふに然あらず。世間の賢すらなを、民俗にしたがふことをけがれたることと云ひて、屈原の如きんば世は擧て皆よへり、我は獨り醒たりとて、民俗に隨はずして、終に滄浪に沒す。況や佛法は事と事とみな世俗に違背せるなり。俗は髮を飾る、僧は髮を剃る。俗は多く食す、僧は一食す。皆そむけり。然して後に還て大安樂の人となるなり。故へに僧は一切世俗にそむけるなり。

 

【2-24】

 一日示して云く、治世の法は、上み天子より下も庶民に到るまで、各皆な其の官に居する者は其の業を修す。其の人にあらずして其の官に居するを亂天の事と云ふ。政道が天意に合(カナ)ふ時は世すみ民やすきなり。故へに帝は三更の三點に起させ給ひて、治世の時としましませり。たやすからざることなり。佛の法も只職のかはり、業の異なるばかりなり。國王は自ら思量を以て政道をはからひ、先規をかんがへ、有道の臣を覓めて、政ごと天意に相合ふ時、是を治世と云ふなり。若し是を怠れば、天に背き世亂れ民苦るしむなり。其れより以下、諸の公卿大夫士庶民皆各の司どる所ろの業あり。其れに順ふを人とは云なり。其れに背くは天事を亂る故に、天の刑を蒙るなり。然あれば佛法の學人も、世を離れ家を出ればとて、徒らに身を安すんぜんと思ふこと、片時もあるべからず。初めは利あるに似たれども、後には大いに害あるなり。出家の作法に順て、全く其の職を治め、其の業を修すべきなり。世間の治世は先規有道をかんがへ求れども、先聖先達のたしかに相傳したる例なければ、自ら其の時の例に隨ふこともあれども、佛子はたしかなる先規敎文顯然なり。亦相承傳來の知識現在せり。我れに思量あり。四威儀の中において一一に先規を思ひ、先達に隨ひ、修行せんになじかは道を得ざるべき。俗は天意に合はんと思ひ、衲子は佛意に合はんと思ふ。修業ひとしくして得果すぐれたれば一得永得ならん。かくの如く大安樂の爲に、一世幻化の此身を苦しめて佛意に隨んは、唯行者の心にあるべし。然ありと云へども亦そヾろに身を苦しめ、なすべからざることをなせと、佛敎には勸むることなきなり。戒行律儀に隨がひ以てゆけば、自然に身やすく行儀も尋常に人めもやすきなるほどに、只今案の我見の身の安樂を捨てヽ、一向に佛制に順ずべきなり。

 

【2-25】

 亦云く、我れ大宋天童禪院に寓居せし時、淨老宵には二更の三點まで坐禪し、曉は四更の二點三點よりおきて坐禪す。長老と共に僧堂裡に坐す。一夜も懈怠なし。其の間だ、衆僧多く眠る。長老巡り行て睡眠する僧をば或ひは拳を以て打ち、或ひは履をぬいで打ち、恥かしめ進めて眠りを醒す。猶を眠る時は照堂に行て鐘を打ち、行者を召し蝋燭をともしなんどして、卒時に普説して云く、僧堂裡に集り居て徒らに眠りて何の用ぞ。然あらば何ぞ出家して入叢林するや。見ずや、世間の帝王官人、何人か身をたやすくする。君は王道を治め臣は忠節を盡し、乃至庶民は田を開き鍬を取るまでも何人かたやすくして世を過す。是れをのがれて叢林に入て空(ムナシ)く時光を過して、畢竟じて何の用ぞ。生死事大なり、無常迅速なりと敎家も禪家も同く勸む。今夕明旦如何なる死をか受け如何なる病をかうけん。且く存ずるほど、佛法を行ぜず、睡り臥して空く時を過すこと最も愚なり。かくの如くなる故に佛法は哀へ行くなり。諸方佛法の盛んなりし時は、叢林皆坐禪を專らにせしなり。近代諸方坐禪を勸めざれば佛法澆薄しゆくなりと。かくの如くの道理を以て衆僧をすヽめて坐禪せしめられしこと、まのあたり是れを見しなり。今の學人も彼の風を思ふべし。亦或る時き、近仕の侍者等云く、僧堂裡の衆僧、眠りつかれて或ひは病ひ起り退心も起りつべし、これ坐の久き故か、坐禪の時剋を縮められばやと申しければ、長老大に嗔りて云く、然あるべからず。無道心の者の假令に僧堂に居するは半時片時なりとも猶を眠るべし。道心ありて修行の志し有らんは、長からんにつけていよいよ喜び修せんずるなり。我れ弱(ワ)かヽりし時諸方の長老を歴觀せしに、ある長老此の如く勸めて云く、己前は眠る僧をば拳も缺なんとするほどに打ちたるが、今は老後になりてちからよはくなりて、つよくも打ち得ざるほどに、よき僧も出來らざるなり。諸方の長老も坐を緩く勸る故に佛法は衰微せるなり。我は彌よ打べきなり、とのみ示されしなり。

 

【2-26】

 亦云く、道を得ることは心を以て得るか、身を以て得るか。敎家等にも身心一如と云て、身を以て得るとは云へども、猶一如の故にと云ふ。しかあれば正く身の得ることはたしかならず。今我が家は身心ともに得るなり。其の中に心を以て佛法を計校する間は、萬劫千生得べからず。心を放下して知見解會を捨る時得るなり。見色明心聞聲悟道の如きも、猶を身の得るなり。然あれば心の念慮知見を一向に捨て只管打坐すれば道は親しみ得なり。然あれば道を得ることは正しく身を以て得るなり。是に依て坐を專らにすべしと覺へて勸むるなり。

 


正法眼藏隨聞記第三 (長円寺本・第四)

   侍者 懷奘 編

 

【3-1】

 示して云く、學道の人、身心を放下して一向に佛法に入るべし。古人云く、百尺竿頭如何進歩と。然あれば百尺の竿頭にのぼりて、足をはなたば死ぬべしと思ふて、つよく取つく心のあるなり。其れを一歩を進めよと云ふは、よもあしからじと思ひ切て、身命を放下するやうに、度世の業よりはじめて一身の活計に到るまで、思ひすつべきなり。其れを捨てざらんほどは、いかに頭燃を拂ふて學道するやうなりとも、道を得ることはかなふべからざるなり。たヾ思ひ切て身心ともに放下すべきなり。

 

【3-2】

 有る時、さる比丘尼問て云く、世間の女房なんどだにも佛法とて勤學す。比丘尼の身には少少の不可ありとも、何ぞ佛法にかなはざるべきと覺ゆ、いかんと。

 示して云く、此の義、然あらず。在家の女人は其の身ながら佛法を學して得る事はありとも、出家の人、出家の心なからんは得べからず。佛法の人を擇ぶにはあらず、人の佛法に入らざればなり。出家在家の義、其の心ろ異なるべし。在家人の出家人の心あるは出離すべし。出家人の在家人の心あるは二重のひがことなり。用心大に異なるべきことなり。作すことの難きにはあらず、能くすることの難きなり。出離得道の行は人ごとに心にかけたるには似たれども、能くする人まれなればなり。生死事大なり、無常迅速なり。心を緩くすることなかれ。世を捨てば實とに世を捨つべきなり。假名(ケミヤウ)はいかにてもありなんとおぼゆるなり。

 

【3-3】

 夜話に云く、今時世人を見る中に、果報もよく家をも起す人は、皆心の正直に人の爲によき人なり。故に家をも保ち子孫までも昌ゆるなり。心に曲節ありて人の爲に惡き人は、設ひ一旦は果報もよく家を保てる様なれども、終にはあしきなり。設ひ亦一期は無事にして過す様なれども、子孫必ず衰微するなり。亦人のために善きことをして、其の人によしと思はれ喜びられんと思ふてするは、あしきに比すれば勝ぐれたるに似たれども、猶を是は自身を思ふて人のために眞によきにはあらざるなり。其の人には知られざれども、人のために好き事をなし、乃至未來までも誰れが爲と思はざれども、人の爲によからん事をしをきなんどするを誠との善人とは云ふなり。況や衲僧は是にこへたる心をもつべきなり。衆生を思ふ事親疎を分かたず、平等に濟度の心を存じ、世出世間の利益すべて自利を思はず、人にも知られず喜こびられずとも、只人の爲によきことを心の中に作して、我れはかくの如くの心もちたると人に知られざるなり。此の故實はまづ世を捨て身を捨つべきなり。我が身をだにも眞實に捨てぬれば、人によく思はれんと謂ふ心は無きなり。然あればとて亦人はなにとも思はヾ思へとて、惡しきことを行じ放逸ならんは、亦佛意に背くなり。只よき事を行じ人の爲に善事をなして、代りを得んと思ひ我が名を顯はさんと思はずして、眞實無所得にして、利生の事をなす。即ち吾我を離るヽ、第一の用心なり。此の心を存ぜんと思はヾまづ無常を思ふべし。一期は夢の如し、光陰は早く移る。露の命ちは消へ易し。時は人を待ざるならひなれば、只しばらく存じたるほど、聊かのことにつけても人の爲によく佛意に順はんと思ふべきなり。

 

【3-4】

 夜話に云く、學道の人は最も貧なるべし。世人を見るに財ある人は、まづ嗔恚恥辱の二つの難定めて來るなり。寶らあれば人是を奪ひ取らんと思ふ。我は取られじとする時、嗔恚たちまちに起る。或は是を論じて問答對決に及びつゐには闘諍合戰をいたす。かくの如くのあひだに、嗔恚も起り恥辱も來るなり。貧にして貪ぼらざる時は、先づ此の難を免れて安樂自在なり。證據眼前なり。敎文を待べからず。爾のみならず、古聖先賢是を謗り諸天佛祖皆な是を恥かしむ。然あるに愚癡なる人は、財寶を貯へそこばくの嗔恚をいだくこと、恥辱の中の恥辱なり。貧しふして道を思ふは先賢古聖の仰ぐ所、諸佛諸祖の喜ぶ所ろなり。近來佛法の衰微しゆくこと眼前にあり。予始て建仁寺に入りし時見しと、後七八年過て見しと、次第にかはりゆくことは、寺の寮寮に塗籠をおき、各各器物を持し美服を好み財物を貯へ、放逸の言語を好み、問訊禮拜等の衰微することを以て思ふに、餘所も推察せらるヽなり。佛法者は衣孟の外に財寶等を一切持べかざず。なにを置んが爲に塗籠をしつらふべきぞ。人にかくすほどの物をばもつべからざるなり。盜賊等を怖るヽ故にこそかくし置んと思へ。捨て持たざれば還てやすきなり。人をば殺すとも人には殺されじと思ふ時こそ、身も苦しく用心もせらるれ。人は我れを殺すとも我れは報を加へじと思ひ定めつれば、用心もせられず盜賊も愁へられざるなり。時として安樂ならずと云ふことなし。

 

【3-5】

 一日示して云く、宋土の海門禪師、天童の長老たりし時、會下に元首座と云僧ありき。この人は得法悟道の人にて、行持長老にも超たり。有時夜る方丈に參じて、燒香禮拜して云く、請ずらくは某甲に後堂首座を許せと。時に禪師、流涕して云く、我れ小僧たりし時より未だ此の如きの事を聞かず。汝坐禪僧として首座長老を所望すること、大ひなる錯なり。なんぢ既に悟道せること、我れにも越へたり。然あるに首座を望むこと、是れ昇進の爲か。許すことは前堂をも乃至長老をも許すべし。その心操卑劣なり。誠に是を以て餘の未悟の僧は推察せられたり。佛法の衰微せること、是を以て知ぬべしと云ふて、流涕悲泣す。是れに愧(ハヂ)て辭すといへども猶終に首座に請ず。其の後元首座、此の詞ばを記録して自らを愧しめて師の美言を顯はす。今ま是を案ずるに、昇進を望み物のかしらとなり長老とならんと思ふことをば、古人是を慙(ハ)ぢしむ。只道を悟らんとのみ思ふて、餘事あるべからず。

 

【3-6】

 有る夜示して云く、唐の太宗即位の後、故殿に栖み給へり。破損せる故へに濕氣あがり、風霧冷かにして玉體おかされつべし。臣下等造作すべき由を奏しければ、帝の言く、時き農節なり。民定めて愁ひあるべし。秋を待て造るべし。濕氣に侵さるは地にうけられず、風雨に侵さるは天に合はざるなり。天地に背かば身あるべからず、民を煩はさずんば自ら天地に合ふべし。天地に合はヾ身を侵すべからずと云ふて、終に新宮を作らず、故殿に栖み給へり。俗すら猶かくの如く民を思ふこと自身に超へたり。況や佛子は如來の家風を受て、一切衆生を一子の如くに憐むべし。我に屬する侍者、所從なればとて呵嘖し煩はすべからず。いかに況や同學等侶、耆年宿老(キネンシユクラウ)等をば恭敬(クギヤウ)すること、如來の如くすべしと、戒文分明なり。然あれば今の學人も、人には色にいでヽ知られずとも、心の内に上下親疎を分たず、人の爲によからんと思ふべきなり。大小の事につけて人を煩はして人の心を破ること有るべからざるなり。如來在世に外道多く如來を謗り惡みき。佛弟子問て云く、如來はもとより柔和を本とし慈悲を心とす、一切衆生ひとしく恭敬すべし、何が故にか此の如く隨はざる衆生あるや。佛の言く、吾れ昔し衆を領ぜし時、多く呵嘖羯磨(カシヤクコンマ)を以て弟子をいましめき、是れに依て今かくの如しと、律の中かに見へたり。然あれば即ち設ひ住持長老として衆を領じたりとも、弟子の非をたヾしいさめん時、呵嘖の詞ばを用ふるべからず。たヾ柔和の詞ばを以て誠め勸むとも隨ふべくんば隨ふべきなり。況や學人親族兄弟等の爲にあらき言ばを以て人を惡く呵噴することは、一向にやむべきなり。能々(ヨクヨク)意を用ふべし。

 

【3-7】

 亦示して云く、衲子の用心は佛祖の行履を守るべし。第一には、先づ財寶を貪ぼるべからず。其の故は如來の慈悲深重なること、喩へを以ても量り難し。然あるに彼の所爲行履、皆是れ衆生の爲なり。一微塵計りも衆生の爲に利益ならざるべき事を行はせ給はず。其の故は、佛は是れ輪王太子にてましませば、即位し給ひて一天をも御意にまかさせたまひ、寶を以て弟子を憐れみ、所領を以て弟子をはごくみ給ふべきに、何に故に位を捨てヽ自ら乞食を行じ給ふや。是決定末世の衆生の爲にも、弟子の行道のためにも、利益となる因縁あるべき故に、財寶を貯へず乞食を行じおき給へり。爾しよりこのかた、天竺漢土の祖師の、よきと人にも知られしは、みな貧窮乞食なさしめ給ふなり。況や我が門の祖師皆な財寶を貯ふべからずとのみ勸むるなり。敎家にも此宗を讃ずるには先づ貧をほめ、傳來の書録にも貧を記してほむるなり。いまだ財寶に富み豊かにして、佛法を行ずるとは聞かず。皆よき佛法者と云は、或は布納衣常乞食なり。禪門をよき宗と云ひ禪僧を他に異なりとする、初の興りは、むかし敎院律院等に雜居せし時にも、身を捨てヽ貧人なるを以てなり。宗門の家風先づ此のことを存知すべし。聖敎の文理を待べきにあらず。我身も田園等を持たる時もありき、亦財寶を領ぜし時もありき。彼の時の身心と此のころ貧ふして衣孟にともしき時とを比するに、當時(イマ)の心すぐれたりと覺ゆる、是れ現證なり。

 

【3-8】

 亦云く、古人の云く不似其人莫語其風(其の人に似しかずんば其の風を語ること莫れ)と。云心ろは其の人の德を學ばず知ずして、其の人の失あるを見て、其の人はよけれども其の事は惡しさよ、惡き事をよき人もするかなと思ふべからずとなり。只其の人の德を取て失を取ることなかれ。君子は德を取て失を取らずと云ふは、此の心ろなり。

 

【3-9】

 一日示して云く、人は必ず陰德を修すべし。陰德を修すれば必ず冥加顯益あるなり。設ひ泥木塑像の麁惡(ソアク)なりとも佛像をば敬ふべし。黄卷赤軸の荒品なりとも經敎をば歸敬すべし。破戒無斷の僧侶なりとも僧體をば仰信すべし。内心に信心を以て敬禮すれば必ず顯福を蒙るなり。破戒無懸の僧、疎相の佛、麁品(ソホン)の經なればとて、不信無禮なれば必ず罰を蒙るなり。然あるべき如來の遺法にて、人天の福分となりたる佛像經卷僧侶なり。故に歸敬すれば必ず益あり。不信なれば罪を受るなり。いかに希有に淺猿(アサマシ)くとも三寶の境界をば歸敬すべきなり。禪僧は善を修せず功德を用ひずと云ふて、惡行を好むは究めたるひが事なり。先規いまだ惡行を好むことをきかず。丹霞天然禪師は木佛を燒く、是れらこそ惡事と見へたれども、一段の説法の施設なり。彼の師の行状の記を見るに、坐するに必ず儀あり、立するに必ず禮あり、常に貴き賓客に向へるが如し。暫時の坐にも必ず跏趺して叉手す。常住物を守ること眼睛の如くす。勤修するものあれば必ずこれを賀す。少善なれども是を重くす。常途の行状、ことに勝れたり。彼の記をとヾめて今の世までも叢林の亀鑑とするなり。爾のみならず、諸ろの有道の師、先規悟道の祖を見聞するに、皆戒行を守り威儀をとヽのへ、設ひ少善といへども是を重くす。いまだ悟道の師の善根を忽諸(コツシヨ)することを聽かず。故に學人祖道に隨はんと思はヾ、必ず善根を輕しめざれ。信仰を專らにすべし。佛祖の行道は必ず衆善の聚まる處なり。諸法皆佛法なりと通達しつる上は、惡は決定惡にして佛祖の道に遠ざかり、善は決定善にして佛道の縁となると知るべし。若しかくの如くならばなんぞ三寶の境界を重くせざらんや。

 

【3-10】

 亦云く、今ま佛祖の道を行ぜんと思はヾ、所期も無く所求も無く所得もなふして、無利に先聖の道を行じ、祖祖の行履を行ずべきなり。所求を斷じ佛果を望むべからざればとて、修行を止め、本の惡行に住まらば、却て是れ本の所求にとヾまり、本の窠臼に墮するなり。全く一分の所期を存ぜずして、只人天の福分とならんとて、僧の威儀を守り、濟度利生の行履を思ひ、衆善をこのみ修して、本の惡をすてヽ、今の善にとヾこほらずして、一期行しもてゆかば、是を古人も打破漆桶底(タハシツツウテイ)と云ふなり。佛祖の行履と云は此の如くなり。

 

【3-11】

 一日僧來て學道の用心を問ふ次でに示して云く、學道の人は先須く貧なるべし。財おほければ必ず其の志を失ふ。在家學道のもの猶を財寶にまとはり、居處をむさぼり眷屬に交はれば、設ひ其の志しありと云へども、障道の因縁多し。古來俗人の參學する多けれども、其の中によしと云ふも猶を僧には及ばず。僧は三衣一鉢の外は財寶をもたず、居處を思はず、衣食を貪らざる間だ、一向に學道すれば分分に皆得益あるなり。其のゆへは貧なるが道に親きなり。龐公(ハウコウ)は俗人なれども僧におとらず、禪席に名をとヾめたるは、かの人參禪のはじめ、家の財寶を持ち出して海に沈めんとす。人是れを諌めて云く、人にも與へ佛事にも用ひらるべしと。時に他に對して云く、我己に冤(アタ)なりと思ひて是れを捨つ。冤としりて何ぞ人に與ふべき。寶らは身心を愁へしむるあたなりと云ひて、つゐに海に入れ了りぬ。然ふして後ち、活命の爲には笊をつくりて賣て過けるなり。俗なれどもかくの如く財寶を捨てヽこそ、善人とも云れけれ。いかに況や僧は一向にすつべきなり。

 

【3-12】

 僧の云く、唐土の寺院には定まりて僧祇物あり常住物等ありて置れたれば、僧の爲に行道の資縁となりて其の煩ひなし。此の國は其の義なければ、一向捨棄せられては、中中行道の違亂とやならん。かくの如くの衣食資縁を思ひあてヽあらばよしと覺ゆ、いかん。

 示して云く、然あらず。中中唐土よりは此の國の人は、無理に僧を供養じ非分に人に物を與ふることあるなり。先づ人は知らず、我れは此の事を行じて道理を得たるなり。一切一物も持たず、思ひあてがふことも無ふして、十餘年過ぎ了りぬ。一分も財を貯へんと思ふこそ大事なれ。僅の命をいくるほどのことは、いかにと思ひ貯へざれども、天然としてあるなり。人皆な生分あり、天地是れを授く。我れ走り求めざれども必ず有なり。況や佛子は如來遺囑の福分あり。不求自得なり。只一向にすてヽ道を行ぜば、天然これあるべし。是れ現證なり。

 

【3-13】

 亦云く、學道の人、多分云ふ、若し其のことをなさば世人是を謗ぜんかと。此の條太だ非なり。世間の人いかに謗ずるとも、佛祖の行履、聖敎の道理にてだにもあらば依行すべし。設ひ世人擧つてほむるとも、聖敎の道理ならず、祖師も行ぜざることならば、依行すべからず。其れ故に世人の親疎、我れをほめ我れを誹ればとて、彼の人の心ろに隨ひたりとも、我が命終の時、惡業にも引れ惡道へ落なん時、彼の人いかにも救ふべからず。亦設ひ諸人に謗ざられ惡まるヽとも、佛祖の道に依行せば、眞實に我れをたすけられんずれば、人の謗ずればとて道を行ぜざるべからず。亦かくの如く謗じ讃ずる人、必ずしも佛祖の行を通達し證得せるにあらず。なにとしてか佛祖の道を世の善惡を以て判ずべき。然あれば世人の情には順ふべからず。只佛道に依行すべき道理ならば一向に依行すべきなり。

 

【3-14】

 亦ある僧云く、某甲老母現在せり。我れは即ち一子なり。ひとへに某甲が扶持に依りて度世す。恩愛もことに深し。孝順の志しも深し。是れに依ていさヽか世に隨ひ人に隨ふて、他の恩力を以て母の衣糧にあつ。我れ若し遁世籠居せば母は一日の活命も存じ難し。是れに依て世間にありて一向佛道に入らざらんことも難事なり。若し猶も捨てヽ道に入るべき道理あらば其の旨いかなるべきぞ。

 示して云く、此こと難事なり。他人のはからひに非ず。たヾ自ら能々思惟して誠に佛道に志し有らば、いかなる支度方便をも案じて母儀の安堵活命をも支度して、佛道に入らば、兩方倶によき事なり。切に思ふことは必ずとぐるなり。強き敵、深き色、重き寶らなれども、切に思ふ心ふかければ、必ず方便も出來る様あるべし。是れ天地善神の冥加もありて必ず成ずるなり。曹溪の六祖は新州の樵人(セウジン)にて薪を賣て母を養ひき。一日市にして客の金剛經を誦するを聽て發心し、母を辭して黄梅に參ぜし時、銀子十兩を得て母儀の衣糧にあてたりと見ゑたり。是れも切に思ひける故に天の與へたりけるかと覺ゆ。能々思惟すべし。是れ最ともの道理なり。母儀の一期を待て、其の後障碍なく佛道に入らば、次第本意の如くにして神妙なり。しかあれども亦知らず、老少不定なれば、若し老母は久くとヾまりて、我は先に去ること出來らん時に、支度相違せば、我れは佛道に入らざることをくやみ、老母は是れを許さヾる罪に沈て、兩人倶に益なふして互に罪を得ん時いかん。若し今生を捨てヽ佛道に入りたらば、老母は設ひ餓死すとも、一子を放るして道に入らしめたる功德、豈に得道の良縁にあらざらんや。尤も曠劫多生にも捨て難き恩愛なれども、今生人身を受て佛敎にあへる時捨てたらば、眞實報恩者の道理なり。なんぞ佛意にかなはざらんや。一子出家すれば七世の父母得道すと見えたり。何ぞ一世の浮生の身を思ふて、永劫安樂の因を空く過さんやと云道理もあり。是らを能々自ら計らふべし。

 


 

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